「慎重に……」アフナーは言いよどんでから、「慎重に考えさせて下さい。ご返事には1週間の猶予をいただけないでしょうか」(中略)
ザミール将軍は首を横にふった。「1日しか猶予がない。とくと考えたまえ。1日で決心をつけられない者は、いくら時間があっても決心がつけられないものだ」
(『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』ジョージ・ジョナス:新庄哲夫訳)
モサド/イスラエル
ここで、そのドイツと日本の食品の安全基準の違いを見てみよう。
「安全と証明できたものしか売ってはならない」ドイツでは、野菜も有機無農薬野菜が売られる。有害な食品添加物は使われない。
ところが日本では「危険と証明できない限り売ってもよい」。このため、マウスに人間体重換算の添加物を投与してその毒性の限界値を判定し、その範囲内での添加物の使用を認めている。
(『マインドコントロール 日本人を騙し続ける支配者の真実』池田整治)
「安全と証明できたものしか売ってはならない」ドイツでは、野菜も有機無農薬野菜が売られる。有害な食品添加物は使われない。
ところが日本では「危険と証明できない限り売ってもよい」。このため、マウスに人間体重換算の添加物を投与してその毒性の限界値を判定し、その範囲内での添加物の使用を認めている。
(『マインドコントロール 日本人を騙し続ける支配者の真実』池田整治)
種はあいまいで、さまざまに変る境界を持っているのである。何がそれを種としているのかは、場合によって異なる。もしも種に全体を統一させる性質があるのならば、それが何であるのか、私たちにはわからない。何かに属するということは、何かのクラスに属するということであって、何らかの本質が存在するという証明ではない。ある意味でそれは一時的な状態であり、やり直し可能である。決して、永遠で必然的なものではないのだ。私たちが人間という種に属するのであれば、それは、私たちが何か特別な性質を持っているからではなく、私たちが、自分の系統にそのように線引きをするからなのである。(『人間の境界はどこにあるのだろう?』フェリペ・フェルナンデス=アルメスト:長谷川眞理子訳)
進化
進化
ロバート・マートンの言葉を借りれば、人々がそうした信念を持つのは「自分自身の体験からこう結論せざるを得ない」と考えるからである。誤った信念は決して非合理性が生じるのではなく、合理性の欠陥から生じるのである。(『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』トーマス・ギロビッチ:守一雄、守秀子訳)
認知科学/科学と宗教
認知科学/科学と宗教
なぜかというと、西洋医学で治らない病気がいっこうに減らないからです。医学は長足の進歩を遂げていますが、治せるようになったのは感染症がほとんどで、ガンとか心臓病、糖尿病などは治すのが難しいのです。(『人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている』村上和雄、棚次正和)
癌
癌
1952年に行なわれた乳がんの女性たちの精神分析でも、同じような結論が出ている。その女性たちは「怒り、攻撃性、敵意を放出したり、それらに適切に対処することができない(そうした感情は「感じのよさ」という仮面の下に隠されている)」ことがわかったのだ。研究者たちは、この患者たちの解消されていない葛藤は「否認と非現実的で自己犠牲的な行動」の形で現れると感じた。(『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ:伊藤はるみ訳)
ストレス/病気
ストレス/病気
つらい修業といったって何年もつづくわけではないのです。長い人生のうちにほんの5年か6年、あるいは7年か8年、こういう思いをするのは当たり前だし、私なんか6年ちょっとの修業のおかげで、それ以後、自分が生活をし、女房、子供を養い、さらに私のお袋まで背負っていけるわけですから。そして振り返ってみますと、つらかったなんていうことも、考えてみるとそれほど大したことではないのです。しかも、わずか6年ちょっとの修業で、死ぬまでの間、おまんまがいただけるなんていうのは、考えてみれば、ほんとに安い修業ですし、短い修業だったと思います。(中略)ですから、そういうことを考えますと、我慢をしたかしないかということの差が、その人のあとあとの人生の勝負にずいぶん影響をおよぼすんじゃないかと思うのです。(『神田鶴八鮨ばなし』師岡幸夫)
本当に大組織化されていって、本当に問題が本質的なものになったときには、現場の知識の寄せ集めでは本質的な解決方法が出てきません。低い視点に縛られてしまって、局部的な場面でしか通用しない解決方法しか発想できません。それは真実のリーダーではないのです。(『心の操縦術 真実のリーダーとマインドオペレーション』苫米地英人)
日本で最初に西洋哲学の講義、「ヒロソヒ」の講義をしたのは西周(にし・あまね)であり、哲学という言葉も彼の造語である。彼は「ヒロソヒ」を「希哲学」と訳し、ソクラテスを「希哲学の開基とも謂(いふ)べき大人(たいじん)」と呼んだ。(『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること』小林秀雄)
これに勢いをました身延山久遠寺は、寛永9~10年の全国寺院の本末帳提出の折には、日蓮宗すべての派の総括を行なうようとの命令を幕府から得た。一方、不受不施派の頭目と目された妙覚寺に対しては、きびしい探索を行なうとともに、寛永10年の段階でもまだ不受不施の思想を持っているかどうかを本末帳の中に1カ寺ごとに書き入れさせた。
それからさらに、身延山久遠寺は幕府権力を背景にしつつ不受不施派の弾圧にのり出していった。その手口は、幕府の法要のたびごとに不受不施派の不参加を口実に上訴するということであった。また久遠寺は寛文7年(1667)に江戸ならびに武蔵国などその周辺の不受不施派寺院を調査し、幕府にその弾圧をしばしば要請している。その結果、幕府は不受不施派に対して改派をせまることになった。しかし江戸だけでも242カ寺という不受不施派寺院の勢力は依然根強く、多くの人々の信仰をあつめており、簡単にはいかないようであったが、寛文9年(1669)4月には、日蓮宗不受不施派寺院が寺請をすることを禁じている。さらに元禄4年(1691)不受不施派とともに悲田宗をも禁止している。このようにして完全に不受不施派は禁制されることになり、その後公的な形での布教活動は困難になった。
(『庶民信仰の幻想』圭室文雄、宮田登)
信仰
それからさらに、身延山久遠寺は幕府権力を背景にしつつ不受不施派の弾圧にのり出していった。その手口は、幕府の法要のたびごとに不受不施派の不参加を口実に上訴するということであった。また久遠寺は寛文7年(1667)に江戸ならびに武蔵国などその周辺の不受不施派寺院を調査し、幕府にその弾圧をしばしば要請している。その結果、幕府は不受不施派に対して改派をせまることになった。しかし江戸だけでも242カ寺という不受不施派寺院の勢力は依然根強く、多くの人々の信仰をあつめており、簡単にはいかないようであったが、寛文9年(1669)4月には、日蓮宗不受不施派寺院が寺請をすることを禁じている。さらに元禄4年(1691)不受不施派とともに悲田宗をも禁止している。このようにして完全に不受不施派は禁制されることになり、その後公的な形での布教活動は困難になった。
(『庶民信仰の幻想』圭室文雄、宮田登)
信仰
「この一件で、お前はひどい目にあうことになる、そのことを忘れるな」
私が言った、「名はスペンサーだ、サーの綴りは、詩人と同じようにSだ。ボストンの電話帳に載ってるよ」外に出てドアを閉めた。また開けて中に首を突っ込んだ。「〈タフ〉という見出しの項にな」ドアを閉めて階段を下りた。
(『初秋』ロバート・B・パーカー:菊池光訳)
私が言った、「名はスペンサーだ、サーの綴りは、詩人と同じようにSだ。ボストンの電話帳に載ってるよ」外に出てドアを閉めた。また開けて中に首を突っ込んだ。「〈タフ〉という見出しの項にな」ドアを閉めて階段を下りた。
(『初秋』ロバート・B・パーカー:菊池光訳)
いくら独自なものが存在していても、それが他者によって受けとめられるのでなければ、神秘は生じない。
独自なものだけがあっても、また見つめるまなざしだけがあっても、この神秘は生じない。
神秘はいわば、【あいだ】にある。
(『吉田加南子詩集』吉田加南子)
独自なものだけがあっても、また見つめるまなざしだけがあっても、この神秘は生じない。
神秘はいわば、【あいだ】にある。
(『吉田加南子詩集』吉田加南子)
実際には、生物のいろいろな性質(「表現型」といいます)は、DNAだけで決まっているのではなく、環境と生物との相互作用の中で決定され、それが細胞分裂や世代を超えて維持されるのです。「生まれ」という基板が、「育ち」によって影響を受けながら、やがて固定的な表現型を生み出すと考えるのが、現在の生物学の常識となっています。エピジェネティクスは、そのような環境要因がDNAの使われ方にどう影響するか、ということを扱う学問なのです。(『エピゲノムと生命 DNAだけでない「遺伝」のしくみ』太田邦史)
