例えば、小松の車の中での二人のやりとりを録音したものもあった。島田さんはそれを聞いたことがあった。すさまじいものだったという。泣きながら別れて下さいと哀願する詩織さんに、小松は大声でわめいたり怒鳴ったり、そして時には大笑いまでしながらこう言ったのだ。
「ふざけんな、絶対別れない、お前に天罰が下るんだ」
「お前の家を一家崩壊まで追い込んでやる。家族を地獄に落としてやる」
「お前の親父はリストラだ。お前は風俗で働くんだ」
 このテープを聞いても上尾署のその刑事は「これは今回の件とは関係ないね」と聞く耳を持たない。詩織さんと両親は、二日間一生懸命事情を説明したが、結局「事件にするのは難しい」で済まされてしまった。
 テープは警察で一応預かるというが、何かをしてくれるとは到底思えなかった。詩織さん達は、警察に失望して上尾署を後にした。
(『桶川ストーカー殺人事件 遺言清水潔
 グレン・グールド(カナダ)も、その集中力の高さにおいては、リヒターに劣らなかった。しかしその演奏は、ドイツの伝統から出たリヒターよりもはるかに自由で、個性的なものであった。その目のさめるようなバッハに接すると、この演奏がかつて賛否両論の対象であったことが、不思議にさえ思えてくる。結局、拒絶をひき起こすだけのインパクトをもっていたからこそ、グールドの演奏は死後に生き残り、日々輝きを増しつつあるのだろう。
 グールドがバッハのポリフォニーに運動をもちこんだことは、第一章で述べた。彼がポリフォニーの各声部を生き物のように弾き分ける能力は信じられないほどだが、彼はそうした能力によってフーガを、嬉々とした競争のように躍動させる。一方、これに先立つプレリュードでは、表現の多様性が思い切り拡大される。あるときはゆったりとした瞑想に沈み、あるときは踊りのように快活に、またあるときは……。
 このようにグールドは、バッハの音楽に潜在する本質をしっかりとふまえながら、それまで誰も思いつかなかったほど自由に、バッハを演奏した。彼は現代ピアノを用いているし、その奏法も、バッハ時代そのままというわけではない。だが、グールドの自由さは、その自由さそれ自体が、バッハの演奏にもっとも大切でありながらいつしか見失われていたものの発見であった。
(『J・S・バッハ礒山雅
 学習者が初めて壁を叩く300ボルトになる前に実験者の命令に服従するのを拒否した被験者はいなかった。300ボルトといえば、「非常に強いショック」と書かれたスイッチ群を通り過ぎて、「強烈なショック」のレベルに入っていたのであるが。リモート条件の40人の被験者のうち、5人は315ボルト以上に進むのを拒否した。最終の450ボルトになる前に実験者の命令に逆らったのは14人である。しかし、40人中の26人という65パーセントにものぼる大多数が、完全に服従して、「危険:激しいショック」のゾーンを越えて、不気味な「XXX」と書かれたレベルまで続けてしまったのである。
 人間は権威に服従する傾向が深く植えつけられているということだけならば、なにもミルグラムが改めて言うまでもないことである。しかし、この実験が明らかにしたのは、その傾向が驚くほど強烈であること、そしてある人の意思に反して、その人を傷つけるのは間違っているという、私たちが子どものころから教えられてきた道徳の原理よりもその傾向の方が優先されているということであった。
(『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産トーマス・ブラス
 これは複雑な社会での危険なほど典型的な状況を示すものと言える。邪悪な行動の連鎖の中間段階でしかなく、行動の最終的な帰結から遠く離れていれば、責任を無視するのは簡単になる。アイヒマンですら、強制収容所を視察したときには気分が悪くなったけれど、でも実際に大量殺人に参加するにあたり、かれは机に向かって書類をやりとりすればいいだけだった。同時に、収容所でチクロンBを投入した人物は、単に命令に従っているだけだというのを根拠に、自分自身の行動を正当化できた。したがってここには、人間行動総体の断片化がある。邪悪な行動を決断してその帰結に直面しなければならない一人の人物というのがいない。行動の全責任を負う人物が消え去っている。これこそ現代社会で、社会的に組織化された悪にいちばんありがちな特徴かもしれない。(『服従の心理スタンレー・ミルグラム:山形浩生訳)
