通説によれば、釈迦を殺そうとした悪人デーヴァダッタは、最後には、生きながら火焔に包まれて、「無間地獄」へ落ちて行ったとされていますが、釈迦の没後900年頃、経典を求めてインドにおもむいた法顕(340?-420?)が、その見聞録(『法顕伝』)の中で、調達(デーヴァダッタ)派の仏教僧団がネパール地方にあったと述べており、また、玄奘(600-664)も、その著『大唐西域記』の中で、ベンガル地方に提婆達多派の仏教僧団があったと述べていますから、釈迦の没後の後継者争いに敗れたデーヴァダッタが、彼の僧団をひきいて辺境の地に逃れ、バラモン階級出身者の手にその主導権がにぎられた中央の『正統派仏教僧団』からの激しい迫害と常に闘いながら、かなり長年月の間、生きながらえて、強烈な感化を及ぼしたことも、充分に考えられるのであります。そして、この釈迦の正統な後継者と称する中央の仏教僧団への反抗が、釈迦への反感や軽侮を産み出したようであり、大乗仏教で、釈迦の在世中に直接釈迦から説教を聞いた弟子たちが「声聞」(sravaka シュラヴァカ)――釈迦の声を聞いた者――と軽侮されて、最下位に置かれ、誰の声も聞かずに、独自の方法でさとった者たちが「独覚」(pratyekabuddha プライエティカブッダ)と呼ばれて、その上に位置し、更に、その上に、仏陀の声を聞いてさとりを求める者としての「菩薩」が置かれているのもそのためであると推定されます。(『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である堀堅士

キリスト教エリザベス・クレア・プロフェット
 近代の人間の特質は、財(富)を肯定的にとらえることである。これに背を向けた思想は近代思想の仲間にはなれなかった。近代思想は財に対してこれをどう蓄積するか、管理するかという問題にとりくんできた。非主流の思想さえ、現実世界での豊かさを追求してきた。徳川幕府以降の近代日本において、仏教は生産労働、財の蓄積といった問題に関して、ガイドラインになるような思想形態を生み出すことはできなかった。(中略)
 空の思想は元来、富の蓄積とは反対の方向に走っているのである。
(『空の思想史 原始仏教から日本近代へ立川武蔵
 カミの語源が「隠れ身」であるように、ほんとうに大切な崇(あが)めるべき存在は、隠されたものの中にある。(『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』)

性愛術
 一般的にいって、自信のない政治ほど強権を用いやすいというのは、古来の政治的定説である。政治が、国民の自発的活力を吸い上げるサイフォンの役を演じているところでは、強権の利用価値は、それほど大きくない。権力の持ち主が、国民の支持を心の底から信じていないとき、または自己の陣営に弱みや派閥のおそれがあるような場合には、とかく対立する政治勢力に強権を発動して、必要以上の緊張感をつくり出し、それによって自らの陣営の一致強化をはかるというのは、権力を維持してゆく場合の常用手段だが、真の自立国家をねがうものは、万一にも、そうした道を選んではならないのである。(『政治を考える指標辻清明
「風評に惑わされるのは小者のすることだ。おまえはいつも人の話を半分も聞かずに拳を上げる」(『時宗高橋克彦
「われわれは決まりどおりに動いた」クロムウェルは言った。「最後まで完璧に決まりどおりに。神かけて言うが、われわれは大虐殺を防ぎ、どうにか悲劇に耐えたのだ」
「メモしておいたほうがいいかな」
 クロムウェルは椅子の背にもたれ、私に険しい視線を向けた。人差し指を立て、こちらへ何度か突きだした。
「小利口なことを言うじゃないか」クロムウェルは言った。「早めに教えておいたほうがいいだろうな。このあたりじゃ、そういう小利口な発言に対するわれわれの忍耐力はゼロだ」
(『スクール・デイズロバート・B・パーカー:加賀山卓朗訳)
 キリシタン時代に日本にやってきた宣教師は、最初は日本の仏教が東南アジアの仏教と同じ起源をもつ宗教だと気がつかなかったほどです。(『日本仏教史 思想史としてのアプローチ末木文美士