人の悲しみを自分の悲しみとして悶える人間、ことにそのような老女のことをわたしの地方では〈悶え神〉というが、同じく人の喜びをわが喜びとする人間のことを〈喜び神さま〉とも称していた。村の共同体でのことほぎ事があると、いちはやくその気分を感じてうたい出し、舞い踊りする女性は今もいるので、その人は〈唄神さま〉とか〈踊り神さま〉といわれる。(『不知火 石牟礼道子のコスモロジー石牟礼道子