「たいていの人は、借金しなければ利子を支払う必要はないと思っています。しかし、私たちの支払うすべての物価に利子部分が含まれているのです。商品やサービスの提供者は、機械や建物を調達するために銀行に支払いをしなければならないわけで、銀行への支払い部分が物価に含まれているのです。あるいは、投入した自分の資本を、銀行やその他のところに投資した場合に得られたであろう利子が価格に上乗せされます。
 例えば、いまのドイツでなら、1戸あたり1万8000から2万5000マルクの利子を支払っています。だから、もし利子をやめて別の有効な流通メカニズムを採用することができたら、その流通促進のために新たな負担が生じたとしても、たいていの人たちは所得が2倍になります。あるいは、現在の生活水準を維持するのに、もっと少なく働けばよくなります」(マルグリッド・ケネディ) 『エンデの遺言 根源からお金を問うこと河邑厚徳、グループ現代

マネー貨幣金融
「このところのイスラエルのやり方には、もう我慢ができません。女も子どもも構わず殺します。ルールがありません」
 検問所で迂回しようとして殺された妊婦さんの夫の話はここでも出ました。
「2日前は、なんの理由もなく男の子を撃ち殺しました。しかもチェックをすませ、通行を許可した後に、背後から撃ったのです。
 ラマラでは、病院が攻撃されました。
 シャロンは『殺せるだけ殺せ』と発表しています。信じられません。これは一国の政策なのです。なぜこの国ではこのようなことが行われるのでしょうか?
 また、封鎖のために農業が陥っている問題についてもお伝えしなければなりません。まず農業のための肥料や飼料が届きません。また作物を持ち出すことができず、産業として成り立ちません。
 この街の多くの市民は、オリーブを原料としたオイルや石鹸の製造と販売で生計を立てていますが、私たちはオリーブの収穫に行くことができませんでした。
 イスラエル軍によって畑へ出るのを阻まれたり、畑を荒らされたりしたのです。しかも大切なオリーブの木を次々戦車でなぎ倒していくのです。もちろん他の収穫物についても同じです。
 それから教育機関が動きません。学校への攻撃も容赦がありません。
 もっとも深刻な状況に追いやられているのは市民の生活そのもの、子どもの命、そして私たちの未来です。
 けれども本当に残念なことは、もっとも残念なことは、世界の国々が、特にアラブ諸国がただこの状況を見ているだけであるということです。見て見ぬふりをしているのかもしれません。
 無反応であるということは、無関心であるということは、無視され続けるということは、軍事攻撃を受けるということと同じように私たちを苦しめ続けます。
 ですから、あなたがたの訪問は、私たちを前向きにさせてくれ、少しだけ楽観的な気持ちにさせてくれます」
 私は、話し続ける彼の目に吸い込まれそうになっていきました。この瞬間に、私は、今自分がここにいる意味と、大変な責任を負っていることを自覚しました。(※発言者はナブルスの知事と思われる)
(『「パレスチナが見たい」森沢典子
 本書はホロコースト産業を分析し、告発するためのものである。以下の各章では、ザ・ホロコーストがナチ・ホロコーストのイデオロギー的表現であることを論証していこうと思う。大半のイデオロギーと同じようにこれも、わずかとはいえ、現実とのつながりを有している。ザ・ホロコーストは、各個人による恣意的なものではなく、内的に首尾一貫した構造物である。その中心教義は、重大な政治的、階級的利益を支えている。実際に、ザ・ホロコーストがイデオロギー兵器として必要不可欠であることは、すでに証明済みだ。これを利用することで、世界でもっとも強力な軍事国家の一つが、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず「犠牲者」国家の役どころを手に入れているし、合衆国でもっとも成功した民族グループが同様に「犠牲者」としての地位を獲得している。
 どちらも、どのように正当化してみたところで上辺だけの犠牲者面(づら)にすぎないのだが、この犠牲者面は途方もない配当を生みだしている。その最たるものが、批判に対する免疫性だ。しかも、この免疫性を享受している者はご多聞に漏れず、道徳的腐敗を免れていないと言ってよい。この点から見て、エリ・ヴィーゼルがザ・ホロコーストの公式通訳者として活動していることは偶然ではない。彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでないことは明白だ。ヴィーゼルが指導的役割を演じていられるのは、むしろ、彼がザ・ホロコーストの教義を誤りなく言語化しているからであり、そのことによってザ・ホロコーストの基礎となる利益を得ているからである。
