精神的な機能にも廃用症候群はある。「精神性廃用症候群」といって、知的な刺激が少ないと精神的な活動が次第に低下するのである。感情の動きも鈍くなり、周囲に対する関心が薄れてくる。このような精神的機能の低下が合わさると「仮性痴呆」といって、一見ぼけたように見える。(『リハビリテーション 新しい生き方を創る医学上田敏

リハビリ
 今日的な意味での民主主義の本家本元は、おそらく、アメリカ合衆国であろう。もちろん、ルソーが想定するような民主主義が、ついにアメリカにおいて実現したということではない。そうではなくて、この新興国家は、古代ギリシャにまでさかのぼる深い議論の歴史的な重みを無視するような形で、民主主義の定義自体を変えてしまったのである。端的に言えば、アメリカ合衆国が、自分たちのやり方を民主主義だと自称し始めたということに他ならない。それが具体的な形で現れたのは、1830年代、いわゆる「ジャクソニアン・デモクラシー(ジャクソン民主政)」の時代のことであった。(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう薬師院仁志
「大きな砲弾が落ちてきて……。砲弾が落ちるっていうことがどういうことなのか、話を聞いただけではわからないと思うわ。あなたにもわからないと思う。……バラバラにされた人体。ほんとうに凄惨だった。自分の目が信じられないくらい。戦争中に気が狂ってしまった人もいるわ。
 最初の冬が一番苦しかった。マイナス17度にもなったのに、薪もなければ、ストーブもなかったのよ。部屋の中でもコップの水が凍ってしまって飲めないの。私は一か月の間、手も顔も洗うことができなかった……」(2年半をサラエボで過ごしたサビナ・タビッチ 17歳)
失われた思春期 祖国を追われた子どもたち サラエボからのメッセージ堅達京子
 ただし、そのために裁判官としてはかなり無理をしたようです。
 あの不謹慎な手紙が明らかになっている控訴審段階で、なお被告人には反省している心が部分的にあるし、これを何とか死刑を免れさせる理由にしていました。しかし、常識的に考えてこれはおかしいです。あの不謹慎な手紙を素直に読むと、反省の心などないと見るのが社会常識でしょう。だから、あの不謹慎な手紙を何とか言いくるめて、まだ反省の心が少しはあるから死刑を免れさせようという発想がどこから出てきたのでしょうか? それは、相場主義によれば、はじめから無期懲役の結論が出ているからです。はじめに結論ありきです。ですから、多少なりとも反省の心があるから死刑は勘弁してやろうというストーリーに乗ってくれないと困るのです。
(『裁判官が見た光市母子殺害事件 天網恢恢 疎にして逃さず井上薫
 西暦135年にはイギリスも、フランスも、米国も、ポーランドも、ロシアも、ドイツも国家としては存在していなかったのだ! それなのに、ユダヤ国家だけは特別扱いされる!
 20世紀のまっただなかで、こんな時代錯誤を真剣に主張するなんておかしなことだ。2000年近い昔に消滅した国家をどんな権利で再建できるのだろう!!
(『新版 リウスのパレスチナ問題入門エドワルド・デル・リウス:山崎カヲル訳)

パレスチナ
 ダンテは私にとっては近代第一の天才である。ダンテは深い闇の直中に光りかがやく太陽である。彼にあってはすべてが非凡である。彼の独創性は、とりわけ、彼に一つの特別な位置を与えている。アリオストは騎士小説と古代の詩とを模倣した。タッソもそうであった。ダンテはその霊感を他のいかなる人からも汲むことを肯(がえ)んじなかった。彼は自己に徹しようとした、ただ自己にのみ徹しようとした。一口にいえば創造しようとした。彼は広大な結構をとらえて、それを崇高な精神の持主の優越でもって満たした。彼は変化があり、恐ろしく、また優雅である。彼には奇想と、熱と、人の心を惹きつけるものとがある。彼は読者をして身ぶるいさせ、涙を流させ、敬意を覚えさせずにはいない。これは芸術の頂点である。いかめしくも偉大な彼は、犯罪に対しては恐ろしい呪いを浴びせかけ、悪徳を罰し、不幸を嘆いてる。共和国の法律によって追放された市民として、彼はその圧制者たちに対しては怒りを投げつけているが、故郷の町はこれを赦している。フィレンツェはいつになってもなつかしい、彼のやさしい祖国なのである。……私は、わが愛するフランスが、ダンテに匹敵する人物を産まなかったことについて、イタリアを羨む。(『ナポレオン言行録オクターブ・オブリ編:大塚幸男訳)

ナポレオン
 自由でないのに、自分は自由だと思っているものほど奴隷(どれい)になっているものはない。(「親和力」第二部第五章から)『ゲーテ格言集ゲーテ:高橋健二訳
 いかなるジャンルの台本であろうと、現場担当者が作家にする注文は「もっとくだらなく」「もっとばかばかしく」「もっと低俗に」に集約される。
 現在、娘が強要され、ついに降りざるを得なくなったその「もっと・注文」は、私が日本嫌悪のあまり豪州に脱出した1987年の時点の千倍、いや万倍に達する「増加」ぶりである。
 過言ではない。奇を衒(てら)って誇張しているのではない。
 もし人間に理性があり、常識と良識が残っているのならば、この「もっと」がいかに非人間化を促進させる内容か、納得するはずだ。私はその千分の一、万分の一にも我慢ができなかった。たとえば、以前他の文章にもした内容だが、私が筆を折る最後の決意は、日本テレビ系の連続ドラマを書いている最中に起きた。ワンクール予定の4回目、視聴率が落ちた。プロデューサーが私に注文した。「林さん、次の回で、レイプシーンを書いてください」
「いったい、登場人物の誰が誰をレイプするんだ」
 絶句して私が訊ねた。
「それは、お任せします。誰が誰でもかまいません」
「しかし、今までのストーリー進行の中に、そんな可能性のある設定はどこにもない」
「そこにこそ、意外性、つまりドラマ性がある」
(『おテレビ様と日本人林秀彦

テレビ
 弘兼憲史は、大学を出た後、松下電器に3年半ほど勤めた経験を持っているのだそうだが、なるほど松下(会社に対する全面的な献身を要求する企業型宗教、または宗教的なまでに高められた団結力で経営をすすめる宗教型企業)臭あふれる話である。(『罵詈罵詈 11人の説教強盗へ小田嶋隆
 他人に服のなかに手を突っ込まれると、まるでじぶんの内部を蹂躙(じゅうりん)されたような不愉快な気分になる。なんと無礼な、ということではきっとすまず、むしろ生理的に耐えがたいような危うさを感じるはずだ。服のなか、そこは〈わたし〉のなか、秘せられてあるべきわたしの内部なのである。(『悲鳴をあげる身体鷲田清一
 通説によれば、釈迦を殺そうとした悪人デーヴァダッタは、最後には、生きながら火焔に包まれて、「無間地獄」へ落ちて行ったとされていますが、釈迦の没後900年頃、経典を求めてインドにおもむいた法顕(340?-420?)が、その見聞録(『法顕伝』)の中で、調達(デーヴァダッタ)派の仏教僧団がネパール地方にあったと述べており、また、玄奘(600-664)も、その著『大唐西域記』の中で、ベンガル地方に提婆達多派の仏教僧団があったと述べていますから、釈迦の没後の後継者争いに敗れたデーヴァダッタが、彼の僧団をひきいて辺境の地に逃れ、バラモン階級出身者の手にその主導権がにぎられた中央の『正統派仏教僧団』からの激しい迫害と常に闘いながら、かなり長年月の間、生きながらえて、強烈な感化を及ぼしたことも、充分に考えられるのであります。そして、この釈迦の正統な後継者と称する中央の仏教僧団への反抗が、釈迦への反感や軽侮を産み出したようであり、大乗仏教で、釈迦の在世中に直接釈迦から説教を聞いた弟子たちが「声聞」(sravaka シュラヴァカ)――釈迦の声を聞いた者――と軽侮されて、最下位に置かれ、誰の声も聞かずに、独自の方法でさとった者たちが「独覚」(pratyekabuddha プライエティカブッダ)と呼ばれて、その上に位置し、更に、その上に、仏陀の声を聞いてさとりを求める者としての「菩薩」が置かれているのもそのためであると推定されます。(『仏教とキリスト教 イエスは釈迦である堀堅士

キリスト教エリザベス・クレア・プロフェット
 近代の人間の特質は、財(富)を肯定的にとらえることである。これに背を向けた思想は近代思想の仲間にはなれなかった。近代思想は財に対してこれをどう蓄積するか、管理するかという問題にとりくんできた。非主流の思想さえ、現実世界での豊かさを追求してきた。徳川幕府以降の近代日本において、仏教は生産労働、財の蓄積といった問題に関して、ガイドラインになるような思想形態を生み出すことはできなかった。(中略)
 空の思想は元来、富の蓄積とは反対の方向に走っているのである。
(『空の思想史 原始仏教から日本近代へ立川武蔵
 カミの語源が「隠れ身」であるように、ほんとうに大切な崇(あが)めるべき存在は、隠されたものの中にある。(『性愛術の本 房中術と秘密のヨーガ』)

性愛術
 一般的にいって、自信のない政治ほど強権を用いやすいというのは、古来の政治的定説である。政治が、国民の自発的活力を吸い上げるサイフォンの役を演じているところでは、強権の利用価値は、それほど大きくない。権力の持ち主が、国民の支持を心の底から信じていないとき、または自己の陣営に弱みや派閥のおそれがあるような場合には、とかく対立する政治勢力に強権を発動して、必要以上の緊張感をつくり出し、それによって自らの陣営の一致強化をはかるというのは、権力を維持してゆく場合の常用手段だが、真の自立国家をねがうものは、万一にも、そうした道を選んではならないのである。(『政治を考える指標辻清明
「風評に惑わされるのは小者のすることだ。おまえはいつも人の話を半分も聞かずに拳を上げる」(『時宗高橋克彦
「われわれは決まりどおりに動いた」クロムウェルは言った。「最後まで完璧に決まりどおりに。神かけて言うが、われわれは大虐殺を防ぎ、どうにか悲劇に耐えたのだ」
「メモしておいたほうがいいかな」
 クロムウェルは椅子の背にもたれ、私に険しい視線を向けた。人差し指を立て、こちらへ何度か突きだした。
「小利口なことを言うじゃないか」クロムウェルは言った。「早めに教えておいたほうがいいだろうな。このあたりじゃ、そういう小利口な発言に対するわれわれの忍耐力はゼロだ」
(『スクール・デイズロバート・B・パーカー:加賀山卓朗訳)
 キリシタン時代に日本にやってきた宣教師は、最初は日本の仏教が東南アジアの仏教と同じ起源をもつ宗教だと気がつかなかったほどです。(『日本仏教史 思想史としてのアプローチ末木文美士
 結局、人間ひとりひとりが生きていくなかでの表出と表現の積畳が歴史です。表出というのは自覚されないまま外側へ出ていくものです。じつはこの部分の方が大きいのです。それから意識的に表現する部分があり、この二つの蓄積が現在の文化的な状況、すなわち歴史をつくっています。
 その人間の表出と表現を生み出すのは、――ここが一番大事なところですが――、人間の意識下の意識、つまり無意識、自覚されない意識です。表現といえども無意識が原動力になっています。怖いのは何かぽろっと漏らした言葉にじつは本心があったり、あるいは自分が自覚しないでついつい反復して使っている言葉にスタイルが宿ることです。頑張って意識的に小説を書いたとか詩を書いたとか、そういうところよりも、むしろ普段何気なくしゃべっているときに、いつもあの人はこういう言葉を使うとか、あるいはこういうふるまいをするというところに本心があって、そういう自分自身すら気づいていないような本心の積み重なりが歴史をつくっています。
(『漢字がつくった東アジア石川九楊
 笑いとは憂いを払う玉箒(たまぼうき)であり、悩みを吹き飛ばす掃除器(ママ)だからだ。笑いなくして人間は生きていけない。笑いがあればこそ人の涙はかわくのであり、悲嘆は勇気へと生れ変る。切なさは余裕にとってかわり、悩みは杞憂のように思えてくる。「杞憂」とは天が崩れ落ちてきはしまいかと夜も眠らずに悩んだ杞(き)の国の男の心配をいうのである。笑いとは、憂いを杞憂と思い直させることにほかならない。(『生き方の研究森本哲郎
 ユダヤ関連の商品や商店に対する不買運動が始まったのが、1933年4月1日である。それはわずか1日で終わったが、1週間も経たぬ4月7日には、市民公職法が発効された。これは、同じドイツ人でも、非アーリア系のドイツ人は、公証人、公立学校教師などの職に就いてはならないと定めるもので、法律によるユダヤ系ドイツ人の差別の端緒となったものであった。
 これより事態はすこしずつ加速していく。5月10日には、ナチス党員である学生や教職員が、ほぼ全国の大学や図書館で、「ドイツの文化的純血を損なうと懸念される」図書を焼くという大規模な事件が起こっている。このとき、焼却された図書の著書には、アルバート・アインシュタイン、ジグムント・フロイド、ステファン・ツヴァイクなどが含まれている。かつて、ドイツの詩人、ハインリッヒ・ハイネは有名な言葉を吐いている。
「本を焼却する国はやがて人を焼却するようになる」
 この言葉が、やがて現実となる。
(『権威主義の正体岡本浩一