文字がふんだんに使われる社会とそうでない社会とでは、社会そのものの性質が違う。文字をもたない、あるいはまだ十分に用いない段階では、文字を必要とするような複雑で安定した制度を保てないから、社会の仕組みは単純で、ともすれば移ろいやすい。こうした社会では、制度のかわりに、しばしば壮大な建造物や魅力的な道具を用いた儀礼が人びと同士を結びつける役割を演じたり、服飾や持ち物が個人の地位や身分を明確に示したりする。文字不在のもとで、社会のまとまりや仕組みを保つ機能が、物質文化、すなわち道具や建造物に、より強く託されているのである。(『日本の歴史一 列島創世記 旧石器・縄文・弥生・古墳時代』松木武彦)
日本史
日本史
「どこかのレストランやホテルのロビーで彼を見かけても誰ひとりとしてそれがイサー・ハレルと気付く者はいないだろう。それほど外見は平凡な男だ。しかし、ひとたびあの青い目に見つめられると心の平静さを失わない人間はいない。にらまれただけですでに監獄に打ち込まれたような気持に陥ってしまう」(『モサド、その真実 世界最強のイスラエル諜報機関』落合信彦)
モサド/イスラエル
モサド/イスラエル
それはまちがいなく咆哮そのものだった。戦(おのの)き震え、必死で助けを求める、極限的苦痛を嘗(な)めさせられた者にしか発せられぬ咆哮だった。その苦痛は人間にはもはや耐えられぬもので、喉(のど)から訴えられるのではなく、肉体自身、肉や骨や神経が訴えるのだ。苦痛はそれらを強いて、最後の死にものぐるいの絶叫を絞り出させるのだ。(「黒い警官」ユースフ・イドリース:奴田原睦明訳/『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20』)
意識と脳の関係性は、「マインド・ボディ・プロブレム」と呼ばれる非常にやっかいな問題だ。今のところ、我々科学者には、物理化学的な神経系のはたらきと、主観的な私たちの意識感覚とのあいだをうまくつなぐような科学的な理論はない。意識の精神世界と、脳の物質世界とのあいだには、越えることのできそうにない巨大な谷がある。谷のこちら側には、物理の法則に従う、この宇宙で知られるかぎり最も複雑な器官である脳が存在する。そして谷のあちら側には、我々の経験、つまり、日々の生活で我々が見たり聞いたりするといった感覚や、恐怖や不安、欲望や愛、退屈さといった感情、つまり主観的な意識の世界がある。(『意識をめぐる冒険』クリストフ・コッホ:土谷尚嗣、小畑史哉訳)
5年ほど前、当時のソ連のミコヤン副首相と会ったときも、2時間ばかりのあいだに、人民解放の話が出ましたが、なごやかな話のふんいきのなかで、わたしは、あなたは人民を解放したといわれるが、日本の婦人解放をじっさいにやったのは、このわたしだ、と笑いながらいったものです。
それはどういうわけか、とミコヤン氏がいうので、今日、日本の婦人たちは、台所にしばられていた以前にくらべて、遊ぶ時間ができ、本を読む時間をたくさんもつようになっているが、それは、わたしが家庭電気器具をずっとつくってきて、それを普及させたからだ、といったのです。するとミコヤン氏は、わたしの手をぐっとにぎって、おまえは資本家ではあるが、偉いといいました。
(『若さに贈る』松下幸之助)
それはどういうわけか、とミコヤン氏がいうので、今日、日本の婦人たちは、台所にしばられていた以前にくらべて、遊ぶ時間ができ、本を読む時間をたくさんもつようになっているが、それは、わたしが家庭電気器具をずっとつくってきて、それを普及させたからだ、といったのです。するとミコヤン氏は、わたしの手をぐっとにぎって、おまえは資本家ではあるが、偉いといいました。
(『若さに贈る』松下幸之助)
ある市場に入ってきている資金は、ほかのどこでも活用できる資金です。その資金には金利というコストがかかっています。そのコスト以上の利回りで運用されなければロスを出しているに等しいといえます。あるいは、インフレ上昇率以上の利回りが得られなければ目減りします。株式、債券市場の発行体も投資家もすべて自分が取ったリスクのリターンを欲しています。(『実践 生き残りのディーリング 変わりゆく市場に適応するための100のアプローチ』矢口新)
為替
為替
「ぼくらは、みんな、いつ気が狂ってもおかしくない状況にいた。民族主義者になることもファシストになることも、ここではたやすいことなんだ。だけど、けっしてそうはならない正常な精神が、サラエボにはまだ生きているということを示したいんだ」(『失われた思春期 祖国を追われた子どもたち サラエボからのメッセージ』堅達京子)
自己を高めながら生涯を過ごしていければ、最高だ、と思う。近頃、おりにふれて感じるのは、人生の節目ごとに表情が明るくなっていって、最後に死ぬ時には笑っているような、そんな人間がいいな、ということだ。(入学考査・講演の感想文より 女子)『自由の森学園 その出発』遠藤豊
教育
教育
また、自閉症児は「対人関係を持たない」あるいは「持てない」ともいわれます。でも私は、これまでの臨床経験から、対人関係を持てないのではなく、対人関係を拒否するという形で彼らは人間関係を形成していると認識しています。
たとえば、そばに誰か近づくと逃げるという行動をとる自閉症の子どもは、逆にいえば他人を意識しているがゆえに逃げる行動をとっていると私は考えています。
(『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保)
たとえば、そばに誰か近づくと逃げるという行動をとる自閉症の子どもは、逆にいえば他人を意識しているがゆえに逃げる行動をとっていると私は考えています。
(『自閉症の子どもたち 心は本当に閉ざされているのか』酒木保)
「時間のより深い次元」ということをやや唐突な形で述べたが、たとえて言うと次のようなことである。川や、あるいは海での水の流れを考えると、表面は速い速度で流れ、水がどんどん流れ去っている。しかしその底のほうの部分になると、流れのスピードは次第にゆったりしたものとなり、場合によってはほとんど動かない状態であったりする。これと同じようなことが、「時間」についても言えることがあるのではないだろうか。日々刻々と、あるいは瞬間瞬間に過ぎ去り、変化していく時間。この「カレンダー的な時間」の底に、もう少し深い時間の次元といったものが存在し、私たちの生はそうした時間の層によって意味を与えられている、とは考えられないだろうか?(『死生観を問いなおす』広井良典)
かつてアメリカの心理学者、ウィリアム・ジェームズ(1842-1910)は、「我々は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」との考えを主張した。ほとんど同じ時期に、オランダの生理学者のカール・ランゲ(1834-1900)も同じことを言い出したので、「ジェームズ=ランゲ説」と呼ばれている。(『子供の「脳」は肌にある』山口創)
多くの事例に当たってみると、そうした子のほとんどが、なんらかのかたちで「生活が勉強だけ」という期間を、しかも小学校時代から、かなり長く過ごしている。(中略)生活が勉強だけという日常は、とくに親に対して抵抗力を持たぬ小学生にとっては想像を絶する重圧であり、虐待である。そのような不断の虐待の末に、ようやく「勉強する生活に慣れて」、つまり適応させられ、改造されてゆく。
これは一種の精神的「ロボトミー人間」ではないのか。(中略)だが、中学・高校とすすみ、体力も父親を越えるほどになったロボトミー人間が、あるとき突然目覚めたらどうなるか。「人生を返せ!」とは、ロボトミー人間が本来の人間に戻ったときの叫びなのだ。
「過保護」という言葉がよく使われる。しかし以上のような形での親の干渉(より広くは社会の干渉)は、むしろ子どもの多様な発展の可能性を刈りとって、一本のモノサシに合わせてしまうための「過虐待」であろう。となれば、家庭内暴力はその長い「過虐待」や「過干渉」に対する子供の側からの反撃であり、復讐と見ることもできる。まず直接的「加害者」としての親に対する復讐であり、結局はしかし、社会に対する復讐だ。
(『子供たちの復讐』本多勝一)
これは一種の精神的「ロボトミー人間」ではないのか。(中略)だが、中学・高校とすすみ、体力も父親を越えるほどになったロボトミー人間が、あるとき突然目覚めたらどうなるか。「人生を返せ!」とは、ロボトミー人間が本来の人間に戻ったときの叫びなのだ。
「過保護」という言葉がよく使われる。しかし以上のような形での親の干渉(より広くは社会の干渉)は、むしろ子どもの多様な発展の可能性を刈りとって、一本のモノサシに合わせてしまうための「過虐待」であろう。となれば、家庭内暴力はその長い「過虐待」や「過干渉」に対する子供の側からの反撃であり、復讐と見ることもできる。まず直接的「加害者」としての親に対する復讐であり、結局はしかし、社会に対する復讐だ。
(『子供たちの復讐』本多勝一)
ロボトミーを開発したポルトガル人の医師エガス・モニスは「一部の精神病に対するロボトミーの治療効果の発見」により、1949年にノーベル賞を受けている。時代の流行というのは恐ろしい。今日ロボトミーは全く行われていない。(『やがて消えゆく我が身なら』池田清彦)