(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたちノーマン・G・フィンケルスタイン:立木勝訳)
 だが、それにしても、私たちのいったいどれだけの者が、この「ナクバ」という言葉を知っているだろうか。私たちが「ナクバ」を知らないということは、単にその言葉を知らないというだけにとどまらない。それは、「パレスチナ問題」と呼ばれる問題の歴史的根源に、彼らが「ナクバ」と呼ぶ出来事があるということ、すなわち、シオニズムによって、パレスチナの地に可能な限り純粋なユダヤ人国家の創設が目指されたことで、その地に生きるユダヤ人ならざる者たちが民族浄化の暴力の犠牲となったこと、レイシズムにもとづくこの歴史的不正こそが「パレスチナ問題」の核心に存在するこという事実、そして、現在生起する問題のすべてがその歴史的不正に根ざしているという事実を知らないということだ。一方、私たちの多くが「ホロコースト」という言葉を知っている。そして、それが、いかなる出来事であったのかということも。また、その出来事をヘブライ語で「ショア」と呼ぶということさえ知っている者たちもいる。だが、ナクバについては知る者は少ない。ホロコーストが現代世界で広く記憶されるのに対し、なぜ、ナクバはそうではないのだろう。ホロコーストとナクバの、私たちの記憶をめぐるこの違いはいったいどこから来るのか。(『アラブ、祈りとしての文学岡真理
 はじめに神は高等研究計画局ネットワークを創造され、それはARPAnet(アーパネット)と呼ばれた。ARPAnetは栄えてMilnetを生み、ARPAnetとMilnetはインターネットを生み、やがてインターネットとその子孫であるUsenet(ユーズネット)のニュースグループとワールド・ワイド・ウェブが三位一体となって、神の民の暮らしを未来永劫変えた。(『青い虚空ジェフリー・ディーヴァー
 オランダでは「セックスボランティア」という仕組みが自治体の援助を受けて、組織化されいるという。(『セックスボランティア河合香織
 熱力学の法則――物質のかたまりに含まれる原子の運動を支配する法則――は、すべての根底にある、情報についての法則だ。相対性理論は、極度に大きな速さで動いている物体や重力の強い影響を受けている物体がどのように振舞うかを述べるものだが、実は情報の理論である。量子論は、ごく小さなものの領域を支配する理論だが、情報の理論でもある。情報という概念は、単なるハードディスクの内容よりはるかに広く、今述べた理論をすべて、信じられないほど強力な一つの概念にまとめあげる。
 情報理論がこれほど強力なのは、情報が物理的なものだからだ。情報はただの抽象的な概念ではなく、ただの事実や数字、日付や名前ではない。物質とエネルギーに備わる、数量化でき測定できる具体的な性質なのだ。鉛のかたまりの重さや核弾頭に貯蔵されたエネルギーにおとらず実在するのであり、質量やエネルギーと同じく、情報は一組の物理法則によって、どう振舞いうるか――どう操作、移転、複製、消去、破壊できるか――を規定されている。宇宙にある何もかもが情報の法則にしたがわなければならない。宇宙にある何もかもが、それに含まれる情報によって形づくられるからだ。
 この情報という概念は、長い歴史をもつ暗号作戦と暗号解読の技術から生まれた。国家機密を隠すために用いられた暗号は、情報を人目に触れぬまま、ある場所から別の場所へと運ぶ方法だった。暗号解読の技術が熱力学――熱機関の振舞い、熱の交換、仕事の生成を記述する学問――と結びついた結果生まれたのが情報理論だ。情報についてのこの新しい理論は、量子論と相対性理論におとらず革命的な考えである。一瞬にして通信の分野を変容させ、コンピューター時代への道を敷いたのが情報理論なのだが、これはほんの始まりにすぎなかった。10年のうちに物理学者と生物学者は、情報理論のさまざまな考えがコンピューターのビットおよぎバイトや暗号や通信のほかにも多くのものを支配することを理解しはじめた。こうした考えは、原子より小さい世界の振舞い、地球上の生命すべて、さらには宇宙全体を記述するのだ。(『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号チャールズ・サイフェ:林大訳)
