ルクレティウス(※紀元前99年頃-紀元前55年)は次のように提唱した。宇宙は、宇宙空間を不規則に動きまわる無数の原子で構成されており、それらが日光の中に漂うほこりのように、衝突し、つながりあい、複雑な構造を形作り、またばらばらになり、創造と破壊のプロセスを絶え間なくくりかえしている。このプロセスから逃れる道はない。夜空を見上げ、わけもなく感動し、無数の星々に驚嘆するとき、見えているのは、神の創造物でもなければ、われわれの仮の世から切り離された透明球体でもない。そこに見えているのは、人間がその一部をなす物質界、人間を構成するのと同じ元素からなる物質界である。神の基本計画も、造物主も、知性ある設計者も存在しない。われわれが属する種を含め、万物は、茫漠たる歳月を経て進化してきたのだ。進化は一定ではない。ただし生物の場合、自然選択の原理を伴う。すなわち、生存と繁殖に適した種が、少なくとも一定の期間は、存続するのだ。適していない種は短期間で滅びる。だが、われわれの種も、われわれが生きる惑星も、毎日輝く太陽も、どれも永遠に続くものではない。ただ原子のみが不滅である。(『物の本質について』)『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』スティーヴン・グリーンブラット
「この幸三」
 と書いて点を入れ、いっぺん筆にスミを含ませた。大きく深呼吸し、あとは息を止めて一気に書いた。
「名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」
 母が縫い物するのに使う三尺の物差し、その裏側に、こう書いたんです。われながらあっぱれなカナクギ流でね。(中略)
 そう、日本一の将棋指しになるために、私は家出したんです。時は昭和7年の2月、数えの15歳、満では13歳でした。手にした風呂敷包みの中には、昼のうち用意しておいた握りめしと、着がえの下着が何枚かだけ。ゼニは一銭も持っておらなかった。
(『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』升田幸三)
 逆命利君という言葉がある。これは、中国は漢時代の「説苑」(ぜいえん)にある「命に逆らいて君を利する、之を忠と謂(い)う」という一節からきている言葉だ。これは、主君、社長、上司はもちろんのこと、友人や他人を問わず、権力者に直言して、国益や社益を誤らせずに、賢い指導者としてのイメージも正すという意味である。(『アメリカ殺しの超発想 「奴隷」日本よ、目を醒ませ! 制度疲労をすぐ正せ!霍見芳浩
 兄の異常な真剣さは、先ず自分の仕事、それから、それまで夢中になって来た陶器や画のすべてにみられる。鉄斎の六曲一双の大屏風を3時間以上ながめていたり、雪舟の「山水長巻(さんすいちょうかん)」の五十何尺とある長い絵巻の前を行ったり来たりているうちに、全く絵の中の二人の男と一緒に自分も小道を歩き、丘にのぼり、洞門のうちに休み、一緒に山水を眺める。高野山で「来迎図」を見るために、何度となく博物館に行っては。何もかも忘れて長い時間をすごす。
「錬金術師のような執念と、きびしく深さをたたえた美意識……」
 と誰かが兄を批評していたが、それは仕事に対しても勿論強く出るのだが、純粋に美だけの探求には、魔物がその上に顔を出す。
(『兄 小林秀雄との対話 人生について』高見沢潤子)

小林秀雄
 不平家とは、自分自身と決して折り合わぬ人種をいうのである。不平家は、折り合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが、環境と闘い環境に打勝つという言葉もほとんど理解されてはいない。ベエトオヴェンは己れと戦い己れに打勝ったのである。言葉を代えて言えば、強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るがままの環境であって、そこに何一つ欠けているところも、不足しているものもありはしない。不足な相手と戦えるわけがない。好もしい敵と戦って勝たぬ理由はない。命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。これは、社会改良家という大仰(おおぎょう)な不平家には大変難しい真理である。彼は、人間の本当の幸不幸の在処(ありか)を尋ねようとした事は、決してない。
(『モオツァルト・無常という事小林秀雄
東●さらに言い換えれば、これ(池田小事件酒鬼薔薇事件など)は事件の物語化ができないということです。いかなる社会でも一定数の犯罪は必ずある。それにぶつかるかどうかは、個人の視点からは偶然でしかない。だからそれを封じこめるためにセキュリティの装置がはりめぐらされる。そして他方では、その物語の不在を埋め合わせるため――この部分では大澤さんと同じロジックになるわけですが――過剰に物語的な物語、いわゆる「トラウマ」や「癒し」といった言説が流行する。社会秩序は基本的には環境管理で守って、それでも起きてしまった事故を物語化するため、別のレベルでわかりやすい言説が要請される。そういう二層構造があるような気がします。
(『自由を考える 9.11以降の現代思想』東浩紀、大澤真幸)
 アイヒマンアウシュヴィッツとマイダネック強制収容所を視察した結果、そこでの抹殺工程を考え出した人物でもあった。ただし、彼は他人が苦しむのを見て快楽を覚えるサディストではなかった。アイヒマンはほとんど事務所の中で自らの仕事に専念し、結果として数百万の人間を死に追いやったのである。一官僚として、彼は死に追いやられる人間の苦痛に対し、何の感情も想像力も有してはいなかった。(『アイヒマン調書 イスラエル警察尋問録音記録ヨッヘン・フォン・ラング編:小俣和一郎訳)