海軍副将ジェイムズ・B・ストックデールほど苦しみを味わった捕虜はあまりいない。彼は、ベトナムの戦争捕虜として、2714日を耐えぬき、英雄的に生還した。
 ある時、北ベトナム兵がストックデールの手を背中に回して手錠を掛け、彼の足に重い鉄の鎖をつけた。そして、彼を暗い独房から引きずり出し、中庭に座らせて晒し者にした。それは、協力を拒んだ者がどのような目に会うかということを、他の捕虜に見せつけるためだった。
 その出来事を記載した海軍の公式記録によれば、ストックデールはその姿勢を3日間続けなくてはならなかったという。彼は、長い間太陽の光を浴びたことがなかったために、すぐ疲労を感じ始めた。しかし、見張り兵は彼を眠らせなかった。そして何度も殴られた。
 ある日のこと、殴られた後にストックデールは、タオルを鳴らす音を聞いた。それは、刑務所の暗号で、"GBUJS"という文字を伝えるものだった。そのメッセージを彼は決して忘れることができない。「ジム・ストックデールに神の祝福あれ。God bless you Jim Stockdale」
 アメリカにおいて近年捕らわれの身になった捕虜や人質すべてに当てはまることだが、即席かつ巧みに作り上げられたコミュニケーションが、彼らの大きな助けとなっている。ベトナムでは、叩打音が暗号として用いられた。音の数やつながりがアルファベットの文字を表わしていて、それが、捕虜たちのコミュニケーションのおもな手段になったのである。ジム・ストックデールを助けたのもこの暗号だった。
 まず、捕虜にとって、文字をつなぎ合わせて意味のあるメッセージを作れるように文字の暗号を覚えることが先決だった。しかし、すぐに彼らはそれに慣れ、そのシステムが彼らの第二の天性のようになった。孤独な捕虜たちは、壁や天井や床を叩いた。距離が近い場合には指を使った。距離が遠い場合には、拳や肘やプリキのコップを用いた。
「すぐにメッセージが、独房の一つのブロックから別のブロックへ、そしてさらには、建物から建物へ、交通のように流れていきました」と、エペレット・アルバレッツは回想する。
 最終的に、戦争捕虜たちは、叩打音を使った日常の交信をさらに発展させて、より洗練されたものを作り上げた。とくに効果的だったのは、箒で刑務所構内を掃きながら、集団全体に「話しかける」方法だった。
 ある捕虜が別の独房のそばを通りかかったときには、サンダルを引きずって暗号を流すことができた。毛布を振ったり、げっぷをしたり、鼻をかんだりして昔を出し、仲間にメッセージを送る人もいた。また、特別な才能を持っている捕虜も何人かいて、自分の意志でおならを出して暗号を送っていた。捕虜の一人は、毎日1~2時間、昼寝をしているふりをし、いびきを立てて、皆がどのような生活を送っているか、また、彼の独房の中でどのようなことが起こっているか、ということを報告していた。
 また、身体に引っかき傷を作ってコミュニケーションするという、刑務所の中ではよく見られる方法さえ取られるようになった。反アメリカ宣言をするように強要された一人の捕虜は、誰もいない中庭を通って広場に行く途中、彼の様子を気づかって、多くのアメリカ人の目が自分に釘づけになるということがわかっていた。そこで彼は、まず「c」という文字、次に「o」という文字、そして「p」という文字の引っかき傷を作り、最後にその引っかき傷が“頑張っている c-o-p-i-n-g”という言葉になるようにしたのだ。
 5年半におよぶ捕虜生活の大半を独房で過ごした、海軍少佐ジョン・S・マッケイン3世は、次のように結論づけている。
「戦争捕虜として生き延びるために最も重要なことは、誰かとコミュニケーションを持つことでした。ただ単に手を振ったりウィンクをしたりすることでも、壁を叩いたり誰かに親指を上げさせたりすることでもよかったのです。それによってすべての状況が一変しました」
(『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たちジュリアス・シーガル:小此木啓吾訳)
 この身体によって世界に意味を与える脳のシステムが働かなければ、人間は発達することができない。身体は世界と出会い、対話し、その意味を作り出してゆく。運動はすべての源であり、世界は意味に満ちている。認知とは、そうした無数の意味を自己組織化することにほかならないのである。(『脳のなかの身体 認知運動療法の挑戦宮本省三
 おたずねになりたいことはありませんか?
 質問をすることはもっともむずかしいことのひとつなのですよ。
 私たちはたずねなければならない問いを何千も抱えています。
 私たちはあらゆるものを疑わなければならないのです。
 なんに対してもただ従ったり受けいれたりしてはいけません。
 私たちは自分自身で見いださなければならないのです。
 他の人を通じてではなく、自分自身で真実を見なければならないのです。
 そして、真実を見るためには、完全に自由でなければならないのです。
 正しい答えを見いだすためには、正しい質問をしなければなりません。
 まちがった質問をしたら、必然的にまちがった答えを受けとることになるからです。
 そういうわけで、正しい質問をするというのは、もっともむずかしいことのひとつなのです。
 これはべつに、話し手があなたがたに質問をさせないようにしているわけではないのですが。
 あなたがたは、心から、きわめて真剣な気持ちで質問しなければなりません。生というのはたいへん重大なものですから。そのような質問をするということは、あなたがすでに自分の精神を探り、自分自身の非常に深いところまで踏みこんでいるということです。
 ですから、知性的な、それ自体を認識している精神だけが、正しい質問をすることができるのですし、それをたずねることそのもののなかに、その問いへの答えがあるのです。
 どうか笑わないでください。これはきわめてまじめなことなのです。
 というのも、あなたがたはつねに、他の人にどうすべきかを教えてもらうことを期待しているからです。
 私たちはいつも、他の人の灯で自分のランプをともしてもらいたがっているのです。私たちが自分自身の灯であることはけっしてありません。自分自身の灯であるためには、私たち自身の精神で見、観察し、学ぶことができるよう、あらゆる伝統、話し手のそれをも含めたあらゆる権威から自由でなければならないのです。
 学ぶというのはもっともむずかしいことのひとつです。質問をするのはかなりやさしいことですが、正しい質問をして正しい答えを得るというのは、まったく別のことなのです。
 さてみなさん、ご質問は?(笑い)
(『あなたは世界だJ・クリシュナムルティ:竹渕智子訳)
「病院では一年しか生きられないって言われた。在宅だってムリだって言われてたんだもん。それをやり遂げたんだから。オレにとっては誇りだよ。
 自立生活とは自由を得られることだ。でも、その裏側には、つねに自己責任がついてまわるね。病院を出るときにも一筆書いてるんだよ。もしボランティアがミスをして死んでも、何があっても病院や人のせいにはしないって。
 だけど、やっぱり家が一番だ。ここよりイイ場所は他にはないよ。病院じゃなく、ここにいること自体が、命を張ったオレの仕事さ」
(『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち渡辺一史

障害介護
 クジラ、アザラシ、象、海亀……。これらの動物に共通しているのは神秘性があり、十分な愛玩性を備えていることだろう。ペットにはできないが、観賞用としては野生動物の中では上位を占める。
 このような動物が有色人種によって無駄に殺され、資源が絶滅に向かっているとのキャンペーンは、欧米諸国で広く深く、そして急速に受け入れられた。そして「この動物を保護するために寄付を」との呼びかけに数百万人が反応した。グリーンピースは、80年代に年間約200億円のカネを集めている。だが、このカネは動物の保護に使われることはなく、組織の拡大と新たなキャンペーンへの経費に充てられた。
(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い梅崎義人
 アッバースの方はどうかというと、シャウキーに対して眉(まゆ)一つ動かすでなく、石のように死んだ視線を向け続けていた。だが、シャウキーの叫び声が咆哮に変わるや、アッバースの死んだような目の表面に一瞬光が差し、その瞬間彼は何かを理解したようであった。その直後、彼は激しい震えに見舞われ、それはやがて恐怖に戦く目となって表に現われた。その震えは内へ内へと深まり、強大な恐怖となって根を下ろし始めた。その恐怖は上半身を立てて、横になっていた者の内にも生命を通わせた。恐怖によって。彼は身を縮め始めた。身を縮めながら、彼の妻を道連れにしてベッドの縁の方へ這(は)って後退し始めた。彼の体は次第に小さく、丸まっていった。人間がこれほどまでに小さく縮むことができるとは、思ってもみなかった。もしこのままの早さで凝縮が続くなら、やがてこの人間の球体は姿を没し、存在しなくなるだろうとさえ思われた。(「黒い警官」ユースフ・イドリース:奴田原睦明訳/『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20』)
 タリバーンは、反タリバーン地域を制圧すると、家と畑を焼き、男たちを連れ去ったと難民が訴えていた。娘や妻にガソリンをかけ家族の目の前で殺し、人々に恐怖感を植えつけて村に戻れないようにしたともいう。人が集まる市の立つ日を狙って爆撃を加えることもあった。「アフガン人なら、こんな残酷なことはできない」と住民は怒りを募らせた。マスードは「タリバーンの40%はパキスタン、アラブなど世界各国からの外国兵だ」と話していたが、アフガニスタンに世界の原理主義者たちが集うにようになったきっかけはソ連軍の侵攻だった。イスラムの聖戦に加わった各国の義勇兵の中で、原理主義組織のネットワーク作りが進んでいった。その中に、オサマ・ビンラディンもいた。(『マスードの戦い長倉洋海