あと千人しか残らなくなっても、よし、私は踏みとどまろう!
 あと百人しか残らなくなっても、私はなおスラに刃向かおう。
 十人残ったら、私は十番目の者となろう。
 そして、たったひとりしか残らなくなったら、そのひとりこそはこの私だ!
(『ユゴー詩集ヴィクトル・ユゴー:辻昶・稲垣直樹訳)

詩歌
「初めにビットありき」と私は話を切り出した。(中略)「事物、すなわち“It”は、情報、すなわち“ビット”から生まれます」(『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?セス・ロイド水谷淳訳)
 その瞬間、なにを思ったか、フェーナーはあとで正確に思いだすことができなかった。心の奥底で、その金属が固く鋭く光りはじめた。その光のなかで、すべてがはっきり見えた。まばゆいほどに。(『犯罪』フェルディナント・フォン・シーラッハ)
 地上における人間の全生涯の像(イメージ)が彼の心にひらめいた。人間の生涯とは、果しらぬ恐ろしい暗黒の中に、ちらと燃え上る、小さな焔の閃きにすぎないように思われた。人間の偉大さ、悲劇的尊厳、その英雄的栄光は、この焔のささやかさと、命の短さに由来しているのだ。彼は己れの生命は短く、そしてかき消されてしまうだろうこと、ただ闇のみが広大無辺にして永劫に続くことを知った。彼はまた知った。自分が挑戦の言葉を叫びながら死んでいくだろうこと、そしてその拒否の叫びが、心臓の最後の鼓動とともに、すべてを呑みこむ暗夜の深淵の中へと鳴り響くであろうことを。(『汝再び故郷に帰れずトマス・ウルフ:鈴木幸夫訳)
 わたしが大切にしてきた教義も信仰も、彼らの文化の文脈では的外れもいいところだった。ピダハンからすればたんなる迷信であり、それがわたしの目にもまた、日増しに迷信に思えるようになっていた。(『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観ダニエル・L・エヴェレット:屋代通子訳)

キリスト教
 35歳になったしあわせな二人はいまや完全に『ラットレース』に巻き込まれ、退職の日までがむしゃらに働き続けなければならない。彼らは会社の持ち主に利益をもたらすために働き、政府に税金を払うために働き、銀行にローンを返すために働き、クレジットカードでの買い物の支払いをするために働く。(シャロン・レクター)『金持ち父さん貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター:白根美保子訳

マネー
 健全な哲学を創造するためには形而上学を打ち捨ててよき数学者にならなければならない。
  ――バートランド・ラッセル(ある講義で、1935)
(『数学をつくった人びとE・T・ベル:田中勇、銀林浩訳)
 どんな動物においても、捕食者の数やその恐ろしさを見積もったり、二つの食物源それぞれから得られる食物量を推測して比較したりすることは、生死に直結する問題であるはずだ。(『数覚とは何か? 心が数を創り、操る仕組み』スタニスラス・ドゥアンヌ:長谷川眞理子、小林哲生訳)
 アンジェロウはテレンス・アファーの言葉を引用して締めくくることが多い。テレンスは古代ローマに奴隷として連れてこられたアフリカ人で、最後には自由の身となった人物である。「私は人間だ。人間に関わることであれば、私には無関係ではない」。(『ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へデヴィッド・ボーム
 また、「結論に賛成だと、途中の推論過程も正しいと思ってしまう」というバイアスは昔から知られている。(『考えることの科学 推論の認知心理学への招待』市川伸一)

認知科学
「わたしたちは、耳が聞こえる人たちを“外の世界の人”と呼ぶの。でも、“外の世界の人”のなかには、わたしたちみたいな人もいるのよ」
「どういう人間たちのことをいうのかね?」
「自分の心に従って生きてる人たちのことよ」
(『静寂の叫びジェフリー・ディーヴァー
 生きているあいだ 何事も先へのばすな、
 きみの生は行為また行為であれ
(『ゲーテ全集8 ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代ゲーテ
 スッタ(sutta)は「糸」という意味ですが、それよりも英語のフォーミュラ(formula)という言葉の意味がふさわしいかもしれません。フォーミュラは数学でいえば「式」という意味です。哲学や文法を語る場合も、まず「式」を作ってから語ることは、インドではよくあるやり方なのです。(『原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章アルボムッレ・スマナサーラ

仏教スッタニパータ
「お前はこうした冒険にはよほど疎いと見えるな。実は、あれらはいずれも巨人なのじゃ。だが、怖いなら、ここから離れておればよい。そして、拙者がった一騎で多勢の巨人どもを向こうにまわし、死闘を繰り広げるあいだ、お祈りでも唱えておるがよい。」
 こう言うが早いか、乗り馬ロシナンテに拍車を当てたドン・キホーテは、従士のサンチョがうしろから、旦那様が攻めようとなさっているのは、間違いなく風車であって巨人なんかじゃありませんよ、と注意する声に耳を貸そうとはしなかった。
(『ドン・キホーテセルバンテス:牛島信明訳)