パスカルときたら、彼の妹の言うところによれば、面白半分に32の命題を解いたが、その後はかなり凡庸な数学者となり、そのうえはなはだできの悪い形而上学者となった。(「ミクロメガス」)『カンディード 他五篇』ヴォルテール
 夏休みの季節になると銀座にも子供たちの姿が目に付く。銀座が生活の場でもあるとあらためて思い知る。歌舞伎座裏。仕事場の向いの一角がこの夏空地になった。夕刻なにげなく見下ろすと、いち早く闇を溜めたそこで5~6人の少年が両手を翼のように拡げ舞っている。地面を銀色が転がっていく。空罐を順に蹴って回して遊んでいるらしい。儀式でもあるように、蹴り終えた少年たちも無言で舞い続けている。最後の少年がひときわ濃い闇の辺りへ罐を蹴り込んでしまうと、一斉に路地へ走り去る。幻でも見たように銀色が消えた先を見つめていた。(『樹の花にて 装幀家の余白』菊地信義)
「きさまは上着の着方や髪の結い方以外に──うん、そうだ、子供や僧侶を相手に武器をもてあそぶこと以外に人生や人間については何も知らないのか? 考える心も、心で見たことを内省してみる魂ももってないのか? 自分が怖くてならないものを殺すという卑怯なやり方、それもこんな方法で殺すのは二重に卑怯だということを、人に教えてもらわなければならないのか? うしろから短刀でつきさしたのなら、自分の下劣な勇気を示したことになるだろう。下劣さもありのままってわけだ」(『スカラムーシュラファエル・サバチニ:大久保康雄訳)
 例えばサントリーという会社がある。ここはもともと「鳥井商会」というのから出発して「寿屋」と名前を変え、「赤玉ポートワイン」という名の、甘ったるい似非ワインを売りまくって現在の基盤を作った会社である。戦後にはいってからはトリスを売り、レッドを売って「ウヰスキー」という舶来の酒を世間に広めた。もちろんウヰスキーといっても、こいつらはウヰスキーコンパチの赤酒である。
 けれども、この頃まで、サントリーは「人々をしてアルコールを摂取せしめる」という酒屋商売の基本に忠実ではあった。
 その酒屋が、生意気にも文化を語り、小市民の哀れな貴族趣味にへつらうようになったのは「サントリーオールド」を発売してからのことだ。
 金文字の背表紙が並ぶ書斎、ガウンとマントルピース、パイプ煙草、カットグラスのタンブラーとマホガニーのテーブル、書きかけの小説とペリカンの万年筆、ガウディのバルセロナ、マーラー、アフリカの休日。オールドはそうやって「本物のウヰスキー」になった。焼き印を押した木箱に梱包されて、様子ぶって鎮座するようになった。
 それに伴って、鳥井商会は腰に前掛けを垂らして商売をしていた頃のひたむきさを失っていった。その代わりにオペラのホールを作り美術館を建て、ヘミングウェイのスタンスで人に説教を垂れるサントリーという企業になった。
 あの太公望のおっさんが言うように、果たして、ウヰスキーは、男の人生を豊かにするものなのだろうか。ウヰスキーが何かを解決するのだろうか。
 違う。ウヰスキーは解決を引き延ばすだけだ。あるいは新しいトラブルを起こして、古いトラブルを忘れさせるだけだ。
(『我が心はICにあらず小田嶋隆
 イスラエル政府は、ゲリラ活動に厳罰で対処していった。一人のゲリラが出たら、彼の家族の住む家を爆破し、やがて付近の住居全部をダイナマイトとブルドーザーで破壊した。共同懲罰刑を科したのである。ヨルダン川西岸地区のヒルフール市では、一度に30軒の家が破壊された。やがてガザ地区のキャンプでは、イスラエル軍のパトロールが行ないやすいようにと、家々を破壊して道路が広げられることになる。
 子どものデモでも容赦なかった。死者が増え、ヨルダンへの追放、逮捕、拷問が伝えられるようになる。ナチスの迫害にあった人々が、他の人々を拷問するなどとは信じなかった国際社会も、アムネスティ・インターナショナルや国際赤十字が多くの証拠資料を提出するに及んで、信じるほかなくなった。そのほか、ヨルダン川を渡って戻ってこようとしたパレスチナ難民が、女・子どもの区別なく、警告なしに次々と殺害されていったこともイスラエルで暴露された。
(『パレスチナ 新版広河隆一
「無責任の構造」は、その構造を容認する人を飼い慣らす。飼い慣らされることを拒否した人は、自己の良心を鈍麻(どんま)させて沈黙したり、あるいは、職場を去ることを余儀なくされたりして、システムから除外されていく。そのような形で、「無責任の構造」は静かに増殖し巨大化するのである。(『無責任の構造 モラル・ハザードへの知的戦略岡本浩一

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