大切なことは、生命のシナリオに書かれている情報の大部分は、生物の最終的な形や習性そのものではなく、それらの形や習性を生み出す蛋白質のつくり方に関するものである、ということです。(『DNAがわかる本中内光昭
 矛盾した信念と誤った意識は、心のソフトの傷ついたプログラムに当たる。このプログラムでは集中力を維持できず、目的を達成する能力を破壊してしまう。一方の足でアクセルを踏みながら、もう一方の足で同時にブレーキを踏んでいるようなまねをする。そして最初はトレード方法の習得が楽しく、挑戦という神秘性が魅力的に映るが、やがて正真正銘の怒りへと変わってしまう。(『ゾーン 相場心理学入門』マーク・ダグラス:世良敬明訳)
佐藤●では、ニュースソースは誰か。この種の話はきちんとしておいたほうがいいと思うので、あえて踏み込んでお話ししますが、ロシアには科学アカデミーという組織があります。ロシアの最高学府はモスクワ大学で、そこでは東京大学よりもエリートの絞り込みが行われていますが、そのモスクワ大学よりもさらに絞り込んでいるのが科学アカデミーですね。たとえば民族学人類学研究所なら研究員は600人、大学院生は6~7人しかいない。年によっては入学試験合格の該当者なしということもあります。つまり、そこの大学院(3年制)に入学すれば研究者もしくは大学講師の道が保証される。大学は教育研究機関ですが、科学アカデミーはそれより一段上の研究機関なんです。
 その科学アカデミーの中に、東洋学研究所というのがあるんですね。日本の仏教研究などを行っているのですが、それと同時に、いわゆるオリエンタリスト(東洋学者)というのは各国の植民地支配の手先になったので、常に諜報と深く関係している。諜報員が擬装に使う研究所でもっとも多いのは、科学アカデミーの東洋学研究所なんです。
(『インテリジェンス 武器なき戦争』手嶋龍一、佐藤優
 通常、私たちはある物事に対して、感情を働かせます。「小さい危険」には小さな不安、「大きい危険」にはそれなりの不安を感じるでしょう。それは個人差こそあれ、他の人とそれほど大きな差はないのです。
 ところが元気な人なら「小さい危険」と感じるような刺激でも、うつ状態の人は「たいへん大きな危険」と感じてしまうのです。
 ですから周囲にとっては、たいしたことがない出来事でも、うつ的思考の人にとっては、とても不安で、嘆き悲しむ出来事のように感じられてしまいます。些細なことでも今まで以上に過敏に悩むようになってしまうのです。さらに何の手立ても打てない自分に対し、自信が失われてきます。すると、また問題に対して不安が増大するという悪循環に陥るのです。うつ的思考に陥ると、外的な環境は何も変わっていないのに、悩みが急激に深くなっていきます。
(『相談しがいのある人になる 1時間で相手を勇気づける方法下園壮太

カウンセリング
【アイコン】Icon/(中略)このIconなる英語は、実は、「イコン」すなわち、ギリシア正教でいうところの「聖母像や殉教者の肖像画」と語源を同じくしている。
 つまり、キリスト教圏に住む英語国民にとって「アイコン」は、相当に宗教味を帯びた言葉なのである。つまり、キリスト教圏に住む英語国民にとって「アイコン」は、相当に宗教味を帯びた言葉なのである。であるからして、漢字および仏教文化圏に住む者の一人として、私は、思い切って「アイコン」を「曼陀羅」と訳してみたい衝動に駆られるのであるが、そういうことをして業界に宗教論争を持ち込んでも仕方がないので、このプランはあきらめよう。
 さて、「イコン」は、聖書主義者あるいはキリスト教原理主義者の立場からすると、卑しむべき「偶像」である。
 彼らは、イコンに向かってぬかづいたりする人間を「アイコノクラスト(偶像崇拝者)」と呼んで、ひどく軽蔑する。なぜなら、偶像崇拝者は、何物とも比べることのできない絶対至高の存在である神というものを、絵や彫像のような卑近な視覚対象として描写し、そうすることによって神を貶め、冒涜しているからだ。しかも、偶像崇拝者は、もっぱら神の形にだけ祈りを捧げ、神のみ言葉に耳を傾けようとしない愚かな人間たちだからだ。
 ……ってな調子で、融通のきかない原理主義の人々はコ難しいことを言っているが、一般人は、ばんばん偶像崇拝をしている。
 結局、偶像は、迷える仔羊たちに「神」を実感させる道具として有効なのだ。というよりも、形を持たないものに向かって祈ることは、並みの人間にはなかなかできないことなのである。
(『コンピュータ妄語録小田嶋隆
養老●これもとてもおもしろいのですが、神経内科の医者であるオリバー・サックスという人が書いていますけど、聴覚の落ちた人を見ていて、非常にはっきりした特徴が二つあったというんです。一つは、彼らは因果関係の理解が非常に遅い。僕は昔から、因果関係は耳だと言っていたんですが、まさにそうなんです。耳というのは情報が時間的に配列されますから、理屈を説明するときには直列に順々と説くんですよ。ところが目というのは直感的に、同時並列で、つまり「百聞は一見にしかず」というのはそのことで、同時並列でポンとわかる。ところが、耳が聞こえないと因果関係がつかめない。(『「わかる」ことは「かわる」こと佐治晴夫養老孟司
 閉ざされている人間、自分の手で自分の心を閉ざしている人間とは、内部の人間のことである。なぜ内部にいるのか。自分の心が外部から傷つけられるのに耐えられぬからだ。その第一歩は臆病者、あるいは卑怯者であり、これはもっとも低級な種類である。外部から傷つけられぬためのもっとも簡単な経済的な防衛は、自分が外部からすっかり拒否されていると思いこみ、閉め出された状態に身をおくことである。いちばん受身の最小の地点、いちばん弱い地点、それがもっとも巧妙な隠れ場所なのである。(『内部の人間の犯罪 秋山駿評論集』秋山駿)