の価値観の筆頭は「卑怯を憎む」だった。が常に私の喧嘩を制止したのに比べ、父は喧嘩を教材として卑怯を教えた。
 私が妹をぶんなぐると、母は頭ごなしに私を叱りつけたが、父はしばらくしてから、「男が女をなぐるのは理由の如何(いかん)を問わず卑怯だ」とか「大きい者が小さい者をなぐるのは卑怯だ」などと諭した。兄と庭先で喧嘩となり、カッとなった私がそばの棒切れをつかんだ時は、「喧嘩で武器を手にするのは文句なしの卑怯だ」と静かに言った。卑怯とは、生きるに値しない、というほどの重さがあった。学校でのいじめを報告すると、「大勢で一人をやっつけるのはこの上ない卑怯だ」とか「弱い者がいじめられていたら身を挺してでも助けろ。見て見ぬふりをするのは卑怯だ」と言った。
 小学校5年生の時、市会議員の息子でガキ大将のKが、ささいなことで貧しい家庭のひ弱なTを殴った。直ちに私がKにおどりかかって引きずり倒した、と報告した時など、父は相好を崩して喜び、「よし、弱い者を救ったんだな」と私の頭を何度もなでてくれた。
(『祖国とは国語藤原正彦