いずれにせよ、法律とはインセンティブの構造を明文化したものにすぎない。(『戦略的思考の技術 ゲーム理論を実践する』梶井厚志)
「あのね、最近、世界の端(はし)っこが壊れかけてんの」(『「悪」と戦う高橋源一郎
 われわれは小氷河期から二重の教訓を学ぶことができる。ひとつは、気候の変動はゆっくりと穏やかに起こるわけではないということだ。ある時代から別の時代に突如として変化する。その原因は不明であり、人間にはその進路を変えることはとうていできない。ふたつ目は、気候は人類の歴史を左右するということである。その影響力は大きく、ときにはそれが決定的な要因になることもある。(『歴史を変えた気候大変動』ブライアン・フェイガン:東郷えりか、桃井緑美子訳)
 たとえば、クライアントのお話を聞いていくうちに、むしろ周りにいる人たちの方が病んでいるんじゃないかと思えてくることもありあす。その人自身が病んでいなかったからこそ、歪(ゆが)んだ周囲に反応して具合が悪くなっていたり、また、日本の精神風土に【染まり切れない】ために不適応が起こっているようなケースもある。さらには、現代社会の不自然さに対して馴染(なじ)めないために苦しんでいる人もいる。
 そういうわけで、本人と環境の、そもそも一体どちらが問題なのかということについては、そう簡単に判断することはできません。違和感を覚えないで生きている多数派の方がすなわち健康、と考えるのはあまりに早計でしょう。
(『「普通がいい」という病 「自分を取りもどす」10講』泉谷閑示)
 しかし、債権者/債務者の関係は「社会的諸関係に直接働きかける」だけにとどまらない。なぜなら、この関係はそれ自体が権力関係であり、現代資本主義のもっとも重要で普遍的な様相の一つだからである。クレジット(信用貸し)あるいは負債、そして債権者/債務者の関係はある特殊な権力関係をなし、主観性の生産と統制の特殊な様態(「経済的人間」〔ホモ・エコノミクス〕の特殊な携帯としての〈借金人間〉〔ホモ・デビトル〕)をもたらす。債権者/債務者の関係は、資本/労働、福祉国家/利用者(ユーザー)、企業/消費者といった関係に重ねあわされ、それらの関係を貫いて、利用者(ユーザー)・労働者・消費者を〈債務者〉に仕立て上げる。(『〈借金人間〉製造工場 “負債"の政治経済学マウリツィオ・ラッツァラート:杉村昌昭訳)
 偶然性とは必然性の否定である。必然とは必ず然(し)か有ることを意味している。すなわち、存在が何らかの意味で自己のうちに根拠を有(も)っていることである。偶然とは偶々(たまたま)然(し)か有るの意で、存在が自己のうちに十分の根拠を有っていないことである。すなわち、否定を含んだ存在、無いことのできる存在である。換言すれば、偶然性とは存在にあって非存在との不離の内的関係が目撃されているときに成立するものである。有と無との接触面に介在する極限的存在である。有が無に根ざしている状態、無が有を侵している形象である。(『偶然性の問題』九鬼周造)
 この「意識の流れ」という言葉を聞いて僕はずっと前に、僕のおやじが出してくれた問題を思いだした。「まずこの地球に火星人がやってきたとしよう。火星人は決して眠らず常に活動しているものとする。つまり彼らは睡眠というおよそおかしな現象を必要としないとすれば、きっと次のような質問をするに違いない。「眠りにおちるときには、どんな気持がするものか? 眠るということは、そもそもどういうことなのか? 君たちの思考は突然停止するのか、それともだんだんだーんだーん速度が落ちていくのか? 実際に心というものはどうやって動きを止めるのか?」(『「ご冗談でしょう、ファインマンさん」』R・P・ファインマン)