その一方で、20世紀には、「限界がある」という仰天の帰結が三つ導かれた。現実の世界で私たちが知りうることに、数学の論理を駆使して見出すことができる真理に、そして民主主義を導入して達成できることに、限界があるというのだ。なかでもとりわけ有名なのが、1927年にヴェルナー・ハイゼンベルクによって発見された不確定性原理だろう。それによると、物体の位置と速度を同時に知ることはできず、全知の存在さえ、宇宙に存在する全物体の位置と速度をラプラスに教えることはできない。続く30年代に証明されたクルト・ゲーデル不完全性定理は、数学上の真理を決めるための論理に不備があることを明らかにした。ゲーデルが不完全性定理を確立した15年ほどのちにはケネス・アローが、投票者が属する社会の選り好みを各投票者の選り好みに基づいて満足に表せるような集計方法がないことを示している。20世紀後半になると、私たちの知る能力や行なう能力の限界を示す帰結が多くの分野で数々導かれたが、この三つが文句なくビッグスリーと言えよう。(『不可能、不確定、不完全 「できない」を証明する数学の力』ジェイムズ・D・スタイン:熊谷玲美、田沢恭子、松井信彦訳)

高橋昌一郎
 ある知性が、与えられた時点において、自然を動かしているすべての力と自然を構成しているすべての存在物の各々の状況を知っているとし、さらにこれらの与えられた情報を分析する能力をもっているとしたならば、この知性は、同一の方程式のもとに宇宙のなかも最も大きな物体の運動も、また最も軽い原子の運動をも包摂せしめるであろう。この知性にとって不確かなものは何一つ存在しないであろうし、その目には未来も過去と同様に現存することであろう。(『確率の哲学的試論ラプラス
 私たちが物に依存するのは、内面的に私たちが貧しく、そしてその内面的存在の貧しさを物で覆い隠したいからです。(『片隅からの自由 クリシュナムルティに学ぶJ・クリシュナムルティ:大野純一著編訳)
 脳が実行していることを模倣するというキュビスムの試みは、神経科学的には失敗であった。勇気ある失敗であったかもしれないが、失敗であることに変わりはないのである。(『脳は美をいかに感じるか ピカソやモネが見た世界』セミール・ゼキ)

脳科学
 芸術家が絵画や工芸品の中に潜ませたシンボルを探しだし、それらのつながりを解読することができたとき、その作品の背後に隠されている意味と寓意の豊かな世界が眼前に開けてくる。なぜなら、シンボリズムの普遍的な力に導かれ、芸術家も鑑賞者も、創造媒体の物質的制約や文化的境界線を踏み越え、深く人間精神の根源に辿り着くことができるからである。(『シンボルの謎を解く』クレア・ギブソン)
 真実を追求する時が来た。
 事情聴取や取り調べにおけるキネシクス分析のプロセスは、“ベースライン”を見きわめることから始まる。ベースラインとは、分析対象が事実を語っているときに示すボディランゲージの目録のようなものだ。両手をどの位置に置くか、答えるとき視線をどちらに向けるか、その方角をどの程度の頻度で見るか、唾を呑みこんだり咳払いをしたりといったことを繰り返すか、“えーと”といった間投詞を頻繁に使うか、爪先で床を叩いたりするか、背を丸めるか、身を乗り出すようにするか、答える前にためらうか。
(『ロードサイド・クロスジェフリー・ディーヴァー池田真紀子訳)