指揮科の学生は、楽譜の印刷の手配から譜面台の準備まで「カバン持ち」のように斎藤と行動をともにし、「丁稚小僧」のように厳しく教えこまれた。小澤(征爾)の場合、指揮棒でたたかれたり、分厚いオーケストラの譜面を投げつけられたりするのが日常化していた。斎藤の言葉に小澤が思わず、拳を振り上げようとしたことすらあった。その場にいた生徒たちは、斎藤が殴られると思った。しかし、小澤は顔をひきつらせて腕を下ろした。ばらばらになった楽譜を、小澤は家に持ち帰ってはセロテープではりつけていた。小澤は一時は親戚だからこんなに厳しくされるのかと思ったことさえあった。斎藤は親戚であろうとなかろうと手心を加えることはなかった。
 小澤はオーケストラの雑用で疲れきり、家に帰っても玄関で靴を脱がずに座り込んでいることもあった。自分の指揮の勉強が十分できないまま斎藤のレッスンに行くと、不勉強を指摘されて怒鳴られもした。そんなある日、小澤は家に帰るなり、言葉も発せずに拳で本箱のガラスをめちゃくちゃに壊してしまった。小澤の右手はガラスの破片が刺さり、血だらけになっていた。
 高校時代の小澤は、虚弱体質ぎみで十二指腸潰瘍を患ったりしていた。もちろん痩せていた。そして、この痩せているのは、指揮科の生徒全員の特徴でもあった。秋山和慶は語る。
「月月火水木金金だと先生は言ってました。音楽を勉強するのに休みがあるのか、消防士は休むか、とそんな具合。昼飯すら食べる時間のないくらい、いろいろ雑用があったのです」
(『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯中丸美繪

斎藤秀雄
 私が言いたいのは、この世界は大きくて恐ろしくて騒々しくて狂っていて、でもとても美しい、でも嵐のまっただなかにいるということだ。
 私が言いたいのは、もし私が色を人間と考えるとすると、人間を硬くて白い白墨(チョーク)、さもなければ茶色の、または黒いチョークと考えるとすると、それがどんなちがいがあるのかということだ。
 私が言いたいのは、なにが好きかなにを望んでいるか私にはわかっているということ、そして彼女にはわかっていないということ、それから彼女が私に好きになってほしいもの、望んでほしいものを、私は好きでもなく望みもしないということだ。
(『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン:小尾芙佐訳)
 長いあいだ科学者たちは、空が夜暗いという事実を不思議に思っていた。宇宙には何兆という数の星があってどちらの方向にも星はあるはずで、星の光が地球にとどくのをじゃまするものはほとんどないのだから、空は星の光でいっぱいのはずなのになぜ暗いのだろうと思っていた。
 そこで科学者たちは、宇宙が膨張しているのだと考えた。ビッグバンのあと星はたがいにすごい速度ではなれていっている。われわれから遠ければ遠いほど速い速度で動いていく、そのなかのあるものは光の速度くらい速い、だから星の光がわれわれのところにとどかないのだと考えた。
(『夜中に犬に起こった奇妙な事件マーク・ハッドン小尾芙佐訳)
 故にこれを校(えら)ぶるに計を以てして、其の情を索(もと)む。曰く、主 孰(いず)れか有道なる、将 孰れか有能なる、天地 孰れか得たる、法令 孰れか行なわる、兵衆 孰れか強き、士卒 孰れか練(なら)いたる、賞罰 孰れか明らかなると。吾れ此れを以て勝負を知る。

【それゆえ、〔深い理解を得た者は、七つの〕目算で比べあわせてその時の実情を求めるのである。すなわち、君主は〔敵と身方(ママ)とで〕いずれが人心を得ているか、将軍は〔敵と身方とで〕いずれが有能であるか、自然界のめぐりと土地の情況とはいずれに有利であるか、法令はどちらが遵守されている、軍隊はどちらが強いか、士卒はどちらがよく訓練されているか、賞罰はどちらが公明に行なわれているかということで、わたしは、これらのことによって、〔戦わずしてすでに〕勝敗を知るのである】

(『新訂 孫子金谷治訳注)

孫子
 シボマナが大笑いして、私に近付いてきた。
「おやおや、そこで外に鼻を突き出しているのは、ツチの家族の長男じゃないか!」
 そう言うと非常に機敏な動作で、私の顔から鼻を削いだ。
 別の男が鋲(びょう)のついた棍棒で殴りかかってくる。頭をそれた棍棒が私の肩を砕き、私は地面に倒れ伏した。シボマナはマチューテを取替え、私たちが普段バナナの葉を落とすのに使っている、鉤竿(かぎざお)のような形をした刃物をつかんだ。そして再び私の顔めがけて襲いかかり、曲がった刃物で私の左目をえぐり出した。そしてもう一度頭に。別の男がうなじ目掛けて切りかかる。彼らは私を取り囲み、代わる代わる襲ってきた。槍が、胸やももの付け根の辺りを貫く。彼らの顔が私の上で揺れている。大きなアカシアの枝がぐるぐる回る。私は無の中へ沈んでいった……。
(『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記レヴェリアン・ルラングァ山田美明訳)

ルワンダ
 殺人者たちは、家から出て行きました。
 私たちは、また息をすることが出来ました。
 でも、彼らは3カ月のあいだに、何度も何度もやってきたのです。
 私は、神様に助けられたと信じています。
 そして、そのクローゼットの大きさほどしかないトイレの中で7人の女性たちとともに恐怖に耐えながら過ごした91日のあいだに学んだのです。
 生かされたということは、ただ助けられたのとはまったく違う意味を持っているのだと。
 このレッスンは、私の人生を永久に変えました。
(『生かされて。イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン)

ルワンダ
「どうしてぼくのことを放っておいてくれないんだ?」
 私はまた彼の横に腰を下ろした。「なぜなら、お前さんが生まれた時からみんなが放ったらかしておいて、そのために今、お前は最低の状態にあるからだ。おれはお前をそのような状態から脱出させるつもりでいるんだ」
「どういう意味?」
「お前が関心を抱く事柄が一つもない、という意味だ。誇りを抱けることがまったくない。お前になにかを教えたり見せたりすることに時間をさいた人間が一人もいないし、自分を育ててくれた人々には、お前が真似たいような点が一つもないのを見ているからだ」
「なにも、ぼくが悪いんじゃないよ」
「そう、まだ今のところは。しかし、なにもしないで人から見放された状態に落ち込んで行ったら、それはお前が悪いんだ。お前はもう一人の人間になり始めるべき年齢に達している。それに、自分の人生に対してなんらかの責任をとり始めるべき年齢になっている。だから、おれは手をかすつもりでいるのだ」
(『初秋ロバート・B・パーカー:菊池光訳)