ただし、そのために裁判官としてはかなり無理をしたようです。
 あの不謹慎な手紙が明らかになっている控訴審段階で、なお被告人には反省している心が部分的にあるし、これを何とか死刑を免れさせる理由にしていました。しかし、常識的に考えてこれはおかしいです。あの不謹慎な手紙を素直に読むと、反省の心などないと見るのが社会常識でしょう。だから、あの不謹慎な手紙を何とか言いくるめて、まだ反省の心が少しはあるから死刑を免れさせようという発想がどこから出てきたのでしょうか? それは、相場主義によれば、はじめから無期懲役の結論が出ているからです。はじめに結論ありきです。ですから、多少なりとも反省の心があるから死刑は勘弁してやろうというストーリーに乗ってくれないと困るのです。
(『裁判官が見た光市母子殺害事件 天網恢恢 疎にして逃さず井上薫
 西暦135年にはイギリスも、フランスも、米国も、ポーランドも、ロシアも、ドイツも国家としては存在していなかったのだ! それなのに、ユダヤ国家だけは特別扱いされる!
 20世紀のまっただなかで、こんな時代錯誤を真剣に主張するなんておかしなことだ。2000年近い昔に消滅した国家をどんな権利で再建できるのだろう!!
(『新版 リウスのパレスチナ問題入門エドワルド・デル・リウス:山崎カヲル訳)

パレスチナ
 ダンテは私にとっては近代第一の天才である。ダンテは深い闇の直中に光りかがやく太陽である。彼にあってはすべてが非凡である。彼の独創性は、とりわけ、彼に一つの特別な位置を与えている。アリオストは騎士小説と古代の詩とを模倣した。タッソもそうであった。ダンテはその霊感を他のいかなる人からも汲むことを肯(がえ)んじなかった。彼は自己に徹しようとした、ただ自己にのみ徹しようとした。一口にいえば創造しようとした。彼は広大な結構をとらえて、それを崇高な精神の持主の優越でもって満たした。彼は変化があり、恐ろしく、また優雅である。彼には奇想と、熱と、人の心を惹きつけるものとがある。彼は読者をして身ぶるいさせ、涙を流させ、敬意を覚えさせずにはいない。これは芸術の頂点である。いかめしくも偉大な彼は、犯罪に対しては恐ろしい呪いを浴びせかけ、悪徳を罰し、不幸を嘆いてる。共和国の法律によって追放された市民として、彼はその圧制者たちに対しては怒りを投げつけているが、故郷の町はこれを赦している。フィレンツェはいつになってもなつかしい、彼のやさしい祖国なのである。……私は、わが愛するフランスが、ダンテに匹敵する人物を産まなかったことについて、イタリアを羨む。(『ナポレオン言行録オクターブ・オブリ編:大塚幸男訳)

ナポレオン
 自由でないのに、自分は自由だと思っているものほど奴隷(どれい)になっているものはない。(「親和力」第二部第五章から)『ゲーテ格言集ゲーテ:高橋健二訳
 いかなるジャンルの台本であろうと、現場担当者が作家にする注文は「もっとくだらなく」「もっとばかばかしく」「もっと低俗に」に集約される。
 現在、娘が強要され、ついに降りざるを得なくなったその「もっと・注文」は、私が日本嫌悪のあまり豪州に脱出した1987年の時点の千倍、いや万倍に達する「増加」ぶりである。
 過言ではない。奇を衒(てら)って誇張しているのではない。
 もし人間に理性があり、常識と良識が残っているのならば、この「もっと」がいかに非人間化を促進させる内容か、納得するはずだ。私はその千分の一、万分の一にも我慢ができなかった。たとえば、以前他の文章にもした内容だが、私が筆を折る最後の決意は、日本テレビ系の連続ドラマを書いている最中に起きた。ワンクール予定の4回目、視聴率が落ちた。プロデューサーが私に注文した。「林さん、次の回で、レイプシーンを書いてください」
「いったい、登場人物の誰が誰をレイプするんだ」
 絶句して私が訊ねた。
「それは、お任せします。誰が誰でもかまいません」
「しかし、今までのストーリー進行の中に、そんな可能性のある設定はどこにもない」
「そこにこそ、意外性、つまりドラマ性がある」
(『おテレビ様と日本人林秀彦

テレビ
 弘兼憲史は、大学を出た後、松下電器に3年半ほど勤めた経験を持っているのだそうだが、なるほど松下(会社に対する全面的な献身を要求する企業型宗教、または宗教的なまでに高められた団結力で経営をすすめる宗教型企業)臭あふれる話である。(『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ小田嶋隆
 他人に服のなかに手を突っ込まれると、まるでじぶんの内部を蹂躙(じゅうりん)されたような不愉快な気分になる。なんと無礼な、ということではきっとすまず、むしろ生理的に耐えがたいような危うさを感じるはずだ。服のなか、そこは〈わたし〉のなか、秘せられてあるべきわたしの内部なのである。(『悲鳴をあげる身体鷲田清一