一代前の教皇ヨハネ・パウロ1世(在位1978年、俗名アルピーノ・ルチャーニ)は、就任からわずか33日後に不審死を遂げ、〔プリヴァータ・イタリヤーナ銀行事件を起こした〕シンドーナは獄中で、青酸カリという〔リキュール〕の混じった、湯気の立つコーヒーで毒殺された。ほかに、未解決の殺人事件も起きていた。銀行家ロベルト・カルヴィがロンドンの黒人修道士(ブラックフライヤーズ)橋〔=テムズ川にかかる橋〕の下で、息絶えた状態で発見されたのである。
こうしたスキャンダルが再発する事態はあってはならなかったし、もちろんいまもあってはならない。さもなければ、信者と神の声を広める教会との信頼関係にひびが入ってしまう。もしふたたび沈黙が破られたらどうなるだろう。「知らぬ存ぜぬ」という秘密厳守の態度と、内部の人間どうしの先入観がフィルターになって、いまのところは外から事実が見えにくいようになっている。もしその状況が変わり、バチカンによる経済活動の真実が一瞬でも明るみにでたら、どうなるだろうか。バチカンの役割と機能の正当性を問う声が高まり、イメージ回復にかかる代償は計り知れないものになるだろう。
(『バチカン株式会社 金融市場を動かす神の汚れた手』ジャンルイージ・ヌッツイ:竹下・ルッジェリ・アンナ監訳、花本知子、鈴木真由美訳)
キリスト教
こうしたスキャンダルが再発する事態はあってはならなかったし、もちろんいまもあってはならない。さもなければ、信者と神の声を広める教会との信頼関係にひびが入ってしまう。もしふたたび沈黙が破られたらどうなるだろう。「知らぬ存ぜぬ」という秘密厳守の態度と、内部の人間どうしの先入観がフィルターになって、いまのところは外から事実が見えにくいようになっている。もしその状況が変わり、バチカンによる経済活動の真実が一瞬でも明るみにでたら、どうなるだろうか。バチカンの役割と機能の正当性を問う声が高まり、イメージ回復にかかる代償は計り知れないものになるだろう。
(『バチカン株式会社 金融市場を動かす神の汚れた手』ジャンルイージ・ヌッツイ:竹下・ルッジェリ・アンナ監訳、花本知子、鈴木真由美訳)
キリスト教
わずか34階のずんぐりした灰色のビル。正面玄関の上には、〈中央ロンドン孵化・条件づけセンター〉の文字と、盾形紋章に記した世界国家のモットー、“共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)”。(『すばらしい新世界』オルダス・ハクスリー:黒原敏行訳)
ディストピア
ディストピア
実はこのベン=ナメシェの本の一章にあるスパイ・プログラムが扱われているのだ。問題は、このプログラムが「トロヤの木馬」として世界中に売り出されていたことである。そのプログラムの名前は「プロミス」という。しかし市場でうられたときには異なる名前だったようだ。このプロミスは、関係書類は処理したり、報告書などの文書をデータベースに記憶させるソフトウエアだった。(『データ・マフィア 米国NSAとモサドによる国際的陰謀』E・R・コッホ、J・シュペルバー:佐藤恵子訳)
最澄の父の名は三津首百枝(みつのおびともえ)と伝えられる。三津首浄足(きよたり)という名称が最澄の戸主として記録されているけれども、戸主が必ずしも父であったとはかぎらない。現在の資料ではこれ以上のことはわからないが、三津首家は後漢の孝献帝の子孫である登万貴王を祖先とする家柄であり、応神天皇の時代に来日し、近江国滋賀郡に定着した人々の子孫であろうと推測されている。(『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵)
最澄/空海
最澄/空海
20世紀のはじめには、選挙結果や野球の試合のスコアを聞くために、大都市の新聞社の外に群衆が集まるようになった。電信は軍事作戦でも重要な役割を果たした。はじめて使用されたのはクリミア戦争中の1854年、ヴァルナにおいてで、その後はアメリカ南北戦争でも使われている。エイブラハム・リンカーンは、戦場にいる軍隊をホワイトハウスから指揮することができた最初の合衆国大統領となった。電信が登場する以前には、大統領は遠くで行なわれる戦争の戦場報告を数日、ときには数週間も待ったのである。(『黒体と量子猫 ワンダフルな物理史』ジェニファー・ウーレット:尾之上俊彦、飯泉恵美子、福田実訳)
科学
科学
(※スリランカ)政府が長年、貧民救済のためと膨大な補助金を出し、財政立て直しの邪魔をしてきた安い小麦粉は「米よりパンを好む金持ちのためよ、調べてごらん」と教えてくれたのも彼女だった。そのとおりの調査結果にアマ(※お母さん)の言葉を添えて提言したら、クマラトンガ大統領は、気付かなかった、恥ずかしい、ミエコのアマに礼を言うと、即時補助金廃止を決断した。その報告に「チャンドリカ(大統領)に、草の根を忘れてはいけない、いつでも私の家に泊めてあげるから、と言ってあげなさい」と、淡々としたアマだった。(『国をつくるという仕事』西水美恵子)
そうとも、その匂いにとらわれるとき、彼を愛せずにいられないのだ。自分と同じ人間として受け入れるだけでなく、狂ったように愛しだす。忘我のきわみに陥るだろう。よろこびにふるえ、陶酔の声をはりあげ、泣き出しさえするだろう。(『香水 ある人殺しの物語』パトリック・ジュースキント:池内紀訳)
(※米・英・露と和親条約を結んだ日本の、国内における擾乱を予想しつつ)
「こういうときにわたしたちはどうしたらよいでしょう、教えていただきたいのです」
「学問に身を入れるのです」
「いえ、いつ擾乱(じょうらん)が起こるかもわからないこの時代を、見て見ぬ振りはできません」
「だから学問をするのです」
「は?」
「力をつけるのです。世の中はこれから大きく変わっていくでしょう、かならず福沢でなければならないということがある。そのときにすぐ役立つためには力をつけておかねばなりません。さらにいうなら、世の中を動かしていく福沢になってほしい。そのために力をつけなさい」
「はい」
「この塾は全精力を注ぎ込んで、一途に学問するところです。勉強は君がするのです」
(『洪庵塾の人々』池上義一)
福澤諭吉
「こういうときにわたしたちはどうしたらよいでしょう、教えていただきたいのです」
「学問に身を入れるのです」
「いえ、いつ擾乱(じょうらん)が起こるかもわからないこの時代を、見て見ぬ振りはできません」
「だから学問をするのです」
「は?」
「力をつけるのです。世の中はこれから大きく変わっていくでしょう、かならず福沢でなければならないということがある。そのときにすぐ役立つためには力をつけておかねばなりません。さらにいうなら、世の中を動かしていく福沢になってほしい。そのために力をつけなさい」
「はい」
「この塾は全精力を注ぎ込んで、一途に学問するところです。勉強は君がするのです」
(『洪庵塾の人々』池上義一)
福澤諭吉
私がよく聞いていようといまいと、母の話は止まらなかった。「種は木から生まれて、やがて木になるわ。種が種であるのは一時的なことでしかないのよ。種から木へ移り変わるのだから、なぜ種であることにとらわれるのかしら? 同じように、私たち人間それぞれも個別性を持っているけれど、その個別性は一時的なものでしかないのよ。私たちの個別性は実際とは違って見かけだけかもしれないわ。坊やは、私がいなかったら存在するかしら? あなたが食べている食べ物なしに存在するかしら? 自分が座っている地面なしに存在するかしら? 私たちの個別性は実際には他者に依存しているのよ。個別性は他者とは分けられないものなの」
母は無学だったが、ジャイナ教の文学の多くの歌や詩、韻文を諳(そら)んじていた。
(『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール:尾関修、尾関沢人訳)
母は無学だったが、ジャイナ教の文学の多くの歌や詩、韻文を諳(そら)んじていた。
(『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール:尾関修、尾関沢人訳)
縁起という思想は釈迦の時代からあったが、空の思想は原始仏教、部派仏教においてはそれほど大きな存在ではなかった。無我思想、非我思想というのは実質的には空の思想と同じ意味を持っているものであり、そういう意味では大きな思想であったが、竜樹までは縁起ということと空ということは違う流れとして伝えられてきた。竜樹は歴史的には別であった二つの思想を結びつけたのである。(『空の思想史 原始仏教から日本近代へ』立川武蔵)
仏教
仏教
しかし、授業の中で子どもが集中するちからをもっているというのは、可能性としてもっているので、教師がきびしく授業を組織するのに成功するときだけ、それは引き出されて現前する。(中略)子どもが集中する力をもっているということは、集中すべき対象があるときには集中するということで、それは同時に、その対象が欠けているときには、とめどもなく散乱する。どうしようもなく散乱するということなのです。それがすなわち子どもが集中する力をもつということなのです。集中すべき対象が欠けているときでも、「集中」しているというのはウソです。にせものです。行儀よくしていることと集中していることとは全く別の事です。(『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと』林竹二)
