結局、人間ひとりひとりが生きていくなかでの表出と表現の積畳が歴史です。表出というのは自覚されないまま外側へ出ていくものです。じつはこの部分の方が大きいのです。それから意識的に表現する部分があり、この二つの蓄積が現在の文化的な状況、すなわち歴史をつくっています。
 その人間の表出と表現を生み出すのは、――ここが一番大事なところですが――、人間の意識下の意識、つまり無意識、自覚されない意識です。表現といえども無意識が原動力になっています。怖いのは何かぽろっと漏らした言葉にじつは本心があったり、あるいは自分が自覚しないでついつい反復して使っている言葉にスタイルが宿ることです。頑張って意識的に小説を書いたとか詩を書いたとか、そういうところよりも、むしろ普段何気なくしゃべっているときに、いつもあの人はこういう言葉を使うとか、あるいはこういうふるまいをするというところに本心があって、そういう自分自身すら気づいていないような本心の積み重なりが歴史をつくっています。
(『漢字がつくった東アジア石川九楊
 笑いとは憂いを払う玉箒(たまぼうき)であり、悩みを吹き飛ばす掃除器(ママ)だからだ。笑いなくして人間は生きていけない。笑いがあればこそ人の涙はかわくのであり、悲嘆は勇気へと生れ変る。切なさは余裕にとってかわり、悩みは杞憂のように思えてくる。「杞憂」とは天が崩れ落ちてきはしまいかと夜も眠らずに悩んだ杞(き)の国の男の心配をいうのである。笑いとは、憂いを杞憂と思い直させることにほかならない。(『生き方の研究森本哲郎
 ユダヤ関連の商品や商店に対する不買運動が始まったのが、1933年4月1日である。それはわずか1日で終わったが、1週間も経たぬ4月7日には、市民公職法が発効された。これは、同じドイツ人でも、非アーリア系のドイツ人は、公証人、公立学校教師などの職に就いてはならないと定めるもので、法律によるユダヤ系ドイツ人の差別の端緒となったものであった。
 これより事態はすこしずつ加速していく。5月10日には、ナチス党員である学生や教職員が、ほぼ全国の大学や図書館で、「ドイツの文化的純血を損なうと懸念される」図書を焼くという大規模な事件が起こっている。このとき、焼却された図書の著書には、アルバート・アインシュタイン、ジグムント・フロイド、ステファン・ツヴァイクなどが含まれている。かつて、ドイツの詩人、ハインリッヒ・ハイネは有名な言葉を吐いている。
「本を焼却する国はやがて人を焼却するようになる」
 この言葉が、やがて現実となる。
(『権威主義の正体岡本浩一

権威
 統合失調症患者が異常な数のドーパミン受容体を有することが発見されたとよく言われるが、この証拠自体、確かなものというわけではない。正常の人にくらべ、統合失調症患者でドーパミン受容体の数が多いという結論を導き出した研究における差異は、平均値におけるものであり、これに当てはまらない統合失調症患者も多い。また、ほとんどの研究者は、統合失調症でドーパミン受容体の異常があるという証拠をまったく確認できていない。(『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の科学と虚構エリオット・S・ヴァレンスタイン:中塚公子訳)

精神疾患
 海が見たい、と私は切実に思った。私には、わたるべき海があった。そして、その海の最初の渚と私を、3000キロにわたる草原(ステップ)と凍土(ツンドラ)がへだてていた。望郷の想いをその渚へ、私は限らざるをえなかった。空ともいえ、風ともいえるものは、そこで絶句するであろう。想念がたどりうるのは、かろうじてその際(きわ)までであった。海をわたるには、なによりも海を見なければならなかったのである。
 すべての距離は、それをこえる時間に換算される。しかし海と私をへだてる距離は、換算を禁じられた距離であった。それが禁じられたとき、海は水滴の集合から、石のような物質へと変貌した。海の変貌には、いうまでもなく私自身の変貌が対応している。(「望郷と海」〈『展望』1971年8月〉)
石原吉郎詩文集石原吉郎

シベリア抑留詩歌強制収容所
 ポツダム宣言の第9項には、「日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし」とあったが、この条項には“送還の期限”が定められていないとして、ソ連は日本人捕虜のシベリア抑留・強制労働を強行した。最近になって、全抑協(※全国抑留者補償協議会)の斎藤六郎会長が、ロシア国防省の公文書館に保存されていた資料を調べた結果、敗戦後、山田乙三(おとぞう)関東軍総司令官がワシレフスキー極東ソ連軍総司令官に対して、帰国するまで捕虜将兵を、満州でソ連軍の使役に従事させる、と申し出ていたことを明らかにしている。これが事実とすれば、関東軍総司令官は、シベリア抑留への道をみずから開いたことになる。(『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史多田茂治

石原吉郎強制収容所
 じじつ、かれは非常な読書家であり続けた。シエラ・マエストラでも、ゲーテを読み、セルバンテスを読み、さらにはマルクスレーニンの著作に眼を通していた。戦争以外には何もできない男ではないことを、それは物語っている。かれは医師からゲリラ戦士になり、ゲリラ戦士から革命家へと昇華して行ったが、いついかなる時でも、読書だけは怠らなかった。日記をつけることと本を読むこととは、かれの終生一貫した習慣であった。(『チェ・ゲバラ伝三好徹

ゲバラ