おれは、今までに、天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠(よこい・しょうなん)と西郷南洲(さいごう・なんしゅう)とだ。
 横井は、西洋の事も別に沢山(たくさん)は知らず、おれが教へてやつたくらゐだが、その思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子(はしご)を掛けても、及ばぬと思つた事がしばしばあつたヨ。おれはひそかに思つたのサ。横井は、自分に仕事をする人ではないけれど、もし横井の言を用ゐる人が世の中にあつたら、それこそ由々(ゆゆ)しき大事だと思つたのサ。
 その後、西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方が優(まさ)るほどだツたけれども、いはゆる天下の大事を負担するものは、果して西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ。
(『氷川清話勝海舟江藤淳、松浦玲編)

福翁自伝日本近代史
 およそこういう風で、外に出てもまた内にいても、乱暴もすれば議論もする。ソレゆえ一寸(ちょいと)と一目(いちもく)見たところでは──今までの話だけを聞いたところでは、如何にも学問どころのことではなく、ただワイワイしていたのかと人が思うでありましょうが、そこの一段に至っては決してそうではない。学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政3年の3月、熱病を煩(わずろ)うて幸いに全快に及んだが、病中は括枕(くくりまくら)で、座蒲団が何かを括って枕にしていたが、追々元の体に回復して来たところで、ただの枕をしてみたいと思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居していたので、兄の家来が一人あるその家来に、ただの枕をしてみたいから持って来いと言ったが、枕がない、どんなに捜してもないと言うので、不図(ふと)思い付いた。これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時(なんどき)でも構わぬ、殆んど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻(しき)りに書を読んでいる。読書に草臥(くたび)れ眠くなって来れば、机の上に突っ臥(ぷ)して眠るか、あるいは床の間の床側(とこぶち)を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。これでも大抵趣がわかりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為(し)ようはないというほどに勉強していました。(『新訂 福翁自伝福澤諭吉

氷川清話日本近代史
 言うまでもなく、激しく動くほど(速いペースで登るほど)より多くの酸素が必要になる。標高7000メートルでは、海抜ゼロメートルに比べて体の動きは4割以下に落ちる。したがって、無酸素登山のペースはかなり遅くなる。1952年にレイモンド・ランベールとテンジン・ノルゲイがエベレストのサウスコルを登ったときは、わずか200メートルに5時間半かかった。ラインホルト・メスナーとペーター・ハーベラーは山頂が近づくにつれて、疲労のあまり数歩ごとに雪の中に倒れ込み、最後の100メートルに1時間かかった。(『人間はどこまで耐えられるのかフランセス・アッシュクロフト:矢羽野薫訳)

登山
 結果は歴然としていた。赤ん坊は提示されたフレーズの種類にふさわしい反応をした。どの言語の発話でも、無意味語の発話でも、禁止を表すフレーズには顔をしかめ、容認を表すフレーズには微笑んだ。だがひとつだけ、さほど予想外でない例外があった。日本語で話されたフレーズには子どもが反応しなかったのだ。(アン・)ファーナルドは、日本人の母親の場合、欧州言語を話す母親よりピッチ変化の幅が狭いためと考えた。この結果は、日本人の音声表現や表情が解読しづらいとする他の研究とも一致する。(『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化スティーヴン・ミズン:熊谷淳子訳)
 片方の腕をさっと伸ばしてぼくらを指し、反乱兵の一人が言いはなった。「目の前にいるこいつらを殺すことによって、おまえら全員を入隊させる。血を見せれば、おまえらは強くなる。そのためにはこうすることが必要なのさ。もう二度とこいつらに会うことはないだろう。まあ来世を信じていれば話は別だが」。彼はげんこつで自分の胸をたたいて笑った。
 ぼくは振りかえってジュニアを見た。目が赤い。涙をこらえようとしているのだろう。彼はこぶしを固く握りしめて、手の震えをおさえている。ぼくは声を押し殺して泣きだし、そのとき急に目まいがした。選ばれた少年のうちの一人が反吐(へど)を吐いた。反乱兵の一人が銃床でその子の顔をなぐり、ぼくらの列に押し込んだ。歩き続けていると、少年の顔から血が流れてきた。
(『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だったイシメール・ベア:忠平美幸訳)

少年兵
 では、人間の姿勢とはどういうことか、根本から吟味してみよう。
 第一に、人間が生きている、ということは、基本的には「立って」動いていることである。これが出発点だ。人間は、休むとき眠るときは横になるが、活動しているときは立っている。もちろん坐っているときもあるが、これも基本的には、脚が休んでいるだけで、腰から上は立っているから、立っていることのうちに入れる。人間の姿勢というとき、それは立っている姿勢のことだ。
(『ことばが劈(ひら)かれるとき竹内敏晴
 お茶をいただきながら女子教育はと尋ねると、女に教育は無駄と冷たい。なぜですかと問うと、コーランの教えだと胸を張る。しめたとばかり、どのスーラ(章)にそう書いてありましたっけと、手提げから取り出したコーランの頁を繰りはじめた。実は自分は読んだことがないと白状してくれるまで、時間はかからなかった。歴史的な観点から見れば、まるで女性解放革命宣言ともとれるコーラン。仏教徒だから深くは知りませんが、と断って女子教育や女性の地位に関した部分を拾い読みしながらのイスラム談義となった。(中略)
 それ以来、どこに旅しても頻繁に、慌てる同行の役人たちをなだめすかしては飛び入りの訪問のわがままをさせてもらった。普通、途上国の教師たちは田舎の学校が大嫌い。大枚を積んでまで政治家に取り入って、都会に転勤してしまう。最もひどいのは、そうでなくても不足がちな英語や数学の教師。事前通告なしの視察をするたびに見た、来ない先生を辛抱強く待つ幼い顔は、教育制度改革なしには援助融資拒否という姿勢を保つ原動力となった。
 スリランカの辺鄙な村では、もうひと月も待っているのと堪(こら)えきれずに泣き出した小学1年生の教室で、じゃあ今日だけでもと臨時英語教師になりすましたこともあった。ABCを歌い、童話を読み、感想文の発表会をし、楽しい一日を過ごさせてもらった。
 それを「変事」と聞いて飛んできた、土地の政治家の慌てた顔に、堪忍袋の緒が切れた。明日も来てとすがりつく子供たちの前で、私腹を肥やすより国の将来を思え、君はそれでも政治家か、人の親か、と激怒した。「先生ありがとう、もういいよ」と、一生懸命なだめてくれたあの子たちの澄んだ瞳を忘れることなどできやしない。
(『国をつくるという仕事西水美恵子