昭和17年のミッドウェー海戦で、日本海軍は空母4隻を失ったのだが、「大本営発表」ではわが方の損害空母は1隻か2隻だったと思う。東条大将でさえ、このとき空母4隻を喪失したことを知ったのは敗戦後であったという。
 快勝つづく緒戦のときからこの始末だから、終戦までの敗北期、大本営発表のデタラメぶりは言語に絶する。
(『あと千回の晩飯山田風太郎