教育
教育
インドにしても中国にしてもそうですが、それまで大英帝国に対抗できるような国はアジアに存在しないと考えられていました。それを日本がものの見事にやってのけた。その衝撃と影響は東南アジアから中東にまで及んでいるのです。それは米英からみれば、日本ほど恐ろしい国はないということになります。日本を二度と立ち上がれないように封じ込めなければならない、と。そして日本の敗戦後、ただちに大日本帝国を五つに分割し、日本を断罪するための極東軍事裁判(東京裁判)を開きました。(『この国を呪縛する歴史問題』菅沼光弘)
野口●僕の言うことはいつも結論が出せないんです。唯未決定論ですね。本書にも書きましたが、唯情報論は言い換えれば、唯差異論、唯変化論、唯流動論、唯関係論……和語で言えば、唯こと論です。「こと」というのは漢字をあてはめるとわかりやすいです。言葉の言(こと)、事柄の事(こと)、事実の事(こと)、異なるの異(こと)、殊にの殊(こと)、和語ではこれらの意味すべてをひっくるめて「こと」と言っています。和語はそういうふうに意味の範囲が広い。「ことば」という言葉は、このような「こと(差異)」の端を全体から抽き出して名づけたものだと言えるでしょう。(『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三)
そしてまたこの息 ――息、消える、呼吸するために。呼吸、そして消える。――この息、まさにこの瞬間、詩が持つであろうことば、詩が持つようにおもわれることば、とどめられたことばを見て、わたしたちがわたしたちの終わりが遂げられた、と考える、その瞬間のなかに。(『デュブーシェ詩集 1950-1979』アンドレ・デュブーシェ:吉田加南子訳)
私の基本的な考え方は、あなたがトレードしているのは市場ではなく、あなたがトレードできるのはマーケットについてあなたが信じていることだけであるということだ。(『新版 魔術師たちの心理学 トレードで生計を立てる秘訣と心構え』バン・K・タープ)
恐ろしい戦争は恐ろしい結末を迎えることとなった。アメリカが原子爆弾を最初に広島に、続いて長崎に落とした結果、20万人もの人びとが瞬時に殺された。その後、さらに何万人もの人が原子爆弾の後遺症で死んだ。
「願わくは、原爆投下が神の貴き目的実現のための御業であらんことを」ハリー・トルーマン大統領
原爆投下以前に、日本の敗戦はすでに確実になっていた。原爆投下の主な目的は、アメリカのあたらしい大量破壊兵器の恐るべき殺人力を世界に見せつけることにあった。
(『戦争中毒 アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由』ジョエル・アンドレアス:きくちゆみ、グローバルピースキャンペーン有志訳)
「願わくは、原爆投下が神の貴き目的実現のための御業であらんことを」ハリー・トルーマン大統領
原爆投下以前に、日本の敗戦はすでに確実になっていた。原爆投下の主な目的は、アメリカのあたらしい大量破壊兵器の恐るべき殺人力を世界に見せつけることにあった。
(『戦争中毒 アメリカが軍国主義を脱け出せない本当の理由』ジョエル・アンドレアス:きくちゆみ、グローバルピースキャンペーン有志訳)
その年の9月1日、日本では関東大震災が起こっていた。大震災のニュースはベルリンにも届いた。しかし、現在ほど通信が発達していなかった当時、日本で起こった地震は富士山すらも吹き飛ばしたと書き立てられた。東京からの電報為替も一時不通になった。(『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪)
斎藤秀雄
斎藤秀雄
そういう意味で人間は「言葉する存在」です。
その言葉は、世界を切り取って名付けていく単語つまり語彙と、文体(スタイル)からなり、これらのあり方が人間の思考を決定づけています。文体というのは語彙を載せる船のようなもので、その船が思考の枠組みとして、あるいは文化として一番大きな力を持っています。われわれはその船を離れて思考することはできません。思考や行動は具体的な言語のなかに微粒子的に存在し、これと一体のもので、自分たちの文体のあり方をどのように変えていくかを考えないかぎり歴史が変わっていくことにはなりません。またこのことは、人間の歴史が、言葉(語彙と文体)から離れられず、したがって言葉の枠組が変われば、歴史もまた異なった姿であらわれる事実を意味します。
(『漢字がつくった東アジア』石川九楊)
その言葉は、世界を切り取って名付けていく単語つまり語彙と、文体(スタイル)からなり、これらのあり方が人間の思考を決定づけています。文体というのは語彙を載せる船のようなもので、その船が思考の枠組みとして、あるいは文化として一番大きな力を持っています。われわれはその船を離れて思考することはできません。思考や行動は具体的な言語のなかに微粒子的に存在し、これと一体のもので、自分たちの文体のあり方をどのように変えていくかを考えないかぎり歴史が変わっていくことにはなりません。またこのことは、人間の歴史が、言葉(語彙と文体)から離れられず、したがって言葉の枠組が変われば、歴史もまた異なった姿であらわれる事実を意味します。
(『漢字がつくった東アジア』石川九楊)
キャンプへ、私は抱え切れないくらいたくさんの本を持って行った。とはいっても、人を教えるのに役に立ちそうな知識を本から吸収してやろう、という欲張った考え方からではない。荒川さんから教わった指導者の心得に従ったまでだ。
「選手と一緒に行動する時は麻雀はするな。退屈したら本を読め」
と荒川さんはいっていたのである。麻雀をしてはいけないという理由は、
「キャンプや遠征先の宿舎の部屋へは、いつ選手が訪ねてくるかわからない。そういうとき、麻雀をしていて“ちょっと待ってろ”というのでは、人を指導する資格はない。部屋まで訪ねてくるような選手は十人中十人までが何か悩みごとや相談ごとをかかえているものだ。そういう選手の相手をしてやれないようでは、指導者としては落第である。また、どんな優れた指導者でも、心が通じ合わなければ、なにごとも成し得ない。せっかく部屋まで訪ねてきた選手の意欲まで、たかが遊びの麻雀くらいで潰してしまってはいけない」
というものである。
(『回想』王貞治)
「選手と一緒に行動する時は麻雀はするな。退屈したら本を読め」
と荒川さんはいっていたのである。麻雀をしてはいけないという理由は、
「キャンプや遠征先の宿舎の部屋へは、いつ選手が訪ねてくるかわからない。そういうとき、麻雀をしていて“ちょっと待ってろ”というのでは、人を指導する資格はない。部屋まで訪ねてくるような選手は十人中十人までが何か悩みごとや相談ごとをかかえているものだ。そういう選手の相手をしてやれないようでは、指導者としては落第である。また、どんな優れた指導者でも、心が通じ合わなければ、なにごとも成し得ない。せっかく部屋まで訪ねてきた選手の意欲まで、たかが遊びの麻雀くらいで潰してしまってはいけない」
というものである。
(『回想』王貞治)
終戦直後から今日まで、延々と繰り返されている反日史観(日本断罪史観)の根底は、東京裁判史観と1932年(昭和7年)のコミンテルン・テーゼ(「32年テーゼ」)にある。
「32年テーゼ」とは、ソ連共産党が日本共産党に与えた指令書で、日本を強盗国家・封建的帝国主義国家と一方的に弾劾(だんがい)したものである。しかも、証拠も根拠もお構いなし。終始、嘘でかためた言いっ放しにすぎないが、以来、この指令書は反日的日本人の“聖典”とされつづけた。日本人の「自虐の系譜」はかくも根深い。自国の歴史を他国からズタズタに干渉されることを容認するばかりか、狂喜乱舞してこれに飛びつく――。
(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』小室直樹)
日本近代史
「32年テーゼ」とは、ソ連共産党が日本共産党に与えた指令書で、日本を強盗国家・封建的帝国主義国家と一方的に弾劾(だんがい)したものである。しかも、証拠も根拠もお構いなし。終始、嘘でかためた言いっ放しにすぎないが、以来、この指令書は反日的日本人の“聖典”とされつづけた。日本人の「自虐の系譜」はかくも根深い。自国の歴史を他国からズタズタに干渉されることを容認するばかりか、狂喜乱舞してこれに飛びつく――。
(『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、滅亡する』小室直樹)
日本近代史
菅沼●とにかく今の麻薬取引はみんなにせ札で行われているんです。
例えば、東南アジアで昔からいろんな取引があったでしょう。そこではにせ札が本当の通貨として流通している。これは一体何だ。
ドルというのは日本の日銀券と違うんです。あんなものは私的な銀行のものですよ。バンクノートですよ。香港のホンシャン銀行が出している香港ドルと同じです。よく言われているように、CIAの活動資金は、みんなにせ札です。だって、基軸通貨だからアメリカはどんどんドルを出せる。アメリカのCIAが使っているおカネは全部自分たちでつくったおカネ。昔のKGBも、どんどんスーパーKをつくった。そのKGBの印刷機を北朝鮮はいただいちゃった。
(『国家非常事態緊急会議 日本人よ! こうして植民支配のくびきを断て!』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄)
例えば、東南アジアで昔からいろんな取引があったでしょう。そこではにせ札が本当の通貨として流通している。これは一体何だ。
ドルというのは日本の日銀券と違うんです。あんなものは私的な銀行のものですよ。バンクノートですよ。香港のホンシャン銀行が出している香港ドルと同じです。よく言われているように、CIAの活動資金は、みんなにせ札です。だって、基軸通貨だからアメリカはどんどんドルを出せる。アメリカのCIAが使っているおカネは全部自分たちでつくったおカネ。昔のKGBも、どんどんスーパーKをつくった。そのKGBの印刷機を北朝鮮はいただいちゃった。
(『国家非常事態緊急会議 日本人よ! こうして植民支配のくびきを断て!』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄)
こんなふうに情報を「ごちゃまぜ」に入れておいて大丈夫かと思うかもしれませんが、大丈夫です。いや「ごちゃまぜ」だからこそ、どんなジャンルの本の読書メモでも、どんな内容のしごとでも、何についてのアイデアだろうと、【「どこに書けばいいのか」と迷うことなく、すぐさま1冊のノートに入れることができるのです】。(『情報は1冊のノートにまとめなさい 完全版』奥野宣之)
読書メモを手で書くのは面倒ではないか、と思う人は多いでしょう。
僕もよく億劫(おっくう)に思います。
しかし【「面倒だからこそ身につく」】ということも言えるのです。山の頂上にロープウェイで行くのと苦労しながら自分の足で行くのとでは、結果は同じでも、体験としては、またく違うものになるでしょう。そうやって手間暇かけることで、はじめて十分な見返りが得られるという一面もあるわけです。
本の抜き書きをしたり、感想を手で書き残すことはただの「作業」ではありません。
確実に、【将来のアウトプットの仕込み】になるのです。
(『読書は1冊のノートにまとめなさい 完全版』奥野宣之)
僕もよく億劫(おっくう)に思います。
しかし【「面倒だからこそ身につく」】ということも言えるのです。山の頂上にロープウェイで行くのと苦労しながら自分の足で行くのとでは、結果は同じでも、体験としては、またく違うものになるでしょう。そうやって手間暇かけることで、はじめて十分な見返りが得られるという一面もあるわけです。
本の抜き書きをしたり、感想を手で書き残すことはただの「作業」ではありません。
確実に、【将来のアウトプットの仕込み】になるのです。
(『読書は1冊のノートにまとめなさい 完全版』奥野宣之)
「交換価値は価値の現象形態にすぎず、〈価値〉ではない」と、1879年から80年にかけて書かれた「アードルフ・ヴァグナー著『経済学教科書』への傍注」(杉本俊朗訳、『マルクス=エンゲルス全集』第19巻、所収、大月書店)のなかでマルクスははっきりとのべている。(『貨幣論』岩井克人)
著名な民族音楽学者ブルーノ・ネトルは、音楽を“言語の埒外にある、音による人間のコミュニケーション”と定義した。おそらく、これより妥当な定義は無理だろう。(『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化』スティーヴン・ミズン:熊谷淳子訳)
感動というコトバがブームなのか知りませんが、以前はスポーツ選手が「感動を与えたい」などと口にはしなかったと思います。感動する、しないは受けるほうの自由なのですから、謙虚な気持ちがあればそんなことは言わないはずです。
それにしてもここまで日本人は感動に飢えているのかと言いたくなります。感動を与えてもらいたいほど感動のない生活をしているということかもしれません。しかし感動は与えられるものでなく、みずから動いてつくっていく積極的なものであるはずです。何かを感じて動くことで湧いてくるものです。感動は人から簡単に与えられるほど安直なものではないのです。
(『運に選ばれる人 選ばれない人』桜井章一)
それにしてもここまで日本人は感動に飢えているのかと言いたくなります。感動を与えてもらいたいほど感動のない生活をしているということかもしれません。しかし感動は与えられるものでなく、みずから動いてつくっていく積極的なものであるはずです。何かを感じて動くことで湧いてくるものです。感動は人から簡単に与えられるほど安直なものではないのです。
(『運に選ばれる人 選ばれない人』桜井章一)
頭が痛い、肩がこる、冷える、肌が荒れる、生理不順など、病名がつくほどではないけれど、どうにかしたい不快な症状……これらはすべて脳から発せられるSOSのサインだと思ってください。不調が生じるのは、脳が「ここを見て!」と声を上げているのです。このサインを軽視してはいけません。放っておくと症状はどんどんエスカレートして、取り返しがつかないほど進んでしまいます。
そこで、ツボです。サインを敏感に察知する方法として、ツボはとてもいいのです。脳には体中の情報が集まっていますが、脳は神経とつながっており、神経は、体中のたくさんのツボとつながっているのです。
(『一目でわかる! 必ず見つかる! ホントのツボがちゃんと押せる本』加藤雅俊)
そこで、ツボです。サインを敏感に察知する方法として、ツボはとてもいいのです。脳には体中の情報が集まっていますが、脳は神経とつながっており、神経は、体中のたくさんのツボとつながっているのです。
(『一目でわかる! 必ず見つかる! ホントのツボがちゃんと押せる本』加藤雅俊)
ローマ人は市内になだれこんだが、アルキメデスは周囲のパニックを気に掛けなかった。地面に座り、砂のうえに円をかいて、ある定理を証明しようとしていた。服を汚した75歳のアルキメデスに、一人のローマ兵が、ついてこいと命じた。アルキメデスは拒んだ。数学的証明がまだ終わっていなかったからだ。怒った兵士はアルキメデスを斬り殺してしまった。かくして、古代世界最高の知性はローマ人によって不必要に殺されるという形で死んだのだった。(『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ:林大訳)
数学
数学
あらゆる人間が、建設的で心暖まる話しか話題にしないような、そんな世の中が理想だと考える連中がいるのは仕方がないにしても、すべての人間にそうしたふるまいを強要する権利は誰にもないはずだ。
言うまでもないことだが、この世の中には、人間がした行為を裁く法律はあっても、人間がアタマの中で考えていることを裁く法律はない。
ところが、今回の事件を通じて、あなたがた(と、ついに二人称を使いはじめる)がしようとしたことは、ミヤザキ(※宮崎勤)の行為をではなく、ミヤザキの生活姿勢や性格や家庭環境を裁くことであり、彼のアタマの中味を裁くことだった。
ということはつまり、我々(いっそ、一人称を使うことにしましょう)は、ミヤザキのみならず、人間一般の「孤独」を裁こうとしたということなのだ。
(『安全太郎の夜』小田嶋隆)
言うまでもないことだが、この世の中には、人間がした行為を裁く法律はあっても、人間がアタマの中で考えていることを裁く法律はない。
ところが、今回の事件を通じて、あなたがた(と、ついに二人称を使いはじめる)がしようとしたことは、ミヤザキ(※宮崎勤)の行為をではなく、ミヤザキの生活姿勢や性格や家庭環境を裁くことであり、彼のアタマの中味を裁くことだった。
ということはつまり、我々(いっそ、一人称を使うことにしましょう)は、ミヤザキのみならず、人間一般の「孤独」を裁こうとしたということなのだ。
(『安全太郎の夜』小田嶋隆)
彼女(※鶴見和子)は大腸癌でまもなく亡くなりましたが、その前にリハビリを打ち切られ、とうとう起き上がれなくなった現実が深く影を落としています。直接の死因は癌でも、間接的にはリハビリ打ち切りがこの碩学を殺したのです。
彼女も生前しきりに「小泉に殺される」といっていたそうです。
(『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』多田富雄)
彼女も生前しきりに「小泉に殺される」といっていたそうです。
(『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』多田富雄)
(ジェノサイドが始まった直後)私たちの羊飼いは子羊を見捨てた。さっさと逃げてしまった。子供を連れて行くことさえしないで、私には、両司祭が私たちを見捨てた事実を理解することも受け入れることできなかった。二人は小型バスに乗る前に、誰にともなくこう言った。
「お互いに愛し合いなさい」
「自分の敵を赦(ゆる)してあげなさい」
自らの隣人に殺されようとしているその時の状況にふさわしい言葉ではあったが、それは私たちを取り囲んでいるフツ族に言うべきだろう。
司祭の一人はベルギーに避難した後、こうもらしたという。「地獄にはもう悪魔はいない。悪魔は今、全員ルワンダにいる」と。神に仕える者が、迷える子羊たちを荒れ狂うサタンの手に引き渡すとは、感心なことだ!
ある修道女もトラックに乗る前に、周りに殺到してきた人々に向かって「幸運を祈ります!」と言っていた。ありがとう、修道女様。確かに幸運が来れば言うことなしなのだが。
(『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明訳)
「お互いに愛し合いなさい」
「自分の敵を赦(ゆる)してあげなさい」
自らの隣人に殺されようとしているその時の状況にふさわしい言葉ではあったが、それは私たちを取り囲んでいるフツ族に言うべきだろう。
司祭の一人はベルギーに避難した後、こうもらしたという。「地獄にはもう悪魔はいない。悪魔は今、全員ルワンダにいる」と。神に仕える者が、迷える子羊たちを荒れ狂うサタンの手に引き渡すとは、感心なことだ!
ある修道女もトラックに乗る前に、周りに殺到してきた人々に向かって「幸運を祈ります!」と言っていた。ありがとう、修道女様。確かに幸運が来れば言うことなしなのだが。
(『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ:山田美明訳)
早期リハビリテーションと称して急性期に早期起立や早期歩行を求めると、脳の自然回復を遅らせる可能性がある。さらに、早期起立や早期歩行は「痙性(spasticity)」という異常な緊張感を増悪させる主原因となる。痙性がどれほど患者の動きを制限するか、また一度発現するとその異常な筋緊張の制御がどれほど困難であるかは、臨床で働くセラピストなら誰もが知っているはずである。(『リハビリテーション・ルネサンス 心と脳と身体の回復、認知運動療法の挑戦』宮本省三)
リハビリ
リハビリ
しかし、障害をもったとしても、障害というものは、その人の全体の中のごく一部にすぎない。その人自身の価値(存在価値)は、まったくそこなわれていない。それなのに、障害によって失ったものだけに目を向けてしまうのは偏った価値観に支配されているからである。
そのような状態から立ち直るということは、結局、価値観を転換するということが基本になる。単に、弱い気持ちを強い気持ちにするということではない。これまでの人生観そのものを根本から変えるわけであるから、これが実は、一番難しいことかもしれない。
(『リハビリテーション 新しい生き方を創る医学』上田敏)
リハビリ
そのような状態から立ち直るということは、結局、価値観を転換するということが基本になる。単に、弱い気持ちを強い気持ちにするということではない。これまでの人生観そのものを根本から変えるわけであるから、これが実は、一番難しいことかもしれない。
(『リハビリテーション 新しい生き方を創る医学』上田敏)
リハビリ
ヨーロッパ各地でナチスが虐殺したユダヤ人の数
ドイツ 18万人
オーストリア 5万人
チェコスロヴァキア 25万人
フランス 6.5万人
ルクセンブルク 3000人
スカンディナビア 7万人
オランダ 10.2万人
イタリア 9000人
ユーゴスラヴィア 5.1万人
ギリシャ 6.2万人
ルーマニア 20.9万人
ハンガリア 19万人
ブルガリア 5000人
ソ連 75万人
ベルギー 3万人
計 447万9700人
(『新版 リウスのパレスチナ問題入門』エドワルド・デル・リウス:山崎カヲル訳)
パレスチナ
ドイツ 18万人
オーストリア 5万人
チェコスロヴァキア 25万人
フランス 6.5万人
ルクセンブルク 3000人
スカンディナビア 7万人
オランダ 10.2万人
イタリア 9000人
ユーゴスラヴィア 5.1万人
ギリシャ 6.2万人
ルーマニア 20.9万人
ハンガリア 19万人
ブルガリア 5000人
ソ連 75万人
ベルギー 3万人
計 447万9700人
(『新版 リウスのパレスチナ問題入門』エドワルド・デル・リウス:山崎カヲル訳)
パレスチナ
人が体験するのは、生の感覚データではなく、そのシミュレーションだ。感覚体験のシミュレーションとは、現実についての仮説だ。このシミュレーションを、人は経験している。物事自体を体験しているのではない。物事を感知するが、その感覚は経験しない。その感覚のシミュレーションを体験するのだ。
この見解は、非常に意味深長な事柄を述べている。すなわち、人が直接体験するのは錯覚であり、錯覚は解釈されたデータをまるで生データであるかのように示す、というのだ。この錯覚こそが意識の核であり、解釈され、意味のある形で経験される世界だ。
(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳)
認知科学
この見解は、非常に意味深長な事柄を述べている。すなわち、人が直接体験するのは錯覚であり、錯覚は解釈されたデータをまるで生データであるかのように示す、というのだ。この錯覚こそが意識の核であり、解釈され、意味のある形で経験される世界だ。
(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳)
認知科学
1995年にオクラホマ・シティの連邦ビルを爆破した犯人、ティモシー・マクベイがすぐに逮捕されていなかったら、米国はミシガン州を初め(ママ)とする、マクベイが故郷と呼ぶ場所を攻撃しただろうか。そんなことはしない。マクベイを発見して処罰するまで、大規模な捜査をするだけである。けれども、米国は、アフガニスタンに関して、タリバン政権を支持する人々を、アフガニスタン人であろうと外国人であろうと「テロリスト」であるとし、法的ではないにせよ道徳的に、9月11日の惨劇か、そうでなければ過去の反米テロリズムに関わっていると決めつけた。そして、アフガンへの攻撃は、フェア・ゲームであるとしたのである。(『アメリカの国家犯罪全書』ウィリアム・ブルム:益岡賢訳)
ひろさちや●1232年(貞永元年)に「貞永式目」(正しくは「御成敗式目」)が制定されると養老律令が停止されてしまう。ですから、法然上人、親鸞聖人が島流しになったときは、まず僧籍を剥奪して、そして一般人に戻して流罪という刑罰を科しています。これは、僧にはいきなり国家権力は介入できない。教団は治外法権ですから。だから、一遍、僧を俗人に戻さないといけない。そうじゃないと処分できないわけですね。ところが「御成敗式目」以後はそうではない。日蓮はいきなり「首切り」の処分を受ける。これは単に悪口を言った、治安を乱したというだけでの処刑ですね。ですから、養老律令に照らしての処分じゃない。ただ軍事政権が、戒厳令政府が勝手にやったものですね。(『ものぐさ社会論 岸田秀対談集』岸田秀)
美しい自然を眺め、或いは、美しい絵を眺めて感動した時、その感動はとても言葉で言い表せないと思った経験は、誰にでもあるでしょう。諸君は、なんとも言えず美しいと言うでしょう。このなんとも言えないものこそ、絵かきが諸君の眼を通じて直接に諸君の心に伝えたいと願っているのだ。音楽は、諸君の耳から這入って真直ぐに諸君の心に到り、これを波立たせるものだ。美しいものは、人を沈黙させる力があるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。絵や音楽が本当に分かるということは、こういう沈黙の力に堪える経験をよく味わうことにほかなりません。(『モオツァルト・無常という事』小林秀雄)
(氾濫する科学情報を識別するための十カ条)
1.懐疑主義を貫き、多様な情報を収集して自分自身で判断する
2.「○○を食べれば……」というような単純な情報は排除する
3.「危険」「効く」など極端な情報は、まず警戒する
4.その情報がだれを利するか、考える
5.体験談、感情的な訴えには冷静に対処する
6.発表された「場」に注目する。学術論文ならば、信頼性は比較的高い
7.問題にされている「量」に注目する
8.問題にされている事象が発生する条件、とくに人に当てはまるのかを考える
9.他のものと比較する目を持つ
10.新しい情報に応じて柔軟に考えを変えてゆく
(『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』松永和紀)
1.懐疑主義を貫き、多様な情報を収集して自分自身で判断する
2.「○○を食べれば……」というような単純な情報は排除する
3.「危険」「効く」など極端な情報は、まず警戒する
4.その情報がだれを利するか、考える
5.体験談、感情的な訴えには冷静に対処する
6.発表された「場」に注目する。学術論文ならば、信頼性は比較的高い
7.問題にされている「量」に注目する
8.問題にされている事象が発生する条件、とくに人に当てはまるのかを考える
9.他のものと比較する目を持つ
10.新しい情報に応じて柔軟に考えを変えてゆく
(『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』松永和紀)
かつて(1989年)天安門事件というのがありました。そのときに、天安門を占拠した若い学生のなかから「中国共産党打倒」のスローガンが出たのですね。これに、その当時の、鄧小平を中心とする古い指導者たちは物凄くショックを受けたわけです。そこで、鄧小平たちが考えたのは、「これでは駄目だ。若者に愛国教育をやらんといかん」ということでした。愛国教育とは、「中華人民共和国をつくるについて(ママ)、中国共産党が日本軍国主義の侵略を排除するためにどれだけ苦労したか」ということを教えるということです。
つまり彼らの言う愛国教育というのはイコール反日教育です。これを江沢民体制の10年ずっとやってきた。そして、今も続けています。
(『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘)
つまり彼らの言う愛国教育というのはイコール反日教育です。これを江沢民体制の10年ずっとやってきた。そして、今も続けています。
(『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘)
知は力である。
人間の知がライオンの筋肉を打ち砕き、いとも簡単に檻の中に閉じこめることができる。信じられないことだが「知」は現実の世界では「力」として働くのである。
そして、「知イコール力」という原理原則がはたらく(ママ)のは暴力の世界だけではない。お金の世界でも同じことである。知を獲得した物が他を圧倒する。
(『国債は買ってはいけない!』武田邦彦)
人間の知がライオンの筋肉を打ち砕き、いとも簡単に檻の中に閉じこめることができる。信じられないことだが「知」は現実の世界では「力」として働くのである。
そして、「知イコール力」という原理原則がはたらく(ママ)のは暴力の世界だけではない。お金の世界でも同じことである。知を獲得した物が他を圧倒する。
(『国債は買ってはいけない!』武田邦彦)
国家による組織的宣伝は、それが教育ある人びとに支持されて、反論し難くなったら、非常に大きな効果を生む。この教訓は、のちにヒトラーをはじめとして多くの者が学び、今日にいたるまで踏襲されている。(『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会』ノーム・チョムスキー:鈴木主税訳)
メディア/プロパガンダ
メディア/プロパガンダ
もし日本が核武装したとき一番最初にどこを核攻撃するか。平壌や北京ではなく、ニューヨークやワシントンに飛んでくると、アメリカは本気で考えているのです。それはなぜか。「報復」という言葉があります。「目には目を。歯には歯を」つまり広島、長崎です。我々は一切意識していないが、アメリカ陸軍の刑法典には、「報復は正義」と書いてある。報復は認められ、許されるんです。我々がアメリカにやられたということで、日本がアメリカに核兵器を撃ち込むということは違法にはならない。今、日本が核を落とされた唯一の国として、本当に心から全世界の平和を求めて、核を持たないことを宣言して、崇高なる平和国家として世界に立ち向かおうとしていますが、世界はそれを信じていないというのが現実です。したがって、責任ある政治家としては、核武装を一方的に主張することはできない。(『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘)
人は会社を辞めるのではなく、そのマネジャーと別れるということだ。かつては優秀な人材を引き留めるために莫大な金が投入されてきた。給与を上げ、特典を与え、高度なトレーニングを提供するなどの手を打つためだ。ところが定着率は、たいていの場合マネジャーの問題なのだ。もし定着率が悪かったら、まずマネジャーに注意を向けるべきだろう。(『まず、ルールを破れ すぐれたマネジャーはここが違う』マーカス・バッキンガム&カート・コフマン:宮本喜一訳)
ジョン・スチュアート・ミルがはるか昔に理解したように、継続的な批判に晒されない真実は、最後には「誇張されることによって真実の効力を停止し、誤りとなる」のである。(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』ノーマン・G・フィンケルスタイン:立木勝訳)
ユダヤ人/ホロコースト
ユダヤ人/ホロコースト
1920年代のはじめに、あるジャーナリストが(アーサー・)エディントンに向かって、一般相対論を理解しているものは世界中に3人しかいないと聞いているが、と水を向けると、エディントンはしばらく黙っていたが、やがてこう答えたそうだ。「はて、3番目の人が思い当たらないが」。(『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』スティーヴン・ホーキング:林一訳)
相対性理論
相対性理論
言葉の歴史の分析から得られるこのような特色は、おそらく今日にいたるまで続いている日本人の美意識の特質を物語るものとしてきわめて興味深い。その特質とは、第一に、「うつくし」がもともと愛情表現を意味する言葉であったことからも明らかなように、きわめて情緒的、心情的であるということであり、第二に「くはし」「きよし」に見られるように、日本人は、「大きなもの」「力強いもの」「豊かなもの」よりも、むしろ「小さなもの」「愛らしいもの」「清浄なもの」にいっそう強く「美」を感じていたということである。このことは、西欧の美意識の根となったギリシャにおいて、「美」が「力強いもの」や「豊かなもの」と結びついていたのと、対照的であると言ってよいであろう。(『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾)
なぜ、そうなるのか。私に言わせれば、原因は一つです。日本人は総論、つまり「あれか、これか」という基本的な決断を避け、つねにまとまりのない各論の話に陥っていくからです。政策においても大きな国家的立場や国益を意識せず、決断を要する総論は措(お)いて小さな細部から作り上げていく。(『日本人として知っておきたい外交の授業』中西輝政)
日本近代史
日本近代史
まず、第一の修行は、相手の話を「素直に」聞くことです。相手に反論したいときも、話をよく聞いてあげると、相手の意見も自然とおだやかになり、反論しなくてすむことのほうが多いのです。これが聞き上手のだいご味なのです。(『プロカウンセラーの聞く技術』東山紘久)
カウンセリング
カウンセリング
要するに彼らは、「スズメのように食べ、ゾウのように排便する」トレーダーなのだ。これでは口座が持ちこたえられるはずがない。さらに悪いことに、感情の奴隷になるというこの悪循環は、まともにぶつかって気づかされるまで終わることはない。(『フルタイムトレーダー 完全マニュアル 戦略・心理・マネーマネジメント』ジョン・F・カーター:山下恵美子訳)
投資/トレード
投資/トレード
友とは暗闇の中ですがりつく対象ではありません。携帯で呼び出すと、飛んでくるだけの人ではありません。もちろん、友はそういうこともしてくれます。でも、それだけでは「都合の良い人」であっても友ではありません。(『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥)
ブッダ/宗教
ブッダ/宗教
イアンブリコスによれば、ピュタゴラスは即座に鍛冶屋に駆け込むと、ハンマーの音の響き合いを調べはじめた。そして、ほとんどのハンマーは同時に打ち鳴らされると調和する音を出すのに対して、ある一つのハンマーが加わったときだけは必ず不快な音になることに気づいたのである。彼はハンマーの重さを調べてみた。その結果、互いに調和し合う音を出すハンマー同士は、それぞれの重さのあいだに単純な数学的関係のあることがわかった――ハンマーの重さの比が簡単な値になっていたのだ。たとえば、あるハンマーの重さに対して、その2分の1、3分の2、4分の3などの重さを持つハンマーはいずれも調和する音を出す。一方、どのハンマーといっしょに叩いても不調和な音を出すハンマーは、ほかのハンマーと簡単な重さの比になっていなかったのだ。
こうしてピュタゴラスは、和音をもたらしているのは簡単な数比であることを発見した。科学者たちはイアンブリコスのこの記述に疑問を投げかけているけれども、ピュタゴラスが一本の弦の特性を調べ、音楽における数比の理論をリラに応用したのは確からしい。
(『フェルマーの最終定理』サイモン・シン:青木薫訳)
こうしてピュタゴラスは、和音をもたらしているのは簡単な数比であることを発見した。科学者たちはイアンブリコスのこの記述に疑問を投げかけているけれども、ピュタゴラスが一本の弦の特性を調べ、音楽における数比の理論をリラに応用したのは確からしい。
(『フェルマーの最終定理』サイモン・シン:青木薫訳)
「スー族には、ある程度、中央集権的な政治制度があった。征服者に対して短い期間、見事に抵抗したけれど、実際には10年もたなかった。ところがアパッチ族は、何百年も征服されることなく戦い続けた」。アパッチ族が生きのびたのは、「政治権力を分散して、なるべく中央集権を避けていた」からだという。(『ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ』オリ・ブラフマン、ロッド・A・ベックストローム:糸井恵訳)
インディアン
インディアン
物理学や化学は不変の実体という夢を追い続け、ほぼその夢を実現しつつある。翻(ひるがえ)って生物学をみれば、生物は物質と同じレベルの同一性を担っているわけではない。確かに、生物を構成する部品である水やタンパク質やDNAは、さしあたって構造が確定した、とりあえずの同一性を保つ物質である。しかし、タンパク質やDNAそのものはもちろん生物ではない。生物の本質は物質とは独立の霊魂であるとの考えを採らなければ、生物は確かに物質のみで構成されている。しかし、たとえば細胞は、生きて動いている限り、決して構造が確定した物体ではない。ならば細胞とは何か。それは細胞を構成する物質(主として高分子)間の関係性であると、さしあたっては考えるより仕方がない。(『生物にとって時間とは何か』池田清彦)
以上の事例が示すことは、たいていの階層社会にあっては、有能すぎる者は無能な者よりも不愉快な存在だということです。
通常の無能人間は、これまで見てきたとおり、クビの対象にはなりません。たんに出世できないだけです。ところがスーパー有能人間は、解雇されてしまうことが少なくありません。なぜなら、スーパー有能人間は階層社会を崩壊させ、それゆえ、「階層は維持しなければならない」という「階層社会第一の掟(おきて)」に違反するからです。
(『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル:渡辺伸也訳)
【の法則】
通常の無能人間は、これまで見てきたとおり、クビの対象にはなりません。たんに出世できないだけです。ところがスーパー有能人間は、解雇されてしまうことが少なくありません。なぜなら、スーパー有能人間は階層社会を崩壊させ、それゆえ、「階層は維持しなければならない」という「階層社会第一の掟(おきて)」に違反するからです。
(『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル:渡辺伸也訳)
【の法則】
本物の逆説の単純な例は、「嘘つきの逆説」である。エウブリデスという紀元前4世紀のギリシア哲学者が考案したこの逆説は、誤ってエピメニデスのものとされているが、エピメニデスは仮託された語り手にすぎない(プラトンの対話篇に出てくるソクラテスのようなものだ)。クレタのエピメニデスは、「クレタ人はみな嘘つきだ」と言ったとされる。これを完全な逆説に転換するために、少しずるをして、戯れに、嘘つきとは、言っていることがすべて本当ではない人のことだと定義しよう。するとエピメニデスは、要するに「私は今嘘をついている」、あるいは「この文は間違っている」と言っていることになる。(『パラドックス大全』ウィリアム・ストーン:松浦俊介訳)
私のような無責任な面白がりは、絶対に戦争をしないのだ。ゲームにはつき合っても戦争にはつき合わないのである。
歴史を振り返ってみれば明らかな通り、戦争は、戦争を「面白がる」余裕なんてさらさら持ち合わせず、眉間にしわを寄せてリキみ返り、「正義の感情」にたやすく身を焦がし、そして、最終的には「平和を守る」ために「闘って」しまうような、そういう小児的熱血挺身傾向の人々によって引き起こされるものなのだ。
我々ゲーマーは、戦争みたいな、洗練度の低い、質の悪いゲームにはつき合わない。せいぜい高見の見物を決め込んで、嘲笑するだけだ。
(『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆)
歴史を振り返ってみれば明らかな通り、戦争は、戦争を「面白がる」余裕なんてさらさら持ち合わせず、眉間にしわを寄せてリキみ返り、「正義の感情」にたやすく身を焦がし、そして、最終的には「平和を守る」ために「闘って」しまうような、そういう小児的熱血挺身傾向の人々によって引き起こされるものなのだ。
我々ゲーマーは、戦争みたいな、洗練度の低い、質の悪いゲームにはつき合わない。せいぜい高見の見物を決め込んで、嘲笑するだけだ。
(『パソコンゲーマーは眠らない』小田嶋隆)
アメリカがソ連と異なるのは、マルクスのように生きていた人間からイデオロギーを与えられたのではなく、神から使命を与えられたという点だ。神がアメリカ国民に与え給うた指名を、実行するために建国したのだ。
かつてフランクリン・ルーズベルト大統領は、「政治では、偶然に起こることなど一つもない。何かが起これば、それは間違いなくそうなるように、あらかじめ計算されていたからなのだ」と言った。たびたび引用される有名な一節である。
アメリカは神が与えた使命、つまり自由と民主主義を、世界に広めていく。神に与えられた目的に従って、計画的にさまざまなことをやってきたというわけだ。
(『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘)
かつてフランクリン・ルーズベルト大統領は、「政治では、偶然に起こることなど一つもない。何かが起これば、それは間違いなくそうなるように、あらかじめ計算されていたからなのだ」と言った。たびたび引用される有名な一節である。
アメリカは神が与えた使命、つまり自由と民主主義を、世界に広めていく。神に与えられた目的に従って、計画的にさまざまなことをやってきたというわけだ。
(『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘)
ところで第4期(※紀元600-1200年/ヒンドゥイズム興隆の時代)に入ると、インドでは正統派バラモン系の思想・宗教のみならず、非バラモン系の思想・宗教にも新たな運動が台頭してくる。タントリズム(密教)の台頭である。
タントリズムとは、儀礼とシンボルの機能を重視し、「シンボルは宗教の目的としての究極的なものを指し示すことができる」という前提に立つ宗教形態である。サンスクリットの伝統的な学問をおさめたエリートたち――あるいは専門家たち――の宗教とは異なって、宗教の専門的知識のない、一般の人々も直接参加できたところにこの宗教形態の特質がある。またタントリズムのテーマも、ヴェーダーンタ学派のそれと同じく、宇宙原理と自己(個我)との同一性の直証であった。
(『はじめてのインド哲学』立川武蔵)
哲学
タントリズムとは、儀礼とシンボルの機能を重視し、「シンボルは宗教の目的としての究極的なものを指し示すことができる」という前提に立つ宗教形態である。サンスクリットの伝統的な学問をおさめたエリートたち――あるいは専門家たち――の宗教とは異なって、宗教の専門的知識のない、一般の人々も直接参加できたところにこの宗教形態の特質がある。またタントリズムのテーマも、ヴェーダーンタ学派のそれと同じく、宇宙原理と自己(個我)との同一性の直証であった。
(『はじめてのインド哲学』立川武蔵)
哲学
佐藤●いま、コーヒーを飲んでますよね。いくらでしたか? 200円払いましたよね。この、コイン1枚でコーヒーが買えることに疑念を持たないことが「思想」なんです。そんなもの思想だなんて考えてもいない。当たり前だと思っていることこそ「思想」で、ふだん私たちが思想、思想と口にしているのは「対抗思想」です。護憲運動や反戦運動にしても、それらは全部「対抗思想」なんです。(『ナショナリズムという迷宮 ラスプーチンかく語りき』佐藤優、魚住昭)
最近、よく「旬産旬消」(※その季節に採れる旬のものをその季節に消費する〈食べる〉こと)とか「地産地消」(ある地域で生産されたものをその地域で消費すること)とか言われるけど、ヨーロッパの国々は、工業製品は別にして、基本的に食糧に関しては、半径30キロ以内で全部生産し消費するという考えを持っているようだ。一つの都市とその周辺の田園地帯が一体ということだ。だから、どんなに安くても、シナ(中国)でつくったものは持ち込まないというのが、ヨーロッパ人の見識。どこでどんなふうにつくったかよく分からないような冷凍食品は輸入しない、食べない。地元のしか食べないというのはコスト高だけれど、そのコスト高をあえてやることが文化だ、というのが彼らの発想なんだね。こういう見識、発想は日本人も見習うべきだ。
これは教育の問題だと思う。日本人は日本でつくったものを食べる。これが日本の文化なんだ、と教育することが大事だね。
(『ドンと来い!大恐慌』藤井厳喜)
これは教育の問題だと思う。日本人は日本でつくったものを食べる。これが日本の文化なんだ、と教育することが大事だね。
(『ドンと来い!大恐慌』藤井厳喜)
このような状況では、逃げ道は一つしかない。すべてを他の者のせいにすることである。ファシズム全体主義によって解決し、克服し、調和させることのできない矛盾は、外部の脅威たる敵のせいである。目に見えない魔物との戦いは、目に見える特定の人間や勢力との闘いに代えられなければならない。(『ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり』P・F・ドラッカー:上田惇生訳)
資本主義社会のあとが、今日の転換期としてのポスト資本主義社会である。資本主義のあとの社会というだけのことで、特質がいまだ定まっていない社会である。このポスト資本主義社会のあとに来るものが、おそらく知識社会である。その頃には、お金中心の社会があったことなど誰も信じないだろう。(『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて』上田惇生)
なかには、新聞もインターネットも見ない、ニュースはテレビだけという人もいるでしょう。しかしテレビのニュースは、ほとんど信頼性がないと思ったほうがよい。ニュースの中身、分析、意味づけという点で、非常に確実性が低い。インターネットの信頼できるサイトでもいいし、新聞でもいいし、メールマガジンでもいい。何でもいいから、テレビ以外からニュースを集めるようにしてください。(『日本人が知らない世界と日本の見方 本当の国際政治学とは』中西輝政)
子どもたちのなかには養女がいます。メムナちゃんといいます。妻エリザベスさんの姉の娘です。
3歳になるメムナちゃんですが、彼女もまた、反政府軍によって右手を切り落とされていました。
(『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二)
少年兵
3歳になるメムナちゃんですが、彼女もまた、反政府軍によって右手を切り落とされていました。
(『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二)
少年兵
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