マリー・キュリーはその後も専門分野で際立った功績をあげ、1914年には名高いパリ大学ラジウム研究所の設立に尽力している。ノーベル賞を二度受賞していながら、科学アカデミー会員に選ばれることはなかった。その大きな要因は、ピエールの死後、妻のいる物理学者を相手に、フランス人の尺度からしても過剰に不謹慎な不倫関係を持ったことだ。少なくともアカデミーを運営しているご老体たちの神経を逆撫でしたことは確かで、それは致命的だった。(『人類が知っていることすべての短い歴史ビル・ブライソン楡井浩一訳)