権威
 統合失調症患者が異常な数のドーパミン受容体を有することが発見されたとよく言われるが、この証拠自体、確かなものというわけではない。正常の人にくらべ、統合失調症患者でドーパミン受容体の数が多いという結論を導き出した研究における差異は、平均値におけるものであり、これに当てはまらない統合失調症患者も多い。また、ほとんどの研究者は、統合失調症でドーパミン受容体の異常があるという証拠をまったく確認できていない。(『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の科学と虚構エリオット・S・ヴァレンスタイン:中塚公子訳)

精神疾患
 海が見たい、と私は切実に思った。私には、わたるべき海があった。そして、その海の最初の渚と私を、3000キロにわたる草原(ステップ)と凍土(ツンドラ)がへだてていた。望郷の想いをその渚へ、私は限らざるをえなかった。空ともいえ、風ともいえるものは、そこで絶句するであろう。想念がたどりうるのは、かろうじてその際(きわ)までであった。海をわたるには、なによりも海を見なければならなかったのである。
 すべての距離は、それをこえる時間に換算される。しかし海と私をへだてる距離は、換算を禁じられた距離であった。それが禁じられたとき、海は水滴の集合から、石のような物質へと変貌した。海の変貌には、いうまでもなく私自身の変貌が対応している。(「望郷と海」〈『展望』1971年8月〉)
石原吉郎詩文集石原吉郎

シベリア抑留詩歌強制収容所
 ポツダム宣言の第9項には、「日本国軍隊は完全に武装を解除せられたる後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営むの機会を得しめられるべし」とあったが、この条項には“送還の期限”が定められていないとして、ソ連は日本人捕虜のシベリア抑留・強制労働を強行した。最近になって、全抑協(※全国抑留者補償協議会)の斎藤六郎会長が、ロシア国防省の公文書館に保存されていた資料を調べた結果、敗戦後、山田乙三(おとぞう)関東軍総司令官がワシレフスキー極東ソ連軍総司令官に対して、帰国するまで捕虜将兵を、満州でソ連軍の使役に従事させる、と申し出ていたことを明らかにしている。これが事実とすれば、関東軍総司令官は、シベリア抑留への道をみずから開いたことになる。(『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史多田茂治

石原吉郎強制収容所
 じじつ、かれは非常な読書家であり続けた。シエラ・マエストラでも、ゲーテを読み、セルバンテスを読み、さらにはマルクスレーニンの著作に眼を通していた。戦争以外には何もできない男ではないことを、それは物語っている。かれは医師からゲリラ戦士になり、ゲリラ戦士から革命家へと昇華して行ったが、いついかなる時でも、読書だけは怠らなかった。日記をつけることと本を読むこととは、かれの終生一貫した習慣であった。(『チェ・ゲバラ伝三好徹

ゲバラ
 おれは、今までに、天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠(よこい・しょうなん)と西郷南洲(さいごう・なんしゅう)とだ。
 横井は、西洋の事も別に沢山(たくさん)は知らず、おれが教へてやつたくらゐだが、その思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子(はしご)を掛けても、及ばぬと思つた事がしばしばあつたヨ。おれはひそかに思つたのサ。横井は、自分に仕事をする人ではないけれど、もし横井の言を用ゐる人が世の中にあつたら、それこそ由々(ゆゆ)しき大事だと思つたのサ。
 その後、西郷と面会したら、その意見や議論は、むしろおれの方が優(まさ)るほどだツたけれども、いはゆる天下の大事を負担するものは、果して西郷ではあるまいかと、またひそかに恐れたよ。
(『氷川清話勝海舟江藤淳、松浦玲編)

福翁自伝日本近代史
 およそこういう風で、外に出てもまた内にいても、乱暴もすれば議論もする。ソレゆえ一寸(ちょいと)と一目(いちもく)見たところでは──今までの話だけを聞いたところでは、如何にも学問どころのことではなく、ただワイワイしていたのかと人が思うでありましょうが、そこの一段に至っては決してそうではない。学問勉強ということになっては、当時世の中に緒方塾生の右に出る者はなかろうと思われるその一例を申せば、私が安政3年の3月、熱病を煩(わずろ)うて幸いに全快に及んだが、病中は括枕(くくりまくら)で、座蒲団が何かを括って枕にしていたが、追々元の体に回復して来たところで、ただの枕をしてみたいと思い、その時に私は中津の倉屋敷に兄と同居していたので、兄の家来が一人あるその家来に、ただの枕をしてみたいから持って来いと言ったが、枕がない、どんなに捜してもないと言うので、不図(ふと)思い付いた。これまで倉屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、というのは、時は何時(なんどき)でも構わぬ、殆んど昼夜の区別はない、日が暮れたからといって寝ようとも思わず、頻(しき)りに書を読んでいる。読書に草臥(くたび)れ眠くなって来れば、机の上に突っ臥(ぷ)して眠るか、あるいは床の間の床側(とこぶち)を枕にして眠るか、ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。その時に初めて自分で気が付いて「なるほど枕はない筈だ、これまで枕をして寝たことがなかったから」と初めて気が付きました。これでも大抵趣がわかりましょう。これは私一人が別段に勉強生でも何でもない、同窓生は大抵みなそんなもので、およそ勉強ということについては、実にこの上に為(し)ようはないというほどに勉強していました。(『新訂 福翁自伝福澤諭吉

氷川清話日本近代史
 言うまでもなく、激しく動くほど(速いペースで登るほど)より多くの酸素が必要になる。標高7000メートルでは、海抜ゼロメートルに比べて体の動きは4割以下に落ちる。したがって、無酸素登山のペースはかなり遅くなる。1952年にレイモンド・ランベールとテンジン・ノルゲイがエベレストのサウスコルを登ったときは、わずか200メートルに5時間半かかった。ラインホルト・メスナーとペーター・ハーベラーは山頂が近づくにつれて、疲労のあまり数歩ごとに雪の中に倒れ込み、最後の100メートルに1時間かかった。(『人間はどこまで耐えられるのかフランセス・アッシュクロフト:矢羽野薫訳)

登山
 結果は歴然としていた。赤ん坊は提示されたフレーズの種類にふさわしい反応をした。どの言語の発話でも、無意味語の発話でも、禁止を表すフレーズには顔をしかめ、容認を表すフレーズには微笑んだ。だがひとつだけ、さほど予想外でない例外があった。日本語で話されたフレーズには子どもが反応しなかったのだ。(アン・)ファーナルドは、日本人の母親の場合、欧州言語を話す母親よりピッチ変化の幅が狭いためと考えた。この結果は、日本人の音声表現や表情が解読しづらいとする他の研究とも一致する。(『歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化スティーヴン・ミズン:熊谷淳子訳)
 片方の腕をさっと伸ばしてぼくらを指し、反乱兵の一人が言いはなった。「目の前にいるこいつらを殺すことによって、おまえら全員を入隊させる。血を見せれば、おまえらは強くなる。そのためにはこうすることが必要なのさ。もう二度とこいつらに会うことはないだろう。まあ来世を信じていれば話は別だが」。彼はげんこつで自分の胸をたたいて笑った。
 ぼくは振りかえってジュニアを見た。目が赤い。涙をこらえようとしているのだろう。彼はこぶしを固く握りしめて、手の震えをおさえている。ぼくは声を押し殺して泣きだし、そのとき急に目まいがした。選ばれた少年のうちの一人が反吐(へど)を吐いた。反乱兵の一人が銃床でその子の顔をなぐり、ぼくらの列に押し込んだ。歩き続けていると、少年の顔から血が流れてきた。
(『戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だったイシメール・ベア:忠平美幸訳)

少年兵
 では、人間の姿勢とはどういうことか、根本から吟味してみよう。
 第一に、人間が生きている、ということは、基本的には「立って」動いていることである。これが出発点だ。人間は、休むとき眠るときは横になるが、活動しているときは立っている。もちろん坐っているときもあるが、これも基本的には、脚が休んでいるだけで、腰から上は立っているから、立っていることのうちに入れる。人間の姿勢というとき、それは立っている姿勢のことだ。
(『ことばが劈(ひら)かれるとき竹内敏晴
 お茶をいただきながら女子教育はと尋ねると、女に教育は無駄と冷たい。なぜですかと問うと、コーランの教えだと胸を張る。しめたとばかり、どのスーラ(章)にそう書いてありましたっけと、手提げから取り出したコーランの頁を繰りはじめた。実は自分は読んだことがないと白状してくれるまで、時間はかからなかった。歴史的な観点から見れば、まるで女性解放革命宣言ともとれるコーラン。仏教徒だから深くは知りませんが、と断って女子教育や女性の地位に関した部分を拾い読みしながらのイスラム談義となった。(中略)
 それ以来、どこに旅しても頻繁に、慌てる同行の役人たちをなだめすかしては飛び入りの訪問のわがままをさせてもらった。普通、途上国の教師たちは田舎の学校が大嫌い。大枚を積んでまで政治家に取り入って、都会に転勤してしまう。最もひどいのは、そうでなくても不足がちな英語や数学の教師。事前通告なしの視察をするたびに見た、来ない先生を辛抱強く待つ幼い顔は、教育制度改革なしには援助融資拒否という姿勢を保つ原動力となった。
 スリランカの辺鄙な村では、もうひと月も待っているのと堪(こら)えきれずに泣き出した小学1年生の教室で、じゃあ今日だけでもと臨時英語教師になりすましたこともあった。ABCを歌い、童話を読み、感想文の発表会をし、楽しい一日を過ごさせてもらった。
 それを「変事」と聞いて飛んできた、土地の政治家の慌てた顔に、堪忍袋の緒が切れた。明日も来てとすがりつく子供たちの前で、私腹を肥やすより国の将来を思え、君はそれでも政治家か、人の親か、と激怒した。「先生ありがとう、もういいよ」と、一生懸命なだめてくれたあの子たちの澄んだ瞳を忘れることなどできやしない。
(『国をつくるという仕事西水美恵子
 歴史学では、その本人またはその同時代人の資料がいちばん大事です。けれども、この絵の場合、その主題についてのどんな資料も残っていないのです。契約書もないし、ミケランジェロも口をつぐんでいます。キリスト教会は、この頃、ルターが出現する直前で、危険なことや、異端や、宗教裁判や、さまざまな流派が渦巻いていて、予断を許さない状況でした。
 彼が生きていた1475年から1564年という時代は、おそら西欧最大の危機のひとつでした。彼は一生涯システィーナ礼拝堂に何を描(えが)いていたかいいませんでした。(中略)
 1498年にサヴォナローラが火あぶりにされ、1600年にはジョルダーノ・ブルーノが火刑に処せられ、1632年にはガリレオが裁判にかけられています。この有名な絵のほんとうの意味がわからなくなったのは、それが隠されたからです。これが書物だったら、だれにも意味がわかってしまうから、『薔薇の名前』のなかでボルヘがアリストテレスの本を隠したように、書庫のおくに隠すか、実際にたくさんの本がそうであったように焼かれてしまったでしょう。けれども幾重(いくえ)にも複雑な意味をもった、曖昧(あいまい)な芸術作品は、解読するキーをもっていない人にはただの美しい画面にすぎませんから、生き残ったのです。
(『イメージを読む 美術史入門若桑みどり
 私は思わず、これは現実の会話なんだろうか、それとも『権力――その獲得と活用』なる本の168ページでも読んでいるんだろうかと考え込んだ。たぶん、現実なんだろう。(『ピアノ・ソナタS・J・ローザン:直良和美訳)
 ブッシュ政権が行った減税のうち、高所得者中心の戻し減税では減税額のたった2割しか消費に回らなかったが、子育て世帯を対象にしたものは9割が消費に回ったのである。そして、この消費に回った金額が巡り巡って乗数効果によりGDPを押し上げることになるのであるから、適切なやり方での失業者支援や子育て世帯の支援は、人を育てると言う面でも、経済成長を促すという経済合理性の面でも非常に効率的であるということが言える。(『国債を刷れ! これがアベノミクスの核心だ廣宮孝信
 父の仕事の本質は、「区切ること」です。これと対になるという点で母の役割は「つなぐこと」ともいえるでしょう。
 父はまず、「この者たちに私は責任を負う」という家族宣言をすることによって、自分の家族を他の家族から区分します。このことを指して「社会的父性」の宣言といいます。この宣言によって、ひとつの家族が成立するのですから、父の役割を家の塀や壁という区切りにたとえることができるでしょう。ついでにいえば、妻や子が雨露に濡れることから防ぐ屋根の役割といってもよい。いずれにしても家族を外界と区切るひとつの容器を提供することは父の機能です。
 第二に父は、是非善悪を区切ります。世に掟(おきて)をしき、ルール(規範)を守ることを家族メンバーに指示するのは父の仕事です。「父性原理」という言葉がありますが、これは父親のこうした機能を指して用いられるものです。
 父の仕事の三番目は、母子の癒着を断つこと、親たちと子どもたちの間を明確に区切ることです。父を名乗る男は、妻と呼ばれる女を、何よりも、誰よりも大切にするという形で、この仕事を果たします。子どもは父のこの仕事によって、母親という子宮に回帰する誘惑を断念することができるのです。
(『インナーマザー あなたを責めつづける心の中の「お母さん」斎藤学
 世の人々に「マラーノ=豚」とさげすまれながら、いつ「おまえはユダヤ教徒だ」と密告者に告発されるかもしれない状況の中で、彼らマラーノは、表面的にはカトリックに同調しながら、心の奥底ではそれに背いて、禁じられたユダヤ教を密かに信ずるという二重性を我が身に課するほかなかった。それは、あらゆる権威あるものから、市民的・日常的なものから、そしてついには自己自身の最も内的な本質からさえも疎外されるという恐るべき経験であった。とすれば、自己の内部でのこうした「追放」とは、現世的な人生からの流謫、人生の本道から外れて自己疎外という精神の曠野(こうや)を彷徨い歩く人間のむきだしの姿を表す言葉ではないだろうか。(『離散するユダヤ人 イスラエルへの旅から小岸昭

