だが、それにしても、私たちのいったいどれだけの者が、この「ナクバ」という言葉を知っているだろうか。私たちが「ナクバ」を知らないということは、単にその言葉を知らないというだけにとどまらない。それは、「パレスチナ問題」と呼ばれる問題の歴史的根源に、彼らが「ナクバ」と呼ぶ出来事があるということ、すなわち、シオニズムによって、パレスチナの地に可能な限り純粋なユダヤ人国家の創設が目指されたことで、その地に生きるユダヤ人ならざる者たちが民族浄化の暴力の犠牲となったこと、レイシズムにもとづくこの歴史的不正こそが「パレスチナ問題」の核心に存在するこという事実、そして、現在生起する問題のすべてがその歴史的不正に根ざしているという事実を知らないということだ。一方、私たちの多くが「ホロコースト」という言葉を知っている。そして、それが、いかなる出来事であったのかということも。また、その出来事をヘブライ語で「ショア」と呼ぶということさえ知っている者たちもいる。だが、ナクバについては知る者は少ない。ホロコーストが現代世界で広く記憶されるのに対し、なぜ、ナクバはそうではないのだろう。ホロコーストとナクバの、私たちの記憶をめぐるこの違いはいったいどこから来るのか。(『アラブ、祈りとしての文学岡真理
 はじめに神は高等研究計画局ネットワークを創造され、それはARPAnet(アーパネット)と呼ばれた。ARPAnetは栄えてMilnetを生み、ARPAnetとMilnetはインターネットを生み、やがてインターネットとその子孫であるUsenet(ユーズネット)のニュースグループとワールド・ワイド・ウェブが三位一体となって、神の民の暮らしを未来永劫変えた。(『青い虚空ジェフリー・ディーヴァー
 オランダでは「セックスボランティア」という仕組みが自治体の援助を受けて、組織化されいるという。(『セックスボランティア河合香織
 熱力学の法則――物質のかたまりに含まれる原子の運動を支配する法則――は、すべての根底にある、情報についての法則だ。相対性理論は、極度に大きな速さで動いている物体や重力の強い影響を受けている物体がどのように振舞うかを述べるものだが、実は情報の理論である。量子論は、ごく小さなものの領域を支配する理論だが、情報の理論でもある。情報という概念は、単なるハードディスクの内容よりはるかに広く、今述べた理論をすべて、信じられないほど強力な一つの概念にまとめあげる。
 情報理論がこれほど強力なのは、情報が物理的なものだからだ。情報はただの抽象的な概念ではなく、ただの事実や数字、日付や名前ではない。物質とエネルギーに備わる、数量化でき測定できる具体的な性質なのだ。鉛のかたまりの重さや核弾頭に貯蔵されたエネルギーにおとらず実在するのであり、質量やエネルギーと同じく、情報は一組の物理法則によって、どう振舞いうるか――どう操作、移転、複製、消去、破壊できるか――を規定されている。宇宙にある何もかもが情報の法則にしたがわなければならない。宇宙にある何もかもが、それに含まれる情報によって形づくられるからだ。
 この情報という概念は、長い歴史をもつ暗号作戦と暗号解読の技術から生まれた。国家機密を隠すために用いられた暗号は、情報を人目に触れぬまま、ある場所から別の場所へと運ぶ方法だった。暗号解読の技術が熱力学――熱機関の振舞い、熱の交換、仕事の生成を記述する学問――と結びついた結果生まれたのが情報理論だ。情報についてのこの新しい理論は、量子論と相対性理論におとらず革命的な考えである。一瞬にして通信の分野を変容させ、コンピューター時代への道を敷いたのが情報理論なのだが、これはほんの始まりにすぎなかった。10年のうちに物理学者と生物学者は、情報理論のさまざまな考えがコンピューターのビットおよぎバイトや暗号や通信のほかにも多くのものを支配することを理解しはじめた。こうした考えは、原子より小さい世界の振舞い、地球上の生命すべて、さらには宇宙全体を記述するのだ。(『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号チャールズ・サイフェ:林大訳)
 文化人類学者が世界中の849の文化の夫婦関係を調べたところ、83%に当たる708の社会が一夫多妻の制度を持っていた。一夫一婦制はわずか16%の137ほどだった。ちなみに一婦多夫も四つの社会にはあった。(『人類進化の700万年三井誠
 社会は暗黙のうちに脳化を目指す。そこではなにが起こるか。「身体性」の抑圧である。現代社会の禁忌は、じつは「脳の身体性」である。ゆえに、一章で述べたように、脳は一種の禁忌の匂いを帯びる。禁忌としての「脳」という言葉は、身体性を連想させるものとして捉えられている。「心」であればよろしい。そこには身体性は薄い。性と暴力とはなにか。それは脳に対する身体の明白な反逆である。これらは、徹底的に抑圧されなければならない。さもなくば「統御」されねばならない。いかなる形であれ、性と暴力とは徹底的に統御されるべきである。それが身体に関する脳化の帰結である。
 脳化=社会が身体を嫌うのは、当然である。脳はかならず自らの身体性によって裏切られるからである。脳はその発生母体である身体によって、最後に必ず滅ぼされる。それが死である。その意味では、「中枢は末梢の奴隷」である。その怨念は身体に向かう。善かれ悪しかれ、そこに解剖学が発生する環境がある。解剖学の背景は単純ではない。
 抑圧されるべきものは、まだ存在する。ヒトの社会は、その成立の最初から脳化を目指していた。社会が支配と統御に尽きるのは、そのためである。それが言語であり、教育であり、文化であり、伝統であり、進歩である。そこでの問題は、自然対人間ではない。その段階はとうに過ぎてしまった。個人対個人でもない。そんな問題は、動物ですら解決している。さもなければ、動物も社会もここまで存続してきていない。資本家対労働者ではましてあり得ない。そうした思想は、すべてピント外れであることが証明されてしまった。
 脳化=社会で最終的に抑圧されるべきものは、身体である。ゆえに死体である。死体は「身体性そのもの」を指示するからである。脳は自己の身体性を嫌う。それは支配と統御の彼方にあるからである。自己言及性における、脳の根本的な矛盾は、論理にではなく、その身体性にある。脳に関する自己言及性の矛盾が、実際の論理的表現よりも強く意識されるのは、背後に脳の身体性が隠れているからである。個人としてのヒトは死すべきものであり、それを知るものは脳である。だからこそ脳は、統御可能性を集約して社会を作り出す。個人は滅びても、脳化=社会は滅びないですむからである。
(『唯脳論養老孟司

脳科学
 信吉には一人の愚直な職人の姿がみえるようであった。そこにいる松のような、肉の緊まらないカラダ(※躯の正字)つきで、目尻の下ったまるっこい顔で、いつも諦めたような卑屈な笑いをうかべている。仕事の腕はあるが、頭が悪いので人に利用され、ばかにされるだけである。狡猾(こうかつ)の勝つ世の中では、こういう人間は一種の敗者であろう。勘定の催促でも強くはできない。割の悪い仕事はみな押付けられる。彼にはすべてがあとまわし、取るものはびしびし取立てられる。そしてしぜん生活はいつも苦しく、いつまでも苦しく、彼は溜息をつくばかりである。……信吉には今、その途方にくれたような、力のない溜息が聞えるようであった。(「嘘アつかねえ」)『日日平安山本周五郎