歴史という文化は、地中海世界と中国世界だけに、それぞれ独立に発生したものである。本来、歴史のある文明は、地中海文明と中国文明だけである。それ以外の文明に歴史がある場合は、歴史のある文明から分かれて独立した文明の場合か、すでに歴史のある文明に対抗する歴史のない文明が、歴史のある文明から歴史文化を借用した場合だけである。
 たとえば日本文明には、668年の建国の当初から立派な歴史があるが、これは歴史のある中国文明から分かれて独立したものだからである。
 またチベット文明は、歴史のないインド文明から分かれたにもかかわらず、建国の王ソンツェンガンポの治世の635年からあとの毎年の事件を記録した『編年紀』が残っており、立派に歴史がある。これはチベットが、唐帝国の対抗文明であり、唐帝国が歴史のある中国文明だったからである。
 イスラム文明には、最初から歴史という文化要素があるけれども、これは本当はおかしい。アッラーが唯一の全知全能の神で、宇宙の間のあらゆる出来事はアッラーのはかり知れない意志だけによって決定されるとすれば、一つ一つの事件はすべて単独の偶発であり、事件と事件の間の関連を論理によってたどろうなどというのは、アッラーを恐れざる不敬の企てだ、ということになって、歴史の叙述そのものが成り立たなくなってしまう。(中略)
 しかし、もっと大きな理由は、イスラム文明が、歴史のある地中海文明の対抗文明として、ローマ帝国のすぐ隣りに発生したことである。地中海文明の宗教の一つであるユダヤ教は、ムハンマドの生まれた6世紀の時代のアラビア半島にも広がっていた。ムハンマド自身もその影響を受けて、最初はユダヤ教の聖地であるイェルサレムの神殿址に向かって毎日の礼拝を行っていた。
(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統岡田英弘