ユダヤ人
 チェマ神父は言います。
「子どもたちを救わなければいけません。本当に平和を願うのなら、兵士だった子どもたちへの見方を変えなくてはいけません。
 確かに、彼らは罪をおかしたかもしれません。でも、彼らは同時に犠牲者なんです。子どもたちは強制されて兵士になったのです。人殺しが好きな子なんて、どこにもいないのです。」
 わたしは、アンプティ・キャンプで出会った右手と両耳を失ったサクバーさんとの会話を思い出しました。わたしが、
「もし、今、子ども兵士が目の前にいたら、言いたいことは何かありますか?
 とたずねた時のことです。
 サクバーさんは答えました。
「おれはこう思うよ。彼らはまだ幼い子どもだし、何も知らずに兵士として使われたんだろう。
 もし、その子がおれの目の前にいたとしても、おれは彼を責めない。たとえ、そいつが知っている子だったとしても、おれは何もしやしない。
 おれたちはこの国に平和がほしいんだ。何よりも平和なんだ。それがすべてさ。
 彼らを許さなきゃいけない。でも、絶対に忘れることはできない。答えはいつも同じだよ。
 理由は、この右腕さ。
 朝起きると、おれはどうしてもこの切られた右腕を見てしまう。いやでも見えるからな。もともとおれには、2本の手があったんだ。だから彼らを許せても、絶対に忘れはしない。」
(『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白後藤健二

少年兵
 年をとる それはおのれの青春を
 歳月の中で組織することだ  ポール・エリュアール、大岡信訳
『途絶えざる詩II』(1935)所収。上記詩集は20世紀前半のフランスを代表するこの詩人の没後1年して刊行された。右の2行は700行近い長編詩「よそにもここにもいずこにも」の中にある。私は詩集刊行当時この詩を読み、何とか日本語に移そうと試みたが中途で挫折した。したがって右の詩句は未完の訳からという変則的なことになるが、ここに含まれる生への洞察に敬意を表して、あえて引用した。
(『折々のうた 第十大岡信

詩歌
 黒こげの焼死体から、うっすらと湯気がたち昇っていく。血や、体液が気化しかかっているのだ。今朝いよいよ発つという、まぎわまで読みつづけていた法花経も、万巻の書物も、父母も、友も、幼なじみも、自分らしさを裏打ちするはずの日々の記憶も、あっけなく消えていくだけなのか。燃えあがる図書館のようにすべてが滅び、炭酸カルシウムが残るだけか。蜜と灰か。ほんとうに、それだけなのかと私はまた、性懲りもなく自問する。脳裡に浮上した思いや、これだけは疑いようなく、ぎりぎりあると思える意識のさざ波が、いつか人類の阿頼耶識(あらやしき)となりうるのか。(『焼身宮内勝典
 脱獄についての取調べがおこなわれ、桜井も同席した。
 脱獄時刻は、桜井の推定通り看守が用をたしにいった午前0時50分から1時までの間で、外塀を乗りこえて逃走したことがあきらかになった。
 合鍵づくりについては、驚くべき方法がとられていた。かれは、入浴時に手桶にはめられていた金属製のたがをひそかにはずして房内に持ち帰り、かくした。ついで、入浴後、房に入る時に湯でふやけた掌(てのひら)を錠の鍵穴に強く押しつけ、その型をとり、さらに入浴中、臀部(でんぶ)をあらうふりをよそおってたがを床のコンクリート面で摩擦し、合鍵をつくった。
(『破獄 吉村昭
 これは、一見、大変に不可解なことだ。
 夫婦の結び付きがより強い(アメリカ人の)彼らのほうが、他人行儀な我々に比べて、断然、離婚しがちであるのだ。
「じゃあ、夫婦の愛って、いったい何なの?」
 と、初心者は思うことだろう。
 お答えしよう。
 夫婦の愛というのは、一種の無関心である。
 お互いに見つめ合って、語り合って、肩を抱き合って、愛し合って、それで夫婦が成立しているのであるとすれば、会話がとだえただけで、視線がそれただけで、あるいは愛情が幾分冷めただけで、別れなければならない。
 が、どっこい我々は別れない。
 同じ電車の中で、別々に座って、不機嫌に黙りこんでいる我々は、決して別れない。
 そういう、「別れないだけでいるだけの夫婦」が、日本中に山ほどいる。
 素敵だ。
 と私は思う。
(『「ふへ」の国から ことばの解体新書小田嶋隆
 人はそれぞれ相異なる現実をもつために、絶えず摩擦と対立を生じる。加えて、あらゆるものが劣化し、陳腐化する。これが現実である。したがって、ドラッカーが探し求めたものとは、不滅の真理ではなく、不完全な人間社会において相対的に機能する意思決定だった。
 見解からスタートせよとは、そのための手法である。なぜなら、相反する意思の衝突、異なる視点の対話、異なる判断からの選択があって、はじめて検討すべき選択肢が提示され、相対的に信頼できる決定を行う条件が整うからである。
(『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて上田惇生
「これらの人びとは非常に従順で、平和的であります」と、コロンブススペイン国王と王妃に書き送った。「陛下に誓って申し上げますが、世界中でこれほど善良な民族は見あたらないほどです。彼らは隣人を自分と同じように愛し、その話しぶりはつねにやさしく穏やかで、微笑が耐えません。それに、彼らが裸だというのはたしかですが、その態度は礼儀正しく、非のうちどころがないのです」
 当然こうした事柄は、未開のしるしではないにしても、弱さのあらわれとして受けとられ、廉直なヨーロッパ人たるコロンブスは、確信をもって、「これらの人びとが働き、耕し、必要なすべてのことをやり、われわれのやり方に従う」ようにしむけるべきだと考えた。
(『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』ディー・ブラウン:鈴木主税訳)

インディアン
 ある思想の基礎的な土台は他者の思想なのであって、思想とは壁の中にセメントで塗り込められた煉瓦なのである。もし思索をめぐらす存在が自己自身を振り返ってみるときに、一つの自由な煉瓦を見るだけで、この自由という外見を手にするためにその煉瓦がどれほど高い代価を支払っているかを見ないとすれば、それは思想にはよく似てはいるがその模像にしか過ぎないのである。なぜなら彼は手を加えられぬまま放置されている空地とか、残骸や破片の山積みを見ようとしないのだから。しかし実は彼は、臆病な虚栄心のせいで、その自分の煉瓦を後生大事に手にしたまま、そのような空地や残骸の山に遺棄されているのである。(『宗教の理論』ジョルジュ・バタイユ:湯浅博雄訳)

宗教
 電話は、元来、非常にプライベートなものだ。というよりも、我々のような狭っ苦しい土地に群れ集まって暮らしている人間たちにとっては、プライバシーと呼べるようなものは、せいぜいが寝室と便所と電話のまわりの少しばかりの空間の中にしか存在していないのだ。
 だから、我々は、「他人の電話に聞き耳を立ててはならない」という暗黙の了解事項を、必死になって守っている。ベッドサイドに置いてある電話であれ、オフィスの机の上の電話であれ、我々は、誰かが電話に向かって話をしている時には、その人間のことをなるべく無視しようと努めるのだ。
 たとえば、妹が階段の下にある電話で長電話をしている時、私は、なるべく階段に近付かないようにする。どうしても階段を通らなければならなくなったら、「もうすぐそっちを通るぞ」という感じの足音を立てながら、駆け抜けるようにして階段を降り切る。
 もちろん、私とて、妹がどんな男とどんな話をしているのかについて、興味がないわけではない。が、私は、市民社会に生きる人間として、その興味を押し殺す。
「ここで盗み聞きなんかをしたら、オレは最低のクズ野郎になってしまう」
 と、そう思って、私は一目散に階段を駆け下りてトイレに駆け込むのだ。
 ともかく、そうやって、我々は、「電話のプライバシー」を守るべく、日夜努力している。だからこそ、我々は、面と向かってはとても言えない恥ずかしいセリフを、受話器に向かってならば、なんとか吐くことができるのであり、そうであるからこそ、恋は生まれ、人々は生きているのである。
 ところが、携帯電話は、その我々の電話プライバシー死守の努力を、いともあっさりと踏みにじる。病院の待合室、駅のプラットホーム、公園のベンチ……そういう、こっちがわざわざ聞き耳を立てるまでもなく、すべての会話が丸聞こえに聞こえてしまう公共の空間に、携帯電話は、唐突に、ぶらりと、土足のままで入り込んでくる。そして、その携帯電話の持ち主は、臆面もなくプライベート通話を始め、周囲の人間たちのパブリックなモラリティーに泥を塗るのである。
(『仏の顔もサンドバッグ小田嶋隆
 わたしが思うに、そういう考えに頼って複雑さをもとめてしまうのは、不安になると何か特別に感じられるような理由が欲しくなるからではないだろうか。秘密の知識を持てば、それは特別に感じられるが、単純な真実を手にしてもそうは感じない。つまり、わたしたちの自我は、自分が他者よりどこかしら優れていることを示すために、特別な知識を手にしていると信じさせたがるのだ。わたしたちの自我は、一般に知られる真実だけでは我慢できない。自我は秘密をもとめている。(『伝説のトレーダー集団 タートル流投資の魔術カーティス・フェイス:楡井浩一訳)
 もはやクルマ自体では利益が出ない。中小型車は売っても赤字になるだけ。だから、その赤字を自動車ローンの儲けで回収する。つまり、クルマは金融を動かすための材料にすぎないというわけだ。こうなると、GMもフォードも、もう自動車メーカーというより「自動車もつくる金融会社」になってしまったという感じだよね。GMも金融部門が独立した会社になっているけれど(GMAC=通称ジーマック)、そこがGMグループのなかでだいたい6割くらいの利益を出していたんだ(金融危機が勃発するまでは)。(『ドンと来い!大恐慌藤井厳喜
 搾取の最たるものは、税金といえるかもしれません。税収が適正に使われていれば、そのお金は国民の懐にそっくり返ってくることになり、お金は循環し、経済は成り立ちます。ところが、本来循環すべき税金が途中でどこかに消えてしまうのです。みそがれた高貴な集団に属する人々の懐に流れたお金は、次なる搾取を行うための事業資金などに使われ、奴隷をさらに奴隷化するために使われていくというわけです。
 消費という面でも、奴隷の搾取は強化されています。
 さし迫った必要性がなく、利幅ばかり大きい商品を買わされることで、少ない実入りからさらに搾取を重ねられるわけです。支配者はそのために「ブーム」をつくり、消費をあおります。ブランドブームなどはそのひとつです。
(『洗脳支配 日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて苫米地英人
 叡智という古い言葉の本来の意味合いは、頭脳の働きばかりではなく眼の働きを指す。物を深く見る視力が、そのまま化して知恵となる、そういう知恵を言う。(『小林秀雄全作品 26 信ずることと知ること小林秀雄
 思うに遠野郷(ごう)にはこの類の物語なお数百件あるならん。我々はより多くを聞かんとことを切望す。国内の山村にして遠野よりさらに物深きとこ所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広(ちんしょうごこう)のみ。(『遠野物語』)『遠野物語・山の人生柳田國男
 ここで、もう一つ、1920年代の特異性に影響を与えたと思われる「革命」に触れておかねばならない。
 それは照明革命である。それまでアメリカでは、照明用の油として鯨からとった油を使っていた。大西洋の鯨を獲りつくし、遠く北太平洋まで鯨を捕えに出かけなければならなくなった19世紀半ば頃には、鯨油の価格はバレル当たり100ドル以上もしていた。当時照明はたいへん高くついた。照明は大衆のものではなかった。
 それが、1860年代以降、石油から取れる灯油が使われるようになると、照明用の油の価格は、一挙に数十分の一に低下したのである。石油の需要は1860年以降驚くべき勢いで増大した。当時、石油はほとんどすべて灯油として使われていたのだ。したがって石油需要の増大は、価格革命によって、照明が大衆のものとなったことを示唆している。
 アメリカの大衆は、明るくなった夜をどのように利用したのだろうか。家族との団欒、あるいは隣人とのつきあい、しかし結局、テレビやラジオもない当時、人びとは明るくなった夜を次第に読書に利用するようになったのではないか。最初は聖書だったかもしれないが、だんだんと人びとの知識欲は旺盛になっていったと思われる。
(『「1929年大恐慌」の謎 経済学の大家たちは、なぜ解明できなかったのか関岡正弘

イノベーション
 アダンの林が途切れ、白い道は松の防風林に入った。おれはとうとうそこで立ち止まった。しゃがみこんで、深いワークブーツの紐(ひも)を解き、最初から通した。足首をすっかり覆う一番上の穴まで靴紐を通し、きつく締めて足首を固定しようとしていた。もう歩くだけではどうにもならなかった。靴紐を結びながら、不意に耳元まで「戦いたい」という思いがこみあげ、紐を握った指が震えた。革ジャケットのファスナーも喉元まで上げた。歩は次第に早まり、奥歯に力がこもった。久しぶりに顔の筋肉がこわばっていく緊張を覚え、首の付け根のあたりから鳥肌が沸き立つのを感じた。おれの足が走り出そうとしていた。
「走るな」そう声にして自分へ言った。一度走り出してしまえば、どこへその道が通じているのかはわかりきっていた。ただつらいばかりで、報われることの少ないあの道へ、また戻るハメになる。古い血のシミが斑点(はんてん)の模様を創ったキャンバスと、逃げ場をさえぎるロープと、それ以外に何もない、ただ殺風景なあの場所へ戻ることになる。
(『汝ふたたび故郷へ帰れず飯嶋和一

ボクシング
 テクニカル分析の前提は三つある。
A 市場の動きはすべてを織り込む。
B 価格の動きはトレンドを形成する。
C 歴史は繰り返す。
(『先物市場のテクニカル分析ジョン・J・マーフィー
 知識の量を自慢したり、上等のことを知っているというので得意になっている人がいるが、そういう人を、人として上等だとは思っていない。
 たとえば大学の試験など、教科書、参考書、辞書を持ち込んでもいい。高度な学問のためには大量の知識を必要とするが、本来はそのような本を見ればすむことなのだ。社会に出たら文献はもちろん、他人の頭まで使ってよいのだ。
(『独創は闘いにあり西澤潤一
 十全に開発された性衝動と精神性は自己陶酔はしないのであり、情動のエネルギーと生命エネルギーが全身に伝導するのを必要条件としてこそ、開発された性衝動と言える。関係構築、意思疎通、相互関与。それだけが、自己陶酔的で小賢しい操作をする性の手管を治す治療法になる。だから、恋人たちが全身の伝導を経験したいと思っているのなら、性器の液体を交換するだけでなく、内密にしている孤独な術策、性的傾向、習慣を互いにあらいざらいさらけ出さなければならない。二人はタブーというタブーを捨てて、互いの目の前で最も内密な想像を表に出しきることが必要だ。それこそが密着の始まりである。というのも、現にもっている傾向をあらいざらい互いに教え合って、その内容のことで相手を貶めたり非難したりせずに、くつろいだ行為、思いやり、相手への検分に時間を費やすなら、充実した感情が湧き上がってきて、それまで自己閉塞と自己逃避に閉じこめられていたエネルギーが循環できることになるからである。二人がすべてをさらけ出し続けるなら、分離の感覚を解消する手段としての通常のオルガスムは、いよいよその必要がなくなる。全身に拡散した長時間にわたる生命力の伝導、深い思いやり、相互の密着が生じて、オルガスムの代用になるわけだ。(『エロスと精気(エネルギー) 性愛術指南ジェイムズ・M・パウエル:浅野敏夫訳)

性愛術
 蜂には紫外線が見えるそうです。彼らは花の蜜を嗅ぎ当てるのではなく、見つけるそうです。花の外から蜜の色が見えるというのです。蜂に見えている世界は私たちが見ている世界とは違うでしょう。可視光線、可聴音域を超える生物には同じ世界が違って見え、聞こえるのです。
 私たちは自分の目で見たものは、そのものの真実の姿だと思ってしまいます。
 しかし対象物は、液体である水が固体(氷)や気体(水蒸気)にもなるように、その時々の条件や私たちの識別能力によって、さまざまに姿を変えています。同じ物を同時に見るときでさえ、その人の視力などの能力や立場、潜在意識、固定観念、先入観、嗜好などによって見えるものが違ってきます。人はそれぞれに見ているもの、見えているものが違うのです。対象物には私たちが考えるような「たった一つの真実の姿」などはなく、あなたや私の目にどう映っているかだけなのです。
(『実践 生き残りのディーリング 変わりゆく市場に適応するための100のアプローチ矢口新

為替
 肉体が活動を停止すると、たまった体液が放出される。死体を扱うのに最適なのは体液がしみ出る前だ。死後硬直が始まると、死体は膨張して大きな黒い水泡になり(ルイジアナの情け容赦ない暑さではそのスピードが速い)、しまいに皮膚がはじける。そのときの匂いは、味になる。わたしは死の味が舌や喉や肺をびっしり覆ってしまうとは知らなかった。煙草を吸ってもだめだった。コーヒーや、思いつく中でもっとも刺激の強いアルコール、ストレートのジンですすいでもだめだった。死体に触れたあと何日間も死を味わわされた。(『あなたに不利な証拠としてローリー・リン・ドラモンド:駒月雅子訳)
「え、戦あね、気の持様だ。もう止(や)めるだろう、いつ止めるだろう、そんな事を考えちゃあ、考げえた方が敗けるんだよ。とことん迄対手(あいて)をやっつけなくちゃあ止めねえ覚悟が第一だね。その覚悟せえしっかりしてれあ戦あきっと勝てるもんだよ」(『勝海舟子母澤寛

勝海舟
 この男には不思議な魅力があった。人間の不純性と純粋性を兼ね合わせていて、つまり、その相対性のなかに彷徨(ほうこう)をくり返していた男である。善意悪意、潔癖と汚濁、大胆と小心、勇気臆病といった相反するものを総合した人間といえるだろう。徹底して多くの人に嫌われる一方、また、多くの人に徹底して愛された男である。(『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋”と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯団鬼六

将棋
 そして、ただひとり、ほかの少女たちの甲高いおしゃべりを黙って聞いている、おまえたちの語る計画は語られた時点ですでに頓挫しているのだと言わんばかりに。(『神は銃弾ボストン・テラン:田口俊樹訳)
 新聞はいかなる新聞であっても、例えば私物の泥靴を包んでおいたぼろぼろの新聞まで読み尽してしまった。食器棚の下に誰かが投げ込んでおいた半年ほど前の内閣のパンフレットを手にした時は、ほとんど一週間も掛ってそれを読み返し読み返しした。(中略)メンソレータムの効能書きを裏表丁寧に読み返した時などは、文字に飢えるとはこれほどまでに切実なことかとしみじみ感じた。(竹田喜義 22歳)『きけ わだつみのこえ 日本戦没学生の手記日本戦没学生記念会

戦争読書
 何よりも大事な、教師の条件は子供の心の見えること──子供のうちにかすかに動いているものや、ことばにならないおもいを感じとる人間的な資質であるだろう。それが感受性であるわけだが、それはやさしさとは別のものではない。教師がそれを欠けば、子供のうちにある、表面には姿を見せない大事なたから(可能性)は切りすてられる外ない。子供のもっている豊かな可能性の貴重な愛惜すべき部分は、遠慮会釈なく学校教育の中で無残に切りすてられてゆく。この「切りすて」に抵抗すると、今度は子供自身が容赦なく切りすてられるのである。(『教育の再生をもとめて 湊川でおこったこと林竹二
「もし、“人間共和”がいつ実を結ぶのかと聞かれたら、われわれはこう答えればよいのです。たとえば、まずあそこにひとつ、ここにひとつ、あるいはあそこの国、ここの国といったように、世界が“人間共和”をつくりあげるような下地が出てくれば、従来の世界を支配してきた権力は、こんどは“人間共和”によって支配されるようになるだろう、と」(『永遠の都ホール・ケイン:新庄哲夫訳)
 他の社会の醒めきったような人から悟りきったような口調で、
「たかが野球じゃないか」
 といわれるくらい腹の立つことはない。
 野球をただの遊びと考えている人には「たかが」かも知れないが、人生を賭けてまで野球を追いつめていって、その奥行きの深さ難しさを知った者の口からは、「たかが」などという言葉は、たとえ頭のてっぺんに五寸釘を打ち込まれても出てこないだろう。
(『王貞治 回想)王貞治
 学ぶのに飽きた人は、何ひとつ学ばなかった人だ。(『蝿の苦しみ 断想エリアス・カネッティ:青木隆嘉訳)
 きつぱりと冬が来た
 八つ手の白い花も消え
 公孫樹(いてふ)の木も箒になつた

 きりきりともみ込むような冬が来た
 人にいやがられる冬
 草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

 冬よ
 僕に来い、僕に来い
 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のやうな冬が来た(「冬が来た」)

(『高村光太郎詩集高村光太郎

詩歌
「あなたはなんでも喜べるらしいですね」あの殺風景な屋根裏の部屋を喜ぼうとしたパレアナの努力を思い出すと、少し胸がつまってくるような気がしました。
 パレアナは低く笑いました。
「それがゲームなのよ」
「え? ゲームですって?」
「ええ、『なんでも喜ぶ』ゲームなの」
「遊びのことを言ってるのよ。お父さんが教えてくだすったの。すばらしいゲームよ。あたし、小さい時からずうっと、この遊びをやってるのよ」
(『少女パレアナエレナ・ポーター:村岡花子訳)
 このプンニカーおばちゃんの話を読むたびに感心するのは、「作られた常識」のわなを次々と、軽々と、乗り越えてゆく、その自由さ、精神の軽さです。もちろん、その軽さは、軽薄さではありません。強靭な精神の瞬発力に支えられた軽さなのです。
「鳥のように軽くあらねばならない、羽根のようではなく」というポール・ヴァレリーの言葉を思いだします。
 そう。羽根は確かに軽く、風に乗れば高く舞い上がるかもしれませんが、風が無くなると堕ちてしまいます。しかし、鳥はその必死の羽ばたきで、自ら軽く飛ぶのです。(中略)
 バラモンは最も高い階級で、いわゆる教養があるはずです。対してプンニカーは差別され、恵まれない階級に属していました。満足な教育も受けていないのです。しかし、バラモンには精神の停滞があり、プンニカーには精神のはつらつとした瞬発力がありました。
(『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う友岡雅弥

ブッダ宗教
 ゲルハルト・フライは、フェルマーの最終定理の真偽が、谷山=志村予想が証明できるかどうかにかかっているというドラマティックな結論を導いたのである。つまり、もしも谷山=志村予想が証明できれば、自動的にフェルマーの最終定理を証明したことになるのだ。こうして、この100年間ではじめて、難攻不落の城に攻め入る道が見えたかに思われた。フライが言うには、フェルマーの最終定理を証明するために乗り越えなければならないハードルは、谷山=志村予想を証明することだけだというのだから。(『フェルマーの最終定理サイモン・シン:青木薫訳)

数学
 マダム・ガイヤールはまだ30にもなっていないのに、もうとっくに人生を卒業していた。外見は齢相応にみえた。と同時にその倍にも見えたし3倍にも見えた。100倍も歳月を経たミイラ同然だった。心はとっくに死んでいた。幼いころ、父親に火掻き棒で一撃をくらった。鼻のつけ根のすぐ上。それ以来、嗅覚がない。人間的なあたたかさや冷たさ、そもそも情熱といったもの一切に関心がない。嫌悪の感情がない代わりにやさしさもない。そんなものは、あの火掻き棒の一撃とともにふきとんだ。絶望を知らない代わりに喜びも知らない。齢ごろになって男と寝たとき、何も感じなかった。子どもが生まれたときもそうだった。生まれた子が次々と死んでいっても悲しいとは思わなかった。生き残ったのがいても、うれしいというのではない。夫に殴られているとき、からだをすくめたりしなかった。その夫がコレラのために収容所で死んだとき、ホッとしたりもしなかった。彼女が感じる唯一のものは月経のはじまり。ほんの少しだが気分がめいる。月経が終わると少しばかり気が晴れる。ほかにこの女は何一つ感じない。(『香水 ある人殺しの物語パトリック・ジュースキント池内紀訳)
 普通は、喉の渇きをいやすには、夕方のスープと、朝の10時ごろに配給される代用コーヒーで十分だった。しかしそれではもはや十分でなかった。渇きは私たちを責めさいなんだ。それは飢えよりもずっと切実だった。飢えは神経の言うことに従い、小康状態になり、苦痛、恐怖といった感情で一時的に覆い隠すことができた(私たちはイタリアから汽車で運ばれて来た時、このことに気がついた)。渇きはそうではなくて、戦いを決して止めなかった。飢えは気力を奪ったが、渇きは神経をかき乱した。そのころは昼も夜も、渇きがつきまとって来た。(『溺れるものと救われるものプリーモ・レーヴィ:竹山博英訳)

ナチス強制収容所
 デパートは、そもそも「百貨店」とうい、およそ汗くさい、どうにもよろず屋的なバッタ商売の英訳に過ぎない言葉であり、歴史的に見れば「闇市」の発展形として成立した、一種のハイパー闇市なのだ。
 疑うのならまわりを見回してみるが良い。
 T急、S武は地上げ屋の出店だし、M越は呉服屋出身の高利貸しがおっ建てたものだ。T島屋だって、もとはといえば闇屋まがいの商売をやっていたS木屋を乗っ取って出来上がった店にほかならない。
 とすれば、いまだにアメ横じみた闇市臭を遺しているアブアブ赤札堂は、むしろデパートとしての出自に忠実な、王道を行く店なのである。
(『山手線膝栗毛小田嶋隆
 助手に採用されるということはアカデミアの塔を昇るはしごに足をかけることであると同時に、ヒエラルキーに取り込まれるということでもある。アカデミアは外からは輝ける塔に見えるかもしれないが、実際は暗く隠微なたこつぼ以外のなにものでもない。講座制と呼ばれるこの構造の内部には前近代的な階層が温存され、教授以外はすべてが使用人だ。助手―講師―助教授と、人格を明け渡し、自らを虚しくして教授につかえる。その間、はしごを一段でも踏み外さぬことだけに汲々とする。雑巾がけ、かばん持ち。あらゆる雑役とハラスメントに耐え、耐え切った者だけがたこつぼの、一番奥に重ねられた座布団の上に座ることができる。古い大学の教授室はどこも似たような、死んだ鳥のにおいがする。
 死んだ鳥症候群という言葉がある。彼は大空を悠然と飛んでいる。功成り名を遂げた大教授。優雅な翼は気流の流れを力強く打って、さらに空の高みを目指しているようだ。人々は彼を尊敬のまなざしで眺める。
 死んだ鳥症候群。私たち研究者の間で昔からいい伝えられているある種の致死的な病の名称である。
 私たちは輝くような希望と溢れるような全能感に満たされてスタートを切る。見るもの聞くものすべてが鋭い興味を掻きたて、一つの結果が次の疑問を呼び覚ます。私たちは世界の誰よりも実験の結果を早く知りたいがため、幾晩でも寝ずに仕事をすることをまったく厭(いと)うことがない。経験を積めば積むほど仕事に長(た)けてくる。何をどうすればうまくことが運ぶのかがわかるようになり、どこに力を入れればよいのか、どのように優先順位をつければよいのかが見えてくる。するとますます仕事が能率よく進むようになる。何をやってもそつなくこなすことができる。そこまではよいのだ。
 しかしやがて、最も長けてくるのは、いかに仕事を精力的に行っているかを世間に示すすべである。仕事は円熟期を迎える。皆が賞賛を惜しまない。鳥は実に優雅に羽ばたいているように見える。しかしそのとき、鳥はすでに死んでいるのだ。鳥の中で情熱はすっかり燃え尽きているのである。
(『生物と無生物のあいだ福岡伸一
 私は、教師にとって、子どもというものが教える対象でしかないということ、あるいは教える対象としてしか子どもを見ることができないという事実が根本にあって、教師をひどく冷たい、非人間な存在にしてしまっているように感じているのです。(『問いつづけて 教育とは何だろうか林竹二

教育
 人間が遊ぶ能力を失わない、というのは、こう考えると大変すばらしいことといえる。一方ではそれは、人間が一生涯学習能力を持ちつづけることを意味している。また逆に、人間は遊ぶおかげで、種々の能力をますますのばしていく機会を持つことになる。(『知的好奇心波多野誼余夫〈はたの・ぎよお〉、稲垣佳世子)
「いいか、ここで本気にならないと取返しはつかないぞ。過ぎ去った事はすっかり忘れていい。これからが勝負だ。自信をもって堂々とやれ。いちばん強いのは本気だということだ」(「青嵐」)『一人ならじ山本周五郎
 精神とは同一のものをきらうものであります。列車に乗って外の景色をながめております場合、いつまでもいつまでも同じような荒野が広がっている場合には、精神はたいくつします。また、一つの論文がただ長いだけで、内容的には同じことがくり返されてくる場合には、精神はそのような論文を読み続けることを拒否するのであります。それはことばを換えて申しますと、精神は単調、モノトニー、ということをきらうものであるということであります。あるいは精神は反復をきらうと言ってよいかもわかりません。精神は常に変化を求めるものであります。たとえば、一つのオーケストラを聞く場合、同じメロディーや、同じリズムがくり返されることにはたえられず、新しい旋律のあらわれるのを常に期待するものであります。
 要するに、精神というものは、すでにあるもの、すでにつくられたもの、すでに自分の所有するものには満足しないのであります。精神は常に変化を求めるもの、常に新たなるものにあこがれるものであります。しかも単に新しいもの、変わったものを求めるだけではなく、〈より〉よいものを求めるものであります。〈より〉よいもの、〈より〉美しいもの、〈より〉正しいものを求めるもの、それが人間の精神であります。
 なお、精神は新しいものを求めますとともに、調和を求めるものであります。変化を求めると申しましても、ただ雑然と多くのものがあるということを精神は喜びません。ましてものごとが対立し、矛盾したままで存在することには満足しません。満足しないだけではなく、そのような対立や闘争にはしんぼうができず、すべてのものに平和と調和を求めるものであります。このようにして精神とは、同一なるもの、無変化なるもの、不調和なるものに満足しないだけではなく、さらにみずから進んでその新しいもの、〈より〉よいもの、〈より〉調和あるものをみずからつくるものであります。精神によって、新たなるもの、〈より〉よいものは生み出されるのであります。精神こそ創造の原理であり、時間と歴史の源泉なのであります。
(『「自分で考える」ということ澤瀉久敬〈おもだか・ひさゆき〉)
「おまえたち、だと?」私が言った。「おれたち? おれは、おれとおまえのことについて話してるんだ。おれたちやおまえたちについて話そうとしているんじゃない」(『レイチェル・ウォレスを捜せロバート・B・パーカー:菊池光訳)
 老いの意味とは何だろうか。進歩主義という宗教の中に入っていると、老いも死もあたかも存在しないかに見えた。高度経済成長の時代、人々は進歩を求めて都会でがむしゃらに働いた。ある日突然、田舎に残してきた親が倒れ、この世代は初めて老いの問題に直面した。そして今、自分たちの老いを迎えるに至った。高度成長を支えた世代を襲った自らのアイデンティティを突き崩すショックが二つあった。一つはオイルショック。もう一つが「老いる」ショックである。(『老人介護 じいさん・ばあさんの愛しかた三好春樹

介護
 オムツにしない工夫こそが介護なのである。オムツに出た便を処理するのは、介護ではなく“後始末”にすぎない。(『老人介護 常識の誤り三好春樹
 ロック界の現状は、スプーンを曲げる程度の超能力で乗り切れるほど、クリーンなものではない。ロックで売れるためには、彼(超能力少年の清田君)は、スプーンなんかよりも、まず自分の信念を曲げるところから出発しなければならない。ロックはパワーを伝えたりはしない。パーがワーと騒ぐだけだ。(『安全太郎の夜小田嶋隆
 そこに電気を流して神経を活発化させるとものすごく気持ちいい場所、というのがある。
 それを知ったネズミは、自分でレバーを押して電流を流せるようになるから、自分の快感をコントロールできる。そうすると、もう水も飲まない、餌も食べない、ずっとレバーを押し続ける。気持ちいいんだろうね。それで結果的にどうなるか? レバーを押し続けて死んじゃうんだ。そのくらい快感に感じる場所があるというのは驚きでしょ。それで、その場所を〈報酬系〉と呼ぶようになったんだ。
(『進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線池谷裕二

脳科学
 情報、調査・分析の世界に長期従事すると独特の歪みがでてくる。これが一種の文化になり、この分野のプロであるということは、表面上の職業が外交官であろうが、ジャーナリストであろうが、学者であろうが、プロの間では臭いでわかる。そして国際情報の世界では認知された者たちでフリーメーソンのような世界が形成されている。
 この世界には、利害が対立する者たちの間にも不思議な助け合いの習慣が存在する。問題は情報屋が自分の歪みに気付いているかどうかである。私自身も自分の姿が完全には見えていない。しかし、自分の職業的歪みには気付いているので、それが自分の眼を曇らせないようにする訓練をしてきた。具体的には常に複眼思考をすることである。
(『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて佐藤優

フリーメイソン
 5月、アブグレイブ刑務所での米兵による虐待行為が明るみに出た。世界中に発信されたその写真は、おぞましさに目をおおいたくなるような代物(しろもの)だった。イラク人捕虜を全裸にした上での自慰行為の強制、覆面(ふくめん)をさせた上で殴打し、踏みつける、人間ピラミッド、タブーである豚肉を食べさせる等々。しかも、実行している米兵は指をさして笑っている。人間の尊厳を踏みにじった、この同胞への蛮行。
 その話題に変えると、(イマード・)リダはとたんに声を荒らげた。耳にするや否や、まるで目の前に米軍部隊がいるかのように、今まで理性的だった男は激しく興奮しだした。
「おまえたちはイラクを解放すると言っておいて、こんなひどい仕打ちをする。おまえらが言っていることは全部嘘だ! 世界はこんな蛮行は許せないと言っているぞ!」
 私は米兵の代わりに、怒鳴られる格好となった。
 アブグレイブで起こった出来事が、メディアを通じて流されたことで、当事者であるイラク人たちが、どれほど屈辱的な思いをさせられたことか。民族的トラウマといっていい。五輪出場を決めることで、同胞に蔓延(まんえん)したこの屈辱感を一掃(いっそう)したかったのだと、リダは言う。
(『蹴る群れ木村元彦

アメリカ暴力サッカー
 その代表が、アメリカ報道界の長老で、内政と外交政策の評論家にして自由民主主義の理論家でもあった、ウォルター・リップマンである。リップマンのエッセイ集を開いてみれば、あちこちに「自由民主主義思想の進歩的理論」というような副題が見つかることだろう。
 実際、リップマンはそうした組織的宣伝を進める委員会にもかかわっており、その効果を充分に認識していた。「民主主義の革命的技法」を使えば「合意のでっちあげ」ができる、と彼は主張した。すなわち、新しい宣伝技術を駆使すれば、人びとが本来望んでいなかったことについても同意を取りつけられるというわけだ。
 彼はこれをよい考えだと思ったし、必要だとさえ思っていた。なぜならば「公益に関することが世論から抜け落ちている」ように、公益を理解して実現できるのは、それだけの知性をもった「責任感」のある「特別な人間たち」だけだと考えていたからである。
 この理論からすると、万人のためになる公益は少数のエリート、ちょうどデューイ派が言っていたような知識階層だけにしか理解できず、「一般市民にはわからない」ということになる。こうした考え方は何百年も前からあった。
 たとえば、これは典型的なレーニン主義者の見方でもあった。革命をめざす知識人が大衆の参加する革命を利用して国家権力を握り、しかるのちに愚かな大衆を、知性も力もない彼らには想像もつかない未来へ、連れていくのだとするレーニン主義者の考えと、これはそっくりではないか。自由民主主義とマルクス・レーニン主義は、そのイデオロギーの前提だけをとってみると非常に近いのだ。私の思うに、それが一つの理由で人びとは自由民主主義からレーニン主義、あるいはその逆へと、自分では転向したという意識もなしにあっさりと立場を変えてしまえるのだろう。単に、権力がどこにあるかの違いだけだからだ。
(『メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会ノーム・チョムスキー鈴木主税訳)

メディアプロパガンダ
 あの夜にかぎって
 空襲警報が鳴らなかった
 敵が第一弾を投下して
 七分も経って
 空襲警報が鳴ったとき
 東京の下町は もう まわりが
 ぐるっと 燃え上っていた

 まず まわりを焼いて
 脱出口を全部ふさいで
 それから その中を 碁盤目に
 一つずつ 焼いていった
 1平方メートル当り
 すくなくとも3発以上
 という焼夷弾
〈みなごろしの爆撃〉

 三月十日午前零時八分から
 午前二時三七分まで
 一四九分間に
 死者8万8793名
 負傷者11万3062名
 この数字は 広島長崎を上まわる

 これでも ここを 単に〈焼け跡〉
 とよんでよいのか
 ここで死に ここで傷つき
 家を焼かれた人たちを
 ただ〈罹災者〉で 片づけてよいのか

 ここが みんなの町が
〈戦場〉だった
 こここそ 今度の戦争
 もっとも凄惨苛烈な
〈戦場〉だった

(「戦場」 昭和43年8月)『一戔五厘の旗花森安治

原爆
「オウムはA、U、Mの三つの音で成り立っている。サンスクリットでは、Aはアルファベットの最初の音、Mは最後の音であり、Uはその間のすべての文字を表している。だから、オウムというマントラには、サンスクリットの言語構造すべてが込められている。それは、すべての言葉とすべての存在の本質なのだよ。我々の古代からの伝統によれば、存在そのものが『オウム』という音から生まれた、とされている」(ゴーパールジー/著者が通った学校の先生〈クラスは一つしかなく、10~20人程度の規模だった〉、40歳の哲学者)『君あり、故に我あり 依存の宣言サティシュ・クマール:尾関修、尾関沢人訳
「紙と文字」を媒体にして密室の中で生産され消費されるのが近代小説であるとすれば、物語は炉端や宴などの公共の空間で語り伝えられ、また享受される。小説(novel)が常に「新しさ」と「独創性」とを追及するとすれば、物語の本質はむしろ聞き古されたこと、すなわち「伝聞」と「反復性」の中にこそある。独創性(originality)がその起源(origin)を「作者」の中に特定せずにはおかないのに対し、物語においては「起源の不在こそがその特質にほかならない。物語に必要なのは著名な「作者」ではなく、その都度の匿名の「話者」であるにすぎない。それは「無始のかなたからの記録せられざる運搬」(※柳田國男『口承文芸史考』)に身を任せているのである。また、物語が「聴き手または読者に指導せらるる文芸」であることから、その意味作用は「起源」である話者の手を離れて絶えず「話者の意図」を乗り越え、さらにはそれを裏切り続ける。意味理解の主導権が聴き手あるいは読者に委譲されることによって、物語は話者の制御の範囲を越えて「過剰に」あるいは「過小に」意味することを余儀なくされる。つまり、物語の享受は聴き手や読者の想像力を梃子にした「ずれ」や「ゆらぎ」を無限に増殖させつつ進行するのである。それゆえ、物語の理解には「正解」も「誤解」もありえない。そして「作者の不在」こそが物語の基本前提である以上、それは反独創性、無名性、匿名性をその特徴とせざるをえないであろう。
 そもそも「独創性」に至上の価値を付与する文学観は、「作者」を無から有を生ぜしめる創造主になぞらえ、「作品」をバルトの言葉を借りれば「作者=神からのメッセージ」として捉える美学的構図、あるいは一種の神学的図式に由来している。しかし、先にも述べたように、いかに独創的な作者といえども、言語そのものを創造することはできない。彼もまた、手垢にまみれた使い古しの言葉を使って作品を紡ぎ出すほかはないのである。たとえ新たな語彙を造語したとしても、その意味はすでに確立した語彙や語法を用いて定義され、説明されねばならない。われわれは常にすでに特定の「言語的伝統」の内部に拘束されているのであり、それを内側から改変することはできても、それを破壊し、その外部に出ることは不可能なのである。それゆえ、独創性なるものは、既成の語彙や文の新たな使用と組合せ、あるいはコンテクストの変容による新たなメタファーの創出などの中にしか存在しない。誰も言語を発明することはできず、それを利用することができるだけだという意味にいて、あらゆる言語活動はわれわれを囲繞する既成の言語的伝統からの直接間接の「引用」の行為と言えるであろう。その限りにおいて、バルトが指摘する通り、テクストとは「引用の織物」にほかならないのであり、そのことは口承の「物語」についてならばさらによく当てはまるはずである。
(『物語の哲学野家啓一

メアリアン・ウルフ
 コロンブス以後、16世紀半ばまで、ヨーロッパ人の間で一番問題となったのはインディアンキリスト教を理解する能力を持っているのか否か、ヨーロッパ人と同じ理性を持った存在であるのか否かという問題であった。
 ここで、先にも紹介した、アウグスティヌスの怪物的存在についての議論を想い起こそう。そこでは、彼は人間を「理性的で死すべき動物」と定義し、怪物の姿をしていようと何であろうと、この定義にあてはまれば、それはアダムとエヴァの子孫であると断言していた。このことは、逆に言えば、人間の姿をしていても、それが「理性的」でないとしたら、それはアダムとエヴァの子孫ではないということになる。
(『聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何か岡崎勝世
 歴史という文化は、地中海世界と中国世界だけに、それぞれ独立に発生したものである。本来、歴史のある文明は、地中海文明と中国文明だけである。それ以外の文明に歴史がある場合は、歴史のある文明から分かれて独立した文明の場合か、すでに歴史のある文明に対抗する歴史のない文明が、歴史のある文明から歴史文化を借用した場合だけである。
 たとえば日本文明には、668年の建国の当初から立派な歴史があるが、これは歴史のある中国文明から分かれて独立したものだからである。
 またチベット文明は、歴史のないインド文明から分かれたにもかかわらず、建国の王ソンツェンガンポの治世の635年からあとの毎年の事件を記録した『編年紀』が残っており、立派に歴史がある。これはチベットが、唐帝国の対抗文明であり、唐帝国が歴史のある中国文明だったからである。
 イスラム文明には、最初から歴史という文化要素があるけれども、これは本当はおかしい。アッラーが唯一の全知全能の神で、宇宙の間のあらゆる出来事はアッラーのはかり知れない意志だけによって決定されるとすれば、一つ一つの事件はすべて単独の偶発であり、事件と事件の間の関連を論理によってたどろうなどというのは、アッラーを恐れざる不敬の企てだ、ということになって、歴史の叙述そのものが成り立たなくなってしまう。(中略)
 しかし、もっと大きな理由は、イスラム文明が、歴史のある地中海文明の対抗文明として、ローマ帝国のすぐ隣りに発生したことである。地中海文明の宗教の一つであるユダヤ教は、ムハンマドの生まれた6世紀の時代のアラビア半島にも広がっていた。ムハンマド自身もその影響を受けて、最初はユダヤ教の聖地であるイェルサレムの神殿址に向かって毎日の礼拝を行っていた。
(『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統岡田英弘
 ここで初めの問いに戻ると、人間が他の生物に比べて相対的な「最大寿命」が長いということの意味が、以上のことから明らかになる。それは、人間の場合、生殖を終えた後の「後生殖期」が長い、ということである。つまり、純粋に生物学的に見ると“不要”とも言えるような、子孫を残し生殖機能を終えた後の時代が構造的に長い、という点に、「ヒト」という生き物のひとつの大きな特徴がある。(『死生観を問いなおす広井良典
 君たちは或る人の生活を、また或る人の死を、とやかく言い、何か格別の功績のために偉大とされる人物の名前に向かって、あたかも見知らぬ人に出会って吠えかかる小犬のように吠えかかる。君たちにとっては、誰もが善き人と思われないほうが好都合だからであって、あたかも、他人の美徳が君たち全体の過失を叱ってでもいるかのように思えるのだ。君たちは嫉妬しながら、他人の輝かしさを自分の汚なさに比べるが、そんなことをあえて行なうことが、どんなに君たちの損になるかも分からない。ところが、もし徳を求める者たちが貪欲で好色で野心家であるというならば、徳という名を聞くだけで嫌気を覚える君たちは、一体全体何者だというのか。(「幸福な人生について」)『人生の短さについて 他二篇セネカ茂手木元蔵
「東洋の宗教哲学はすべて、宇宙エネルギーだという考えに基づいています。それが現代の量子物理学によって裏づけられたってわけですよ。それに東洋では、宇宙において人間の心は基本的にひとつだと信じられています。これは、ユングの集合的無意識を想起せずにはいられません。
 仏教徒は、万物は永遠ではないと信じています。ブッダは、この世界の苦しみはすべて、人間がひとつの考えやモノに執着することから生まれると説きました。人はあらゆる執着を捨て、宇宙は流れ、動き、変化するものだという真理をうけいれるべきだとね。仏教の視点からすると、時空とは意識の状態の反映でしかありません。仏教徒は対象をモノとしてではなく、つねに変化していく宇宙の動きと結びついた動態過程とみなしています。彼らは物質をエネルギーとしてとらえているんですよ。量子物理学と同様にね」
(『数学的にありえないアダム・ファウアー:矢口誠訳)
 自ら思索する者は自説をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てるにすぎない。ところが書籍哲学者は他人の権威ある説から出発し、他人の諸説を本の中から読み拾って一つの体系をつくる。その結果この思想体系は他人からえた寄せ集めの材料からできた自動人形のようなものとなるが、それに比べると自分の思索でつくった体系は、いわば産みおとされた生きた人間に似ている。その成立のしかたが生きた人間に近いからである。すなわちそれは外界の刺激をうけてみごもった思索する精神から月満ちて生まれたのである。
 他人から学んだだけにすぎない真理は、我々に付着しているだけで、義手義足、入れ歯や蝋の鼻か、あるいはせいぜい他の肉を利用して整形手術がつくった鼻のようなものにすぎないが、自分で考えた結果獲得した真理は生きた手足のようなもので、それだけが真に我々のものなのである。思想家と単なる学者との相違もこのような事情に由来する。したがって自ら思索する者の精神的作品は1枚の生き生きとした絵画、光りと影の配合も正しく、色調も穏やかで、色彩のハーモニーもみごとな生き生きとした出色の絵画のおもむきを呈する。これに反して単なる学者の著作は、色彩もとりどりに豊かでくまなくととのってはいるが、ハーモニーを欠いた無意味な一枚の絵画板に近い。
(『読書について 他二篇ショウペンハウエル

読書
 ヒトの脳に考えを行動に移そうとする強迫的な傾向があるならば、われわれが神話を演じずにはいられないことも、容易に理解できる。運命、死、人間精神の本質などの神話のテーマは、誰にとっても大きな関心事であり、注目すべき問題であるからだ。われわれの祖先が神話をイメージし、それを演じているうちに、リズミカルな動作の繰り返しによって超越的な感覚を誘発できることに気づく者が出てきた可能性は非常に高い。神話のテーマや物語に、このたしかな感覚が加わったとき、効果的な宗教儀式が創造(実際には「発見」)される。
 効果的な宗教儀式はどれも、神話のテーマと一定の神経学的過程とを結びつけ、神話に生命を吹き込む点で共通している。象徴的に神話の世界に没入した信者は、神話が内包する深遠な謎を正面から見据え、その謎が解決される過程を体験する。その体験は強烈で、ときには人生を変えることもある。ここで、儀式のリズムと内容は、どちらも非常に重要だ。儀式のリズムが、参加者たちの脳を神経学的に共鳴させられなくなったり、自律神経系や感情に適当な反応を誘発させられなくなったりしたとき、あるいは、儀式のテーマや象徴が新鮮味を失ったり、文化との接点を失ったりしたときには、儀式のスピリチュアルな意味は失われてしまう。
(『脳はいかにして〈神〉を見るか 宗教体験のブレイン・サイエンスアンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ロース:茂木健一郎訳)

科学と宗教脳科学認知科学脳神経科学
 もっと一般的に言えば、私たちは、自分の好む結論と自分が嫌う結論とに別々の評価基準を用いがちだということである。自分が信じたいと欲している仮説に対しては、仮説に反しない事例を捜してみるだけである。これは、多くの情報が曖昧で多義的な性質を持っていることを考えれば、比較的達成されやすい基準である。これに対し、信じたくない仮説に対しては、そうした忌まわしい結論にどうしてもならざるをえないというような証拠を捜すことになる。これは、ずっと達成が困難な基準である。言い替えれば、信じたい仮説については「この仮説を信じても良いか」と自問するのに対し、信じたくない仮説については「この仮説を信じなければならないか」と自問しているのである。こうした二つの質問に肯定的に答えるために必要な証拠は、まったく違ったものである。それでも、私たちは往々にしてこうしたやり方で質問を形作り、客観的な基準で判断を下しているつもりのまま、自分が信じたいことがらを正しいと信じることにまんまと成功しているのである。(『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるかトーマス・ギロビッチ:守一雄、守秀子訳)

認知科学科学と宗教
 意識の内容は、人がそれを経験する前に、すでに処理され、削減され、コンテクストの中に置かれている。意識的経験は深さを持っている。すでにコンテクストの中に置かれている、たくさんの情報が処理ずみだが、その情報が私たちに示されることはない。意識的自覚が起こる前に、膨大な量の感覚情報が捨てられる。そして、その捨てられた情報は示されない。だが、経験そのものは、この捨てられた情報に基づいている。
 私たちは感覚を経験するが、その感覚が解釈され、処理されたものだということは経験しない。物事を経験するときに、頭の中でなされている膨大な量の仕事は経験しない。私たちは感覚を、物の表層をじかに感知したものとして体験するが、ほんとうは感覚とは、体験された感覚データに深さを与える処理がなされた結果なのだ。意識は深さだが、表層として体験される。
(『ユーザーイリュージョン 意識という幻想トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳)

認知科学
 マリー・キュリーはその後も専門分野で際立った功績をあげ、1914年には名高いパリ大学ラジウム研究所の設立に尽力している。ノーベル賞を二度受賞していながら、科学アカデミー会員に選ばれることはなかった。その大きな要因は、ピエールの死後、妻のいる物理学者を相手に、フランス人の尺度からしても過剰に不謹慎な不倫関係を持ったことだ。少なくともアカデミーを運営しているご老体たちの神経を逆撫でしたことは確かで、それは致命的だった。(『人類が知っていることすべての短い歴史ビル・ブライソン楡井浩一訳)
 ニューヨーク市の二人の心理学者――コロンビア大学のビブ・ラターンとニューヨーク大学のジョン・ダーリー――は、「傍観者問題」と称するテーマで一連の研究を発表した。その研究のなかで、彼らは一種類もしくは二種類の危機的場面を様々な状況で設定し、誰が救出にやってくるかを観察している。その結果、救出行動の予兆となるもっとも大きな要素は、なんと、その事件にどれだけ目撃者がいるかにかかわっていることが判明したのだ。
 たとえばある実験で、ラターンとダーリーは、癲癇(てんかん)の発作を学生に演じさせる。隣の部屋でその発作の様子を一人で聞いている場合には、85%の確率で学生の救出に向かう。だが、被験者がこの発作を聞いているのが自分のほかに4人いるということを知っている場合には、31%しか学生を救出しようとしないのだ。
 もう一つの実験ではドアの隙間(すきま)から煙が忍び込んでくるのを目撃させる。部屋に一人でいる場合には75%がそれを通報するが、グループでいる場合には38%しか通報しない。
 つまり、集団でいると責任感が薄れるのである。彼らは誰かが助けを呼ぶだろうと考える。あるいは、誰も行動を起こしていないのだから、一見すると問題が起こっているようだが――この場合、癲癇の発作のような声であり、ドアから忍び込んでくる煙――、実際はたいした問題ではないのだろうと考える。
 キティ・ジェノヴィーズ(1964年にニューヨークで女性が刺殺された事件。38人もの人々が目撃しながら、誰一人警察に通報しなかった)の場合、ラターンやダーリーのような社会心理学者によれば、教訓は38人もの人が悲鳴を聞いていたにもかかわらず通報しなかったということにあるのではなく、38人もの人が聞いていたからこそ、誰も通報しなかったことにあるという。皮肉なことだが、彼女がたった一人しか目撃者のいないうら寂れた通りで襲われていれば、助かっていたかもしれない。
(『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則マルコム・グラッドウェル:高橋啓訳)

ネットワーク科学
 日本憲法には「納税は国民の義務」という条文がありまして、例によってお上に従うのが大好きな日本人は、これをありがたく遵守しています。一方、アメリカ合衆国憲法には「議会は税を課し徴収することができる」としかありません。
 欧米諸国において憲法とは、国民の権利と国家の義務を規定したものなのです。日本はまるっきり逆。国民に納税しろと命じるずうずうしい憲法は世界的に見てもまれな例です。
 スペインの憲法には「納税の義務」が記されていますが、税は平等であるべしとか、財産を没収するようなものであってはならぬなど、国家に対する義務も併記されています。日本では納税しないと憲法違反となじられますが、役人が税金を湯水のごとくムダ遣いしても憲法違反にはならず、はなはだ不公平です。
 一方的に国民に納税を要求する取り立て屋のような憲法があるのは、日本・韓国・中国くらいものですから、こんな恥ずかしい憲法はもう、即刻改正しなければいけません。
(『反社会学講座パオロ・マッツァリーノ
 ここまで見てきたように、ピーターの本末転倒人間(またの名を職業的機械人間)には、自主的に判断を下す能力がありません。常に組織のルールや上司の指示に従うだけで、決断はしません。これが階層社会では有能と判断されます。したがって、本末転倒人間は昇進の対象になるのです。彼は昇進を続けることでしょう。ただし、不幸な昇進によって、自分で決定を下さなくてはならなくなったときが年貢の納めどきです。そこで彼は無能レベルに到達することになるわけです。
 つまり、職業的機械人間もピーターの法則の例外ではないということになります。
 私は学生たちに、常々こう言っています。
「有能か無能かは、見る人次第で変わる。善悪の観念もそうだし、美意識だってそう。ついでに言えばコンタクトレンズもそうだ。どれもこれも見る人の眼のなかにあるんだから!」
(『ピーターの法則 創造的無能のすすめローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル:渡辺伸也訳)

【の法則】
 アリストテレスの自然観は間違っていたが、影響力が大きく、1000年以上もの間、よほど現実的な見方も含め、それと対立する見方をすべて脇に押しやっていた。西洋世界がアリストテレス自然学を――アリストテレスによるゼノンの無限の排除とともに――打ち捨てるまで、科学が進歩することはなかった。
 ゼノンは、知性にあふれていたにもかかわらず、深刻な問題に突き当たった。紀元前435年頃、エレアの圧政者ネアルコスを打ち倒そうと謀り、この大義のために武器を密輸していた。ところが、不運なことに、ネアルコスに陰謀を知られ、逮捕された。ネアルコスは、共謀者を知ろうと、ゼノンを拷問にかけた。まもなく、ゼノンは拷問者たちにやめてくれと頼み、共謀者たちの名前を言うと約束した。ネアルコスが近づくと、ゼノンは、名前は秘密にしておくのがいちばんだから、もっと近寄ってほしいと言った。ネアルコスは体を傾け、顔をゼノンのほうに寄せた。すると突然、ゼノンはネアルコスの耳に噛みついた。ネアルコスは悲鳴を上げたが、ゼノンは噛みついたまま放さなかった。拷問者たちは、ゼノンを叩き殺してやっと引き離すことができた。こうして無限なるものの大家は死んだのだ。
 やがて、古代ギリシアに無限なるものに関してゼノンを凌(しの)ぐ者が現れた。シラクサの変わった数学者アルキメデスだ。無限なるものを垣間見た、ただ一人の思想家だった。
(『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念チャールズ・サイフェ:林大訳)
 すぐにベルリンへ向かった。寛大な老師は、自分をないがしろにしていた弟子に、惜しみない激励を与えた。ソーニャ(※ソフィア・コワレフスカヤ)の数学へのすさまじい打ち込みが始まった。モスクワへいったん移ってから、今度は娘を連れて再びベルリンへ向かった。夫との仲はすでに冷え切っていた。透明媒体中の光の伝播について研究を始めると同時に、娘をモスクワの友人に預ける。パリとベルリンを往復しながら、師の紹介で知ることとなったフランスの巨匠達、パンカレやエルミートをはじめ、多くの研究仲間と交わる。彼等は一様に、ソーニャの深い知識や鋭い知性、それに加えて「会話のミケランジェロ」とも称された類い稀な話術に魅了されたのだった。
 パリで、学生の身分に不満を覚えながらも、光の屈折に関する数学的研究を順調に進ませていた時、夫コワレフスキーの自殺を知らされた。彼女は衝撃で5日間、意識不明に陥っていたが、6日目に目を覚ますと、ベッドの上で数学公式を書き始めたという。
(『天才の栄光と挫折 数学者列伝藤原正彦

数学
 なぜ都市で、とくに時間が早くなるのか。もちろん、ハイテク化が進んで行くからである。それでは、ハイテク化とはなにか。コンピュータに代表されるように、それはまず第一に、情報化である。なぜ都市は、とくに大都市は、極端に情報化するのか。
 都市とはもともと、そのために生じたものなのである。都市には、予測不能なもの、ゆえに統御不能なものは、存在してはならない。それどころか、不測かつ統御不能という性質を持つものを排除した空間、そうしたものとして、そもそも都市が成立したのである。あたりまえのことだが、すべての予測は情報の上に成り立つ。一極集中がどこまでも進むことも、情報に関係している。入手が遅れた情報は、その価値を失う。それは、だれでも気づいていることであろう。
(『カミとヒトの解剖学養老孟司

科学と宗教
 海軍副将ジェイムズ・B・ストックデールほど苦しみを味わった捕虜はあまりいない。彼は、ベトナムの戦争捕虜として、2714日を耐えぬき、英雄的に生還した。
 ある時、北ベトナム兵がストックデールの手を背中に回して手錠を掛け、彼の足に重い鉄の鎖をつけた。そして、彼を暗い独房から引きずり出し、中庭に座らせて晒し者にした。それは、協力を拒んだ者がどのような目に会うかということを、他の捕虜に見せつけるためだった。
 その出来事を記載した海軍の公式記録によれば、ストックデールはその姿勢を3日間続けなくてはならなかったという。彼は、長い間太陽の光を浴びたことがなかったために、すぐ疲労を感じ始めた。しかし、見張り兵は彼を眠らせなかった。そして何度も殴られた。
 ある日のこと、殴られた後にストックデールは、タオルを鳴らす音を聞いた。それは、刑務所の暗号で、"GBUJS"という文字を伝えるものだった。そのメッセージを彼は決して忘れることができない。「ジム・ストックデールに神の祝福あれ。God bless you Jim Stockdale」
 アメリカにおいて近年捕らわれの身になった捕虜や人質すべてに当てはまることだが、即席かつ巧みに作り上げられたコミュニケーションが、彼らの大きな助けとなっている。ベトナムでは、叩打音が暗号として用いられた。音の数やつながりがアルファベットの文字を表わしていて、それが、捕虜たちのコミュニケーションのおもな手段になったのである。ジム・ストックデールを助けたのもこの暗号だった。
 まず、捕虜にとって、文字をつなぎ合わせて意味のあるメッセージを作れるように文字の暗号を覚えることが先決だった。しかし、すぐに彼らはそれに慣れ、そのシステムが彼らの第二の天性のようになった。孤独な捕虜たちは、壁や天井や床を叩いた。距離が近い場合には指を使った。距離が遠い場合には、拳や肘やプリキのコップを用いた。
「すぐにメッセージが、独房の一つのブロックから別のブロックへ、そしてさらには、建物から建物へ、交通のように流れていきました」と、エペレット・アルバレッツは回想する。
 最終的に、戦争捕虜たちは、叩打音を使った日常の交信をさらに発展させて、より洗練されたものを作り上げた。とくに効果的だったのは、箒で刑務所構内を掃きながら、集団全体に「話しかける」方法だった。
 ある捕虜が別の独房のそばを通りかかったときには、サンダルを引きずって暗号を流すことができた。毛布を振ったり、げっぷをしたり、鼻をかんだりして昔を出し、仲間にメッセージを送る人もいた。また、特別な才能を持っている捕虜も何人かいて、自分の意志でおならを出して暗号を送っていた。捕虜の一人は、毎日1~2時間、昼寝をしているふりをし、いびきを立てて、皆がどのような生活を送っているか、また、彼の独房の中でどのようなことが起こっているか、ということを報告していた。
 また、身体に引っかき傷を作ってコミュニケーションするという、刑務所の中ではよく見られる方法さえ取られるようになった。反アメリカ宣言をするように強要された一人の捕虜は、誰もいない中庭を通って広場に行く途中、彼の様子を気づかって、多くのアメリカ人の目が自分に釘づけになるということがわかっていた。そこで彼は、まず「c」という文字、次に「o」という文字、そして「p」という文字の引っかき傷を作り、最後にその引っかき傷が“頑張っている c-o-p-i-n-g”という言葉になるようにしたのだ。
 5年半におよぶ捕虜生活の大半を独房で過ごした、海軍少佐ジョン・S・マッケイン3世は、次のように結論づけている。
「戦争捕虜として生き延びるために最も重要なことは、誰かとコミュニケーションを持つことでした。ただ単に手を振ったりウィンクをしたりすることでも、壁を叩いたり誰かに親指を上げさせたりすることでもよかったのです。それによってすべての状況が一変しました」
(『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たちジュリアス・シーガル:小此木啓吾訳)
 この身体によって世界に意味を与える脳のシステムが働かなければ、人間は発達することができない。身体は世界と出会い、対話し、その意味を作り出してゆく。運動はすべての源であり、世界は意味に満ちている。認知とは、そうした無数の意味を自己組織化することにほかならないのである。(『脳のなかの身体 認知運動療法の挑戦宮本省三
 おたずねになりたいことはありませんか?
 質問をすることはもっともむずかしいことのひとつなのですよ。
 私たちはたずねなければならない問いを何千も抱えています。
 私たちはあらゆるものを疑わなければならないのです。
 なんに対してもただ従ったり受けいれたりしてはいけません。
 私たちは自分自身で見いださなければならないのです。
 他の人を通じてではなく、自分自身で真実を見なければならないのです。
 そして、真実を見るためには、完全に自由でなければならないのです。
 正しい答えを見いだすためには、正しい質問をしなければなりません。
 まちがった質問をしたら、必然的にまちがった答えを受けとることになるからです。
 そういうわけで、正しい質問をするというのは、もっともむずかしいことのひとつなのです。
 これはべつに、話し手があなたがたに質問をさせないようにしているわけではないのですが。
 あなたがたは、心から、きわめて真剣な気持ちで質問しなければなりません。生というのはたいへん重大なものですから。そのような質問をするということは、あなたがすでに自分の精神を探り、自分自身の非常に深いところまで踏みこんでいるということです。
 ですから、知性的な、それ自体を認識している精神だけが、正しい質問をすることができるのですし、それをたずねることそのもののなかに、その問いへの答えがあるのです。
 どうか笑わないでください。これはきわめてまじめなことなのです。
 というのも、あなたがたはつねに、他の人にどうすべきかを教えてもらうことを期待しているからです。
 私たちはいつも、他の人の灯で自分のランプをともしてもらいたがっているのです。私たちが自分自身の灯であることはけっしてありません。自分自身の灯であるためには、私たち自身の精神で見、観察し、学ぶことができるよう、あらゆる伝統、話し手のそれをも含めたあらゆる権威から自由でなければならないのです。
 学ぶというのはもっともむずかしいことのひとつです。質問をするのはかなりやさしいことですが、正しい質問をして正しい答えを得るというのは、まったく別のことなのです。
 さてみなさん、ご質問は?(笑い)
(『あなたは世界だJ・クリシュナムルティ:竹渕智子訳)
「病院では一年しか生きられないって言われた。在宅だってムリだって言われてたんだもん。それをやり遂げたんだから。オレにとっては誇りだよ。
 自立生活とは自由を得られることだ。でも、その裏側には、つねに自己責任がついてまわるね。病院を出るときにも一筆書いてるんだよ。もしボランティアがミスをして死んでも、何があっても病院や人のせいにはしないって。
 だけど、やっぱり家が一番だ。ここよりイイ場所は他にはないよ。病院じゃなく、ここにいること自体が、命を張ったオレの仕事さ」
(『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち渡辺一史

障害介護
 クジラ、アザラシ、象、海亀……。これらの動物に共通しているのは神秘性があり、十分な愛玩性を備えていることだろう。ペットにはできないが、観賞用としては野生動物の中では上位を占める。
 このような動物が有色人種によって無駄に殺され、資源が絶滅に向かっているとのキャンペーンは、欧米諸国で広く深く、そして急速に受け入れられた。そして「この動物を保護するために寄付を」との呼びかけに数百万人が反応した。グリーンピースは、80年代に年間約200億円のカネを集めている。だが、このカネは動物の保護に使われることはなく、組織の拡大と新たなキャンペーンへの経費に充てられた。
(『動物保護運動の虚像 その源流と真の狙い梅崎義人
 アッバースの方はどうかというと、シャウキーに対して眉(まゆ)一つ動かすでなく、石のように死んだ視線を向け続けていた。だが、シャウキーの叫び声が咆哮に変わるや、アッバースの死んだような目の表面に一瞬光が差し、その瞬間彼は何かを理解したようであった。その直後、彼は激しい震えに見舞われ、それはやがて恐怖に戦く目となって表に現われた。その震えは内へ内へと深まり、強大な恐怖となって根を下ろし始めた。その恐怖は上半身を立てて、横になっていた者の内にも生命を通わせた。恐怖によって。彼は身を縮め始めた。身を縮めながら、彼の妻を道連れにしてベッドの縁の方へ這(は)って後退し始めた。彼の体は次第に小さく、丸まっていった。人間がこれほどまでに小さく縮むことができるとは、思ってもみなかった。もしこのままの早さで凝縮が続くなら、やがてこの人間の球体は姿を没し、存在しなくなるだろうとさえ思われた。(「黒い警官」ユースフ・イドリース:奴田原睦明訳/『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20』)
 タリバーンは、反タリバーン地域を制圧すると、家と畑を焼き、男たちを連れ去ったと難民が訴えていた。娘や妻にガソリンをかけ家族の目の前で殺し、人々に恐怖感を植えつけて村に戻れないようにしたともいう。人が集まる市の立つ日を狙って爆撃を加えることもあった。「アフガン人なら、こんな残酷なことはできない」と住民は怒りを募らせた。マスードは「タリバーンの40%はパキスタン、アラブなど世界各国からの外国兵だ」と話していたが、アフガニスタンに世界の原理主義者たちが集うにようになったきっかけはソ連軍の侵攻だった。イスラムの聖戦に加わった各国の義勇兵の中で、原理主義組織のネットワーク作りが進んでいった。その中に、オサマ・ビンラディンもいた。(『マスードの戦い長倉洋海
 指揮科の学生は、楽譜の印刷の手配から譜面台の準備まで「カバン持ち」のように斎藤と行動をともにし、「丁稚小僧」のように厳しく教えこまれた。小澤(征爾)の場合、指揮棒でたたかれたり、分厚いオーケストラの譜面を投げつけられたりするのが日常化していた。斎藤の言葉に小澤が思わず、拳を振り上げようとしたことすらあった。その場にいた生徒たちは、斎藤が殴られると思った。しかし、小澤は顔をひきつらせて腕を下ろした。ばらばらになった楽譜を、小澤は家に持ち帰ってはセロテープではりつけていた。小澤は一時は親戚だからこんなに厳しくされるのかと思ったことさえあった。斎藤は親戚であろうとなかろうと手心を加えることはなかった。
 小澤はオーケストラの雑用で疲れきり、家に帰っても玄関で靴を脱がずに座り込んでいることもあった。自分の指揮の勉強が十分できないまま斎藤のレッスンに行くと、不勉強を指摘されて怒鳴られもした。そんなある日、小澤は家に帰るなり、言葉も発せずに拳で本箱のガラスをめちゃくちゃに壊してしまった。小澤の右手はガラスの破片が刺さり、血だらけになっていた。
 高校時代の小澤は、虚弱体質ぎみで十二指腸潰瘍を患ったりしていた。もちろん痩せていた。そして、この痩せているのは、指揮科の生徒全員の特徴でもあった。秋山和慶は語る。
「月月火水木金金だと先生は言ってました。音楽を勉強するのに休みがあるのか、消防士は休むか、とそんな具合。昼飯すら食べる時間のないくらい、いろいろ雑用があったのです」
(『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯中丸美繪

斎藤秀雄
 私が言いたいのは、この世界は大きくて恐ろしくて騒々しくて狂っていて、でもとても美しい、でも嵐のまっただなかにいるということだ。
 私が言いたいのは、もし私が色を人間と考えるとすると、人間を硬くて白い白墨(チョーク)、さもなければ茶色の、または黒いチョークと考えるとすると、それがどんなちがいがあるのかということだ。
 私が言いたいのは、なにが好きかなにを望んでいるか私にはわかっているということ、そして彼女にはわかっていないということ、それから彼女が私に好きになってほしいもの、望んでほしいものを、私は好きでもなく望みもしないということだ。
(『くらやみの速さはどれくらい』エリザベス・ムーン:小尾芙佐訳)
 長いあいだ科学者たちは、空が夜暗いという事実を不思議に思っていた。宇宙には何兆という数の星があってどちらの方向にも星はあるはずで、星の光が地球にとどくのをじゃまするものはほとんどないのだから、空は星の光でいっぱいのはずなのになぜ暗いのだろうと思っていた。
 そこで科学者たちは、宇宙が膨張しているのだと考えた。ビッグバンのあと星はたがいにすごい速度ではなれていっている。われわれから遠ければ遠いほど速い速度で動いていく、そのなかのあるものは光の速度くらい速い、だから星の光がわれわれのところにとどかないのだと考えた。
(『夜中に犬に起こった奇妙な事件マーク・ハッドン小尾芙佐訳)
 故にこれを校(えら)ぶるに計を以てして、其の情を索(もと)む。曰く、主 孰(いず)れか有道なる、将 孰れか有能なる、天地 孰れか得たる、法令 孰れか行なわる、兵衆 孰れか強き、士卒 孰れか練(なら)いたる、賞罰 孰れか明らかなると。吾れ此れを以て勝負を知る。

【それゆえ、〔深い理解を得た者は、七つの〕目算で比べあわせてその時の実情を求めるのである。すなわち、君主は〔敵と身方(ママ)とで〕いずれが人心を得ているか、将軍は〔敵と身方とで〕いずれが有能であるか、自然界のめぐりと土地の情況とはいずれに有利であるか、法令はどちらが遵守されている、軍隊はどちらが強いか、士卒はどちらがよく訓練されているか、賞罰はどちらが公明に行なわれているかということで、わたしは、これらのことによって、〔戦わずしてすでに〕勝敗を知るのである】

(『新訂 孫子金谷治訳注)

孫子
 シボマナが大笑いして、私に近付いてきた。
「おやおや、そこで外に鼻を突き出しているのは、ツチの家族の長男じゃないか!」
 そう言うと非常に機敏な動作で、私の顔から鼻を削いだ。
 別の男が鋲(びょう)のついた棍棒で殴りかかってくる。頭をそれた棍棒が私の肩を砕き、私は地面に倒れ伏した。シボマナはマチューテを取替え、私たちが普段バナナの葉を落とすのに使っている、鉤竿(かぎざお)のような形をした刃物をつかんだ。そして再び私の顔めがけて襲いかかり、曲がった刃物で私の左目をえぐり出した。そしてもう一度頭に。別の男がうなじ目掛けて切りかかる。彼らは私を取り囲み、代わる代わる襲ってきた。槍が、胸やももの付け根の辺りを貫く。彼らの顔が私の上で揺れている。大きなアカシアの枝がぐるぐる回る。私は無の中へ沈んでいった……。
(『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記レヴェリアン・ルラングァ山田美明訳)

ルワンダ
 殺人者たちは、家から出て行きました。
 私たちは、また息をすることが出来ました。
 でも、彼らは3カ月のあいだに、何度も何度もやってきたのです。
 私は、神様に助けられたと信じています。
 そして、そのクローゼットの大きさほどしかないトイレの中で7人の女性たちとともに恐怖に耐えながら過ごした91日のあいだに学んだのです。
 生かされたということは、ただ助けられたのとはまったく違う意味を持っているのだと。
 このレッスンは、私の人生を永久に変えました。
(『生かされて。イマキュレー・イリバギザ、スティーヴ・アーウィン)

ルワンダ
「どうしてぼくのことを放っておいてくれないんだ?」
 私はまた彼の横に腰を下ろした。「なぜなら、お前さんが生まれた時からみんなが放ったらかしておいて、そのために今、お前は最低の状態にあるからだ。おれはお前をそのような状態から脱出させるつもりでいるんだ」
「どういう意味?」
「お前が関心を抱く事柄が一つもない、という意味だ。誇りを抱けることがまったくない。お前になにかを教えたり見せたりすることに時間をさいた人間が一人もいないし、自分を育ててくれた人々には、お前が真似たいような点が一つもないのを見ているからだ」
「なにも、ぼくが悪いんじゃないよ」
「そう、まだ今のところは。しかし、なにもしないで人から見放された状態に落ち込んで行ったら、それはお前が悪いんだ。お前はもう一人の人間になり始めるべき年齢に達している。それに、自分の人生に対してなんらかの責任をとり始めるべき年齢になっている。だから、おれは手をかすつもりでいるのだ」
(『初秋ロバート・B・パーカー:菊池光訳)
 例えば、小松の車の中での二人のやりとりを録音したものもあった。島田さんはそれを聞いたことがあった。すさまじいものだったという。泣きながら別れて下さいと哀願する詩織さんに、小松は大声でわめいたり怒鳴ったり、そして時には大笑いまでしながらこう言ったのだ。
「ふざけんな、絶対別れない、お前に天罰が下るんだ」
「お前の家を一家崩壊まで追い込んでやる。家族を地獄に落としてやる」
「お前の親父はリストラだ。お前は風俗で働くんだ」
 このテープを聞いても上尾署のその刑事は「これは今回の件とは関係ないね」と聞く耳を持たない。詩織さんと両親は、二日間一生懸命事情を説明したが、結局「事件にするのは難しい」で済まされてしまった。
 テープは警察で一応預かるというが、何かをしてくれるとは到底思えなかった。詩織さん達は、警察に失望して上尾署を後にした。
(『桶川ストーカー殺人事件 遺言清水潔
 グレン・グールド(カナダ)も、その集中力の高さにおいては、リヒターに劣らなかった。しかしその演奏は、ドイツの伝統から出たリヒターよりもはるかに自由で、個性的なものであった。その目のさめるようなバッハに接すると、この演奏がかつて賛否両論の対象であったことが、不思議にさえ思えてくる。結局、拒絶をひき起こすだけのインパクトをもっていたからこそ、グールドの演奏は死後に生き残り、日々輝きを増しつつあるのだろう。
 グールドがバッハのポリフォニーに運動をもちこんだことは、第一章で述べた。彼がポリフォニーの各声部を生き物のように弾き分ける能力は信じられないほどだが、彼はそうした能力によってフーガを、嬉々とした競争のように躍動させる。一方、これに先立つプレリュードでは、表現の多様性が思い切り拡大される。あるときはゆったりとした瞑想に沈み、あるときは踊りのように快活に、またあるときは……。
 このようにグールドは、バッハの音楽に潜在する本質をしっかりとふまえながら、それまで誰も思いつかなかったほど自由に、バッハを演奏した。彼は現代ピアノを用いているし、その奏法も、バッハ時代そのままというわけではない。だが、グールドの自由さは、その自由さそれ自体が、バッハの演奏にもっとも大切でありながらいつしか見失われていたものの発見であった。
(『J・S・バッハ礒山雅
 学習者が初めて壁を叩く300ボルトになる前に実験者の命令に服従するのを拒否した被験者はいなかった。300ボルトといえば、「非常に強いショック」と書かれたスイッチ群を通り過ぎて、「強烈なショック」のレベルに入っていたのであるが。リモート条件の40人の被験者のうち、5人は315ボルト以上に進むのを拒否した。最終の450ボルトになる前に実験者の命令に逆らったのは14人である。しかし、40人中の26人という65パーセントにものぼる大多数が、完全に服従して、「危険:激しいショック」のゾーンを越えて、不気味な「XXX」と書かれたレベルまで続けてしまったのである。
 人間は権威に服従する傾向が深く植えつけられているということだけならば、なにもミルグラムが改めて言うまでもないことである。しかし、この実験が明らかにしたのは、その傾向が驚くほど強烈であること、そしてある人の意思に反して、その人を傷つけるのは間違っているという、私たちが子どものころから教えられてきた道徳の原理よりもその傾向の方が優先されているということであった。
(『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産トーマス・ブラス
 これは複雑な社会での危険なほど典型的な状況を示すものと言える。邪悪な行動の連鎖の中間段階でしかなく、行動の最終的な帰結から遠く離れていれば、責任を無視するのは簡単になる。アイヒマンですら、強制収容所を視察したときには気分が悪くなったけれど、でも実際に大量殺人に参加するにあたり、かれは机に向かって書類をやりとりすればいいだけだった。同時に、収容所でチクロンBを投入した人物は、単に命令に従っているだけだというのを根拠に、自分自身の行動