日本語の「いのり」という言葉の語源は、「生宣(いの)り」だと解釈されています。「い」は生命力(霊威ある力)、「のり」は祝詞(のりと)や詔(みことのり)の「のり」と同じで、宣言を意味しています。ですから、「いのり」は「生命の宣言」なのです。語源だけ考えると、日本語の「いのり」と欧米語の「祈り」(prayer,Gebetなど)とでは大きく異なり、欧米語の多くは「願う・頼む」という意味を中心に持っています。人生にはいろいろな悩みや難問が待ち受けていますが、「自分はめげずにがんばって生きるぞ」と宣言する、それが祈り(生宣り)です。そう「生命の宣言」をすると、遺伝子が活性化して、いきいき生きられるようになるはずです。(『人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている村上和雄、棚次正和)
 現在の日本経済の中核的な企業は、何らかの意味で戦時経済と深く結びついている。例えば、日本経済を代表する企業であるトヨタ自動車や日産自動車は、軍需産業として政府軍部の強い保護を受けて成長した。また、電力会社は、戦時経済改革の結果誕生した企業である。(『1940年体制 さらば戦時経済』野口悠紀雄)
 人は孤独になればなるほど、宗教的になることができる。(『仏教への道』松本史朗)
 警語は、時として熱語(ねつご)なることあり、冷語(れいご)なることあり、正語(せいご)なることあり、奇語(きご)なることあり、軟語(なんご)なることあり、硬語(こうご)なることあり、柔語(じゅうご)なることあり、豪語なることあり、温語(おんご)なることあり、痛語(つうご)なることあり、甘語(かんご)なることあり、苦語(くご)なることあり、倹語(けんご)なることあり、誇語(こご)なることあり、また、必ずしも毒語(どくご)、悪語(あくご)、邪語(じゃご)なるを妨げざることあり。要するに、これを発する場所と時機とに適応して寸分の過不及(かふきゅう)なく、凱切(がいせつ)にして徹底、人の胸を刺し貫いて、鋒尖(ほうせん)白く脊梁(せきりょう)に出ずるものなれば足れるなり。したがって、警語は如何なる場合にも決して冗漫なるを得ざるの約束に支配せらる。節の長短、調(ちょう)の緩急は、場合によりての手加減あるべしと雖も、必ず常に、十二分に鍛錬緊縮せられて、精髄を結晶せしめたるが如く簡潔純粋なるものならざるべからざるなり。(『日本警語史』伊藤銀月)
 ジェノサイドとは、古代ギリシャ語で種を表す genos と、ラテン語に由来し殺害を意味する cide を組み合わせた造語であり、一般に「集団殺害罪」と訳されている。それは、公人であれ私人であれ、犯した個人の刑事責任が問われる国際法上の重大犯罪である。ポーランド出身のユダヤ人法学者ラファエル・レムキン(1900~1958)がナチ・ドイツの暴力支配を告発するために著した『占領下ヨーロッパにおける枢軸国支配』(1944)でこの言葉を用いたのが嚆矢となり、その後、1948年の国連総会で採択された「集団殺害罪の予防と処罰に関する条約」(ジェノサイド条約)を通して、これに法的な定義が与えられた。(石田勇治)『ジェノサイドと現代世界』石田勇治、武内進一編
 一日一日、まるですこしずつ幕があがって、すばらしい景色が見えてくるような気持ちだった。(「恋盗人」)『11の物語』パトリシア・ハイスミス
「趣味のいい者は、たいてい少数派だ」(『深海のYrr(イール)』フランク・シェッツィング)
 保護主義的措置は、絶対的な害悪ではなく、むしろ自由貿易がもたらす深刻な問題を解決するための有効な手段である。それにもかかわらず、経済学者たちが自由貿易を原則としたがる理由は、結局のところ、政府の能力が信用できないということに尽きる。(『自由貿易の罠 覚醒する保護主義中野剛志