迷いは、布の縦糸(たていと)、緯糸(よこいと)がほつれて片寄ること、とも言われます。混乱、混迷です。織る人の心に調和がなければ、織り成す糸が乱れることは必定でありましょう。立派な布も、簡素な衣も望めません。着る人の心もまた同じです。もし内に貪(むさぼ)りや怒りや愚癡(ぐち)といった煩悩や欲の偏りがあるなら、綾(あや)が失われるように、その言葉も行動も粗(あら)くならざるを得ません。(『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む片山一良

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