電話は、元来、非常にプライベートなものだ。というよりも、我々のような狭っ苦しい土地に群れ集まって暮らしている人間たちにとっては、プライバシーと呼べるようなものは、せいぜいが寝室と便所と電話のまわりの少しばかりの空間の中にしか存在していないのだ。
 だから、我々は、「他人の電話に聞き耳を立ててはならない」という暗黙の了解事項を、必死になって守っている。ベッドサイドに置いてある電話であれ、オフィスの机の上の電話であれ、我々は、誰かが電話に向かって話をしている時には、その人間のことをなるべく無視しようと努めるのだ。
 たとえば、妹が階段の下にある電話で長電話をしている時、私は、なるべく階段に近付かないようにする。どうしても階段を通らなければならなくなったら、「もうすぐそっちを通るぞ」という感じの足音を立てながら、駆け抜けるようにして階段を降り切る。
 もちろん、私とて、妹がどんな男とどんな話をしているのかについて、興味がないわけではない。が、私は、市民社会に生きる人間として、その興味を押し殺す。
「ここで盗み聞きなんかをしたら、オレは最低のクズ野郎になってしまう」
 と、そう思って、私は一目散に階段を駆け下りてトイレに駆け込むのだ。
 ともかく、そうやって、我々は、「電話のプライバシー」を守るべく、日夜努力している。だからこそ、我々は、面と向かってはとても言えない恥ずかしいセリフを、受話器に向かってならば、なんとか吐くことができるのであり、そうであるからこそ、恋は生まれ、人々は生きているのである。
 ところが、携帯電話は、その我々の電話プライバシー死守の努力を、いともあっさりと踏みにじる。病院の待合室、駅のプラットホーム、公園のベンチ……そういう、こっちがわざわざ聞き耳を立てるまでもなく、すべての会話が丸聞こえに聞こえてしまう公共の空間に、携帯電話は、唐突に、ぶらりと、土足のままで入り込んでくる。そして、その携帯電話の持ち主は、臆面もなくプライベート通話を始め、周囲の人間たちのパブリックなモラリティーに泥を塗るのである。
(『仏の顔もサンドバッグ小田嶋隆
 わたしが思うに、そういう考えに頼って複雑さをもとめてしまうのは、不安になると何か特別に感じられるような理由が欲しくなるからではないだろうか。秘密の知識を持てば、それは特別に感じられるが、単純な真実を手にしてもそうは感じない。つまり、わたしたちの自我は、自分が他者よりどこかしら優れていることを示すために、特別な知識を手にしていると信じさせたがるのだ。わたしたちの自我は、一般に知られる真実だけでは我慢できない。自我は秘密をもとめている。(『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術カーティス・フェイス:楡井浩一訳)
 もはやクルマ自体では利益が出ない。中小型車は売っても赤字になるだけ。だから、その赤字を自動車ローンの儲けで回収する。つまり、クルマは金融を動かすための材料にすぎないというわけだ。こうなると、GMもフォードも、もう自動車メーカーというより「自動車もつくる金融会社」になってしまったという感じだよね。GMも金融部門が独立した会社になっているけれど(GMAC=通称ジーマック)、そこがGMグループのなかでだいたい6割くらいの利益を出していたんだ(金融危機が勃発するまでは)。(『ドンと来い!大恐慌藤井厳喜
 搾取の最たるものは、税金といえるかもしれません。税収が適正に使われていれば、そのお金は国民の懐にそっくり返ってくることになり、お金は循環し、経済は成り立ちます。ところが、本来循環すべき税金が途中でどこかに消えてしまうのです。みそがれた高貴な集団に属する人々の懐に流れたお金は、次なる搾取を行うための事業資金などに使われ、奴隷をさらに奴隷化するために使われていくというわけです。
 消費という面でも、奴隷の搾取は強化されています。
 さし迫った必要性がなく、利幅ばかり大きい商品を買わされることで、少ない実入りからさらに搾取を重ねられるわけです。支配者はそのために「ブーム」をつくり、消費をあおります。ブランドブームなどはそのひとつです。
(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて苫米地英人
 叡智という古い言葉の本来の意味合いは、頭脳の働きばかりではなく眼の働きを指す。物を深く見る視力が、そのまま化して知恵となる、そういう知恵を言う。(『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること小林秀雄
 思うに遠野郷(ごう)にはこの類の物語なお数百件あるならん。我々はより多くを聞かんとことを切望す。国内の山村にして遠野よりさらに物深きとこ所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広(ちんしょうごこう)のみ。(『遠野物語』)『遠野物語・山の人生柳田國男
 ここで、もう一つ、1920年代の特異性に影響を与えたと思われる「革命」に触れておかねばならない。
 それは照明革命である。それまでアメリカでは、照明用の油として鯨からとった油を使っていた。大西洋の鯨を獲りつくし、遠く北太平洋まで鯨を捕えに出かけなければならなくなった19世紀半ば頃には、鯨油の価格はバレル当たり100ドル以上もしていた。当時照明はたいへん高くついた。照明は大衆のものではなかった。
 それが、1860年代以降、石油から取れる灯油が使われるようになると、照明用の油の価格は、一挙に数十分の一に低下したのである。石油の需要は1860年以降驚くべき勢いで増大した。当時、石油はほとんどすべて灯油として使われていたのだ。したがって石油需要の増大は、価格革命によって、照明が大衆のものとなったことを示唆している。
 アメリカの大衆は、明るくなった夜をどのように利用したのだろうか。家族との団欒、あるいは隣人とのつきあい、しかし結局、テレビやラジオもない当時、人びとは明るくなった夜を次第に読書に利用するようになったのではないか。最初は聖書だったかもしれないが、だんだんと人びとの知識欲は旺盛になっていったと思われる。
(『「1929年大恐慌」の謎 経済学の大家たちは、なぜ解明できなかったのか関岡正弘

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