鎌倉時代には、世界の宗教史上にもまったく例をみないほど、すぐれた人材が相前後して輩出して、新しい仏教を展開した。この史上の景観は、偶然に展開したのではない。武士と呼ばれる新しい階級が、これまでの貴族の権力を押しのけて台頭し、貴族と結ぶ南都北嶺の仏教をささえてきた律令体制にかわる封建体制を建設した必然の結果として、新仏教の誕生を促したからである。古い仏教では、新しい時代の要求にはこたえられない。新しい時代は、また新しい宗教を要求するのである。(『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮戸頃重基
 かのアインシュタインは、「数学における最も偉大な発見の一つは、複利の発見である」と言っています。また、ロスチャイルドは、世界の七不思議とは? と訊かれた時、「それは分からないが、8番目の不思議が複利である、というのは確かだ」と答えたそうです。(『貧乏人のデイトレ 金持ちのインベストメント ノーベル賞学者とスイス人富豪に学ぶ智恵北村慶
 こうした(※アンケート調査で「霊は実体を持った存在である」と回答した)人々の中には、「自らの体験」だけでなく、「他者の体験」を根拠として採用する場合もある。この場合の「他者」は「自らの判断を準拠できる程度に信用できる他者」であって、あまり信頼性のない他者の判断は採用されない傾向がある。すなわち、「自分から見て一枚上手(うわて)の者」「自分より優れていると一目おいている者」「人間関係において自分よりも上位に位置する者」などが準拠の対象とされ易い傾向がある。また、「(母親が)見たことがある(と言っていた)」という事実を「霊が存在する証拠」と考える思考法の背景には、少なくとも、「母親が体験した(と主張している)ことは、客観的な批判の対象であるよりはむしろ、それ自身、真実であることの証である」と考えていることを示唆するものであり、母親を客体として見ることのできない、思考態度におけるある種の「マザー・コンプレックス」の一形態とも言える。こうした「引きずられた幼児性」は「自我(アイデンティティ)の未確立」の裏返しとも解釈できるかもしれない。(『霊はあるか 科学の視点から安斎育郎

科学権威
 チャーリーを車から出した。と、いきなり灰色の物体が飛び出してきた。怒気をあらわにした生き物である。それは松を切り払った空き地を一直線に横切り、家の中へと突っ込んでいった。それがジョージだった。彼は私が来たのを喜んではいなかったし、チャーリーについてはなおさらだった。
 まともにジョージを見る機会はまるでなかったが、いたるところで彼の不機嫌な気配を感じた。この灰色の老猫には人や物への憎しみが強烈に積み重なっているので、たとえ上の階に隠れていても出て行けという悪態が伝わってくるのだ。もしも爆弾が落ちてきてミス・ブレイス以外の生き物を全滅させたとしたら、ジョージは幸せになるのだろう。彼が世界を支配できたらそうするはずだ。
(『チャーリーとの旅ジョン・スタインベック:竹内真訳)
 学問が手段化されることは、一人一人の人間が手段化されることと無関係ではありません。学問は、自己目的であってはならないけれども、単なる手段であってもならない。学問の自己目的化と手段化という古くからの難関は、実は、社会を成して生きている個々の人間と社会とがどうかかわっているか、どうかかわるべきかということと深いところで結びついています。人間は孤立した存在ではないけれども、集団の単なる構成要素でもない。一人一人の人間が学問的思考を有効に身につける意味が、そこにあるのです。(『社会認識の歩み内田義彦
 中世のあいだ、学問教会によって厳しく監督され、上流階級の一員でも、聖職者にならないかぎりは無学になりがちだった。
 ルネッサンス初期の商人階級の台頭によって、学問を奨励するような雰囲気が作り出され、印刷機の発明がそれを助けた。
(『黒体と量子猫 ワンダフルな物理史ジェニファー・ウーレット:尾之上俊彦、飯泉恵美子、福田実訳)

科学
 私たちのほとんどはとても保守的です。君たちは、その〔保守的という〕言葉がどういう意味であるのかを、知っていますね。「保守する」とはどういうことかを知っていますね――保つ、守るのです。私たちのほとんどは、〔尊敬されるよう〕体裁よくしていたいのです。それで、正しいことをやりたいし、正しい行ないに従いたいのです――それは、とても深く入るなら分るでしょうが、恐れの表示です。なぜまちがえていけないのでしょうか。なぜ見出さないのでしょうか。しかし。それている人はいつも、「私は正しいことをしなければならない。体裁よく見えなければならない。本当のありのままの私を公に知らせてはならない」と考えています。こういう人は基本的に、根源的に恐れています。野心を持っている人は本当は怯えた人物です。そして怯えている人は、どんな愛をも持ちません。どんな同情も持ちません。彼は壁の向こうに監禁された人物に似ています。私たちが若いうちに、このことを理解すること、恐れを理解することが、とても重要です。私を服従させるのは、恐れです。しかし、私たちはそれについて話し合い、ともに推理し、ともに議論し、考えることができるなら、そのとき私は、頼まれたことを理解して、できるかもしれません。しかし、私が君に怯えているからといって、私が理解しないことをやるよう私に強制すること、強いることは、まちがった教育でしょう。(『智恵からの創造 条件付けの教育を超えてJ・クリシュナムルティ:藤仲孝司、横山信英、三木治子訳)