本書はホロコースト産業を分析し、告発するためのものである。以下の各章では、ザ・ホロコーストがナチ・ホロコーストのイデオロギー的表現であることを論証していこうと思う。大半のイデオロギーと同じようにこれも、わずかとはいえ、現実とのつながりを有している。ザ・ホロコーストは、各個人による恣意的なものではなく、内的に首尾一貫した構造物である。その中心教義は、重大な政治的、階級的利益を支えている。実際に、ザ・ホロコーストがイデオロギー兵器として必要不可欠であることは、すでに証明済みだ。これを利用することで、世界でもっとも強力な軍事国家の一つが、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず「犠牲者」国家の役どころを手に入れているし、合衆国でもっとも成功した民族グループが同様に「犠牲者」としての地位を獲得している。
 どちらも、どのように正当化してみたところで上辺だけの犠牲者面(づら)にすぎないのだが、この犠牲者面は途方もない配当を生みだしている。その最たるものが、批判に対する免疫性だ。しかも、この免疫性を享受している者はご多聞に漏れず、道徳的腐敗を免れていないと言ってよい。この点から見て、エリ・ヴィーゼルがザ・ホロコーストの公式通訳者として活動していることは偶然ではない。彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでないことは明白だ。ヴィーゼルが指導的役割を演じていられるのは、むしろ、彼がザ・ホロコーストの教義を誤りなく言語化しているからであり、そのことによってザ・ホロコーストの基礎となる利益を得ているからである。
(『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたちノーマン・G・フィンケルスタイン:立木勝訳)