 文化人類学者が世界中の849の文化の夫婦関係を調べたところ、83%に当たる708の社会が一夫多妻の制度を持っていた。一夫一婦制はわずか16%の137ほどだった。ちなみに一婦多夫も四つの社会にはあった。(『人類進化の700万年三井誠
 社会は暗黙のうちに脳化を目指す。そこではなにが起こるか。「身体性」の抑圧である。現代社会の禁忌は、じつは「脳の身体性」である。ゆえに、一章で述べたように、脳は一種の禁忌の匂いを帯びる。禁忌としての「脳」という言葉は、身体性を連想させるものとして捉えられている。「心」であればよろしい。そこには身体性は薄い。性と暴力とはなにか。それは脳に対する身体の明白な反逆である。これらは、徹底的に抑圧されなければならない。さもなくば「統御」されねばならない。いかなる形であれ、性と暴力とは徹底的に統御されるべきである。それが身体に関する脳化の帰結である。
 脳化=社会が身体を嫌うのは、当然である。脳はかならず自らの身体性によって裏切られるからである。脳はその発生母体である身体によって、最後に必ず滅ぼされる。それが死である。その意味では、「中枢は末梢の奴隷」である。その怨念は身体に向かう。善かれ悪しかれ、そこに解剖学が発生する環境がある。解剖学の背景は単純ではない。
 抑圧されるべきものは、まだ存在する。ヒトの社会は、その成立の最初から脳化を目指していた。社会が支配と統御に尽きるのは、そのためである。それが言語であり、教育であり、文化であり、伝統であり、進歩である。そこでの問題は、自然対人間ではない。その段階はとうに過ぎてしまった。個人対個人でもない。そんな問題は、動物ですら解決している。さもなければ、動物も社会もここまで存続してきていない。資本家対労働者ではましてあり得ない。そうした思想は、すべてピント外れであることが証明されてしまった。
 脳化=社会で最終的に抑圧されるべきものは、身体である。ゆえに死体である。死体は「身体性そのもの」を指示するからである。脳は自己の身体性を嫌う。それは支配と統御の彼方にあるからである。自己言及性における、脳の根本的な矛盾は、論理にではなく、その身体性にある。脳に関する自己言及性の矛盾が、実際の論理的表現よりも強く意識されるのは、背後に脳の身体性が隠れているからである。個人としてのヒトは死すべきものであり、それを知るものは脳である。だからこそ脳は、統御可能性を集約して社会を作り出す。個人は滅びても、脳化=社会は滅びないですむからである。
(『唯脳論養老孟司

脳科学
 信吉には一人の愚直な職人の姿がみえるようであった。そこにいる松のような、肉の緊まらないカラダ(※躯の正字)つきで、目尻の下ったまるっこい顔で、いつも諦めたような卑屈な笑いをうかべている。仕事の腕はあるが、頭が悪いので人に利用され、ばかにされるだけである。狡猾(こうかつ)の勝つ世の中では、こういう人間は一種の敗者であろう。勘定の催促でも強くはできない。割の悪い仕事はみな押付けられる。彼にはすべてがあとまわし、取るものはびしびし取立てられる。そしてしぜん生活はいつも苦しく、いつまでも苦しく、彼は溜息をつくばかりである。……信吉には今、その途方にくれたような、力のない溜息が聞えるようであった。(「嘘アつかねえ」)『日日平安山本周五郎
 パスカルときたら、彼の妹の言うところによれば、面白半分に32の命題を解いたが、その後はかなり凡庸な数学者となり、そのうえはなはだできの悪い形而上学者となった。(「ミクロメガス」)『カンディード 他五篇』ヴォルテール
 夏休みの季節になると銀座にも子供たちの姿が目に付く。銀座が生活の場でもあるとあらためて思い知る。歌舞伎座裏。仕事場の向いの一角がこの夏空地になった。夕刻なにげなく見下ろすと、いち早く闇を溜めたそこで5~6人の少年が両手を翼のように拡げ舞っている。地面を銀色が転がっていく。空罐を順に蹴って回して遊んでいるらしい。儀式でもあるように、蹴り終えた少年たちも無言で舞い続けている。最後の少年がひときわ濃い闇の辺りへ罐を蹴り込んでしまうと、一斉に路地へ走り去る。幻でも見たように銀色が消えた先を見つめていた。(『樹の花にて 装幀家の余白』菊地信義)
「きさまは上着の着方や髪の結い方以外に──うん、そうだ、子供や僧侶を相手に武器をもてあそぶこと以外に人生や人間については何も知らないのか? 考える心も、心で見たことを内省してみる魂ももってないのか? 自分が怖くてならないものを殺すという卑怯なやり方、それもこんな方法で殺すのは二重に卑怯だということを、人に教えてもらわなければならないのか? うしろから短刀でつきさしたのなら、自分の下劣な勇気を示したことになるだろう。下劣さもありのままってわけだ」(『スカラムーシュラファエル・サバチニ:大久保康雄訳)
 例えばサントリーという会社がある。ここはもともと「鳥井商会」というのから出発して「寿屋」と名前を変え、「赤玉ポートワイン」という名の、甘ったるい似非ワインを売りまくって現在の基盤を作った会社である。戦後にはいってからはトリスを売り、レッドを売って「ウヰスキー」という舶来の酒を世間に広めた。もちろんウヰスキーといっても、こいつらはウヰスキーコンパチの赤酒である。
 けれども、この頃まで、サントリーは「人々をしてアルコールを摂取せしめる」という酒屋商売の基本に忠実ではあった。
 その酒屋が、生意気にも文化を語り、小市民の哀れな貴族趣味にへつらうようになったのは「サントリーオールド」を発売してからのことだ。
 金文字の背表紙が並ぶ書斎、ガウンとマントルピース、パイプ煙草、カットグラスのタンブラーとマホガニーのテーブル、書きかけの小説とペリカンの万年筆、ガウディのバルセロナ、マーラー、アフリカの休日。オールドはそうやって「本物のウヰスキー」になった。焼き印を押した木箱に梱包されて、様子ぶって鎮座するようになった。
 それに伴って、鳥井商会は腰に前掛けを垂らして商売をしていた頃のひたむきさを失っていった。その代わりにオペラのホールを作り美術館を建て、ヘミングウェイのスタンスで人に説教を垂れるサントリーという企業になった。
 あの太公望のおっさんが言うように、果たして、ウヰスキーは、男の人生を豊かにするものなのだろうか。ウヰスキーが何かを解決するのだろうか。
 違う。ウヰスキーは解決を引き延ばすだけだ。あるいは新しいトラブルを起こして、古いトラブルを忘れさせるだけだ。
(『我が心はICにあらず小田嶋隆
 イスラエル政府は、ゲリラ活動に厳罰で対処していった。一人のゲリラが出たら、彼の家族の住む家を爆破し、やがて付近の住居全部をダイナマイトとブルドーザーで破壊した。共同懲罰刑を科したのである。ヨルダン川西岸地区のヒルフール市では、一度に30軒の家が破壊された。やがてガザ地区のキャンプでは、イスラエル軍のパトロールが行ないやすいようにと、家々を破壊して道路が広げられることになる。
 子どものデモでも容赦なかった。死者が増え、ヨルダンへの追放、逮捕、拷問が伝えられるようになる。ナチスの迫害にあった人々が、他の人々を拷問するなどとは信じなかった国際社会も、アムネスティ・インターナショナルや国際赤十字が多くの証拠資料を提出するに及んで、信じるほかなくなった。そのほか、ヨルダン川を渡って戻ってこようとしたパレスチナ難民が、女・子どもの区別なく、警告なしに次々と殺害されていったこともイスラエルで暴露された。
(『パレスチナ 新版広河隆一
「無責任の構造」は、その構造を容認する人を飼い慣らす。飼い慣らされることを拒否した人は、自己の良心を鈍麻(どんま)させて沈黙したり、あるいは、職場を去ることを余儀なくされたりして、システムから除外されていく。そのような形で、「無責任の構造」は静かに増殖し巨大化するのである。(『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略岡本浩一

ミルグラム
 海を見よ。海岸の法則によってさえぎられている。どんな木であろうと見るがよい。いかに大地の内側から生気を与えられていることか。大洋を見よ。定期的な潮によって満ちたり引いたりしている。泉を見よ。絶えることのない水脈によって安定している。川に注目してみよ。常に活発な流れで動いている。では、山々のきっちりした配置、丘のうねり、平野の広がりについてどう言うべきか。動物たちが互いに対して身を守るためのさまざまな防具の一つ一つについてはどう言おうか。あるものは角で武装し、あるものは歯で身を守り、あるものは蹄の上に立つ。あるいは刺を持ち、あるいは足の速さや翼で飛んで逃げ出す。しかし何よりも、まさに我々人間の形の美しさが制作者である神をあかししている。まっすぐな姿勢、立った顔、目は見張台の上みたいに身体の最上部に位置し、他の器官もすべて砦の中のようにうまく配置されている。(『オクタヴィウス』ミヌキウス・フェリクス)『キリスト教思想への招待』田川建三

キリスト教
 時代錯誤とは、字義どおりには時代を錯誤することである。だが、時代が錯誤していることだっておおいにありうるのである。(『貨幣論岩井克人
 このようなときでも、子どもから接触を求めてくる場合には、やはりなるべく受け入れてあげることは必要だ。ただ、親がそれを多少不快に感じ始めるというのは、順調に子離れが進んでいるからこそでもある。
 不快に感じるのに無理に触れるのはよくない。不快なのに無理やり触れようとすると、必ず触れ方に影響が現われる。たとえば、手のひら全体で降れずに指の腹だけで触れるようになる。すると触れられた子どもは敏感にそれを察知する。そして触れてもらっているのに心地よくない、という矛盾を感じるようになる。
 これは「ダブル・バインド」とよばれ、子どもの心を二つの異なるメッセージで板ばさみにしてしまうことになる。「愛している」というメッセージと「でも触れたくない」という二つのメッセージの矛盾に気づいた子どもは、どちらを信じたらよいのか分からず混乱してしまうのだ。
(『子供の「脳」は肌にある』山口創)

育児児童心理
 革ジャンにバイクの君を騎士として
 迎えるために夕焼けろ空
(『サラダ記念日俵万智

詩歌
 脳梗塞のリハビリは、そういう機能障害のためにあるらしい。単にもともとあった機能を回復するのではない。もっと創造的な治療だと気づいて、一生懸命リハビリに精を出しました。
 そうして、杖をついてやっと一歩歩くことに成功しました。発作を起こしてから半年あまりで初めて歩いた一歩です。歩くということがこんなに感動的なこととは知りませんでした。それは新しい体験でした。
 一歩歩けば二歩、二歩あるけば三歩、というように、それから2ヶ月かかって50メートルも歩けるようになったのです。もちろん杖をついて、「ゴリウォーグのケークウォーク」(※ドビュッシー作曲のクラシックピアノ曲。「子供の領分」の第6曲)よろしく、よたよた躓(つまず)きながら歩くだけです。車椅子でも大概のことはできるのですが、自分の足で歩きたい。倒れれば骨折の危険もあるのですから毎日薄氷を踏む思いです。歩くことは命懸けの行動なのです。それでも歩きたい。なぜなのでしょうか。
 私はこう考えます。歩くということは、人間の人間たる所以の行動だからではないでしょうか。つまり、歩くということは、移動することのほかに特別の意味を持っているのです。だから、初めて一歩歩いたとき、人間を回復したような例えようのない喜びを感じたのです。人類は直立歩行を始めてから、歩かないではいられない。歩くことが、こんなに感動的な行動とは知らなかった。一歩踏み出したことが生きる意味を変えてしまったのです。
 柳澤さんのお孫さんが驚きの声を発したのは、そこに昨日までの柳澤さんとは違った人間を見たからではないかと思います。誤解を恐れないでいえば、直立歩行ができたときの驚きでしょう。
(『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話多田富雄柳澤桂子

 病気脳血管障害
 私は先生のご闘病記の中の次のくだりが大好きです。直径175センチもあるかと思われる夕日が日本海に沈んで、一本の金の線となって海にかくれるところを先生が見ておいでになったときです。
「その時突然思いついたことがあった。それは、電撃のように私を襲った。なにかが私の中でぴくりと動いたようだった。(中略)
 もし機能が回復するとしたら、単なる回復ではない。それは新に獲得するものだ。新しい声は前の私の声ではあるまい。新に一歩が踏み出されるなら、それは失われた私の脚を借りて何ものかが歩き始めるのだ。もし万が一、私の右手が動いて何ものかを掴んだならば、それは私ではない新しい人間が掴んだはずなのだ。(中略)
 新しいものよ、早く目覚めてくれ。それはいまは弱々しく鈍重だが、無限の可能性を秘めて私のなかに胎動しているように思われた。私には彼が縛られ、痛め付けられた巨人のように思われた」
 これは、経験のないものにはいい得ないことですし、そのように感じられる先生の感性が健在であることを物語っています。そして、その陰に、神経科学が先生のご思考を支えているのです。その結果、このようなユニークな感覚が描かれたのだと思います。
 私も長い間寝たきりになったあと、起きあがって歩くのはとてもたいへんでした。はじめに、リハビリの先生をお願いしないで、勝手に動いてしまったので、すっかり腰を痛めてしまったのです。最初の一歩は1998年12月2日に踏み出しました。リハビリの先生の手につかまって立った私から、先生はすっと手を引いてしまわれました。そして、そこには、一人で立っている私がいました。やはり感激しましたが、涙は出ませんでした。と申しますのは、そこへちょうど3歳になる孫が入ってきて、これ以上開けないほど目を見開いて、
「ママ、たいへん! おばあちゃんが大人のように立ったよ!」
といったのです。感激は大笑いになってしまいました。(柳澤桂子)
露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話多田富雄柳澤桂子

 病気
 なにかを学ぶとは、結局は人間がしあわせになるために学ぶのです。その人自身がこの世の中でせいいっぱい、いまの自分を生きるために学ぶのです。ですから、学ぶことは、そのまま自分を生きることでもあります。みなさんのなかには、たとえば、いま学校の勉強がおもしろくないとか、いまの学校はどうも自分の生き方にあわないとか、あの先生はなんとしても好きになれないとか感じて登校を拒否したり、先生からのはたらきかけを拒否したりしている人がいるかもしれません。いまの学校の体質からすれば、そうする人がいることはけっして不思議なことではありません。しかし、そこでぜひ考えてほしいのは、相手を否定したら、それでは自分に責任をもった生き方を自分はどう選択し、創りだすか、ということです。学校を拒否し、教師を拒否し、親を拒否して、相手を否定したけれども、それと同時に、自分をもだめにしてしまったら、なんの意味もないわけです。
 自分自身に責任を持つというのは、では、自分自身の生き方をどうするかを考えて、自分自身の道を選択することです。そのために学ぶということであります。
(『自由の森学園 その出発』遠藤豊)

教育
 ヨランド・ムカガサナが『知ることを恐れてはならない』の中で明らかにしたフランス・ルワンダ関連の年代記を読むと、ジャン・クリストフ・ミッテランの果たした役割に気がつく。ジャン・クリストフはミッテラン元フランス大統領の息子で、「パパマディ」というあだ名がついている(訳注:Papamadi=Papa m'a dit「パパが言ってたよ」の意)。彼は1983年にはすでに歴史の流れに、つまり、フツ族の利益に沿った流れに影響を与えていた。ルワンダの、やはり大統領の息子であり、無二の親友であったジャン・ピエール・ハビャリマナと密接な関係にあったからだ。そして、1990年6月にはフランソワ・ミッテランがラボールにて「アフリカ諸国の民主化、ことにルワンダの民主化」を呼びかける宣言を発表したにもかかわらず、フランスは同年10月5日、当時の政権を支持する作戦を計画した。
「これがやがてノロワ・オペレーションとなる。このオペレーションの目的は、ルワンダ軍を支持して、ツチ族が帰国できないようにすることだった。武器がルワンダに渡り、フランス兵はルワンダ兵を訓練した。このルワンダ兵が1994年のジェノサイドを引き受けることになる。フランスは公式には1993年にルワンダから引き上げる。しかし、武器の調達はそのまま継続され、フランス兵は民間人としてルワンダに残った」
(『山刀で切り裂かれて ルワンダ大虐殺で地獄を見た少女の告白』アニック・カイテジ:浅田仁子訳)
 私たちにこれから最も要求されるのは、自分自身の判断力(多様な人生を生き抜く選択の知恵である)と考える力だと思う。原理とか、原則とかに盲目的に固執していては、多様性と、変動に対処していけないのである。変動と多様化に対処するための教科書は存在しない。自分自身で素心になり深く考え、その結果、最も賢明な選択をすることだけが、残された唯一の方法だと私は思うのだ。(中略)私は、いい時代だと思っている。変動し、多様化する時代こそは、個人が自己の可能性を発揮しやすい時代だからだ。(『生きること 学ぶこと』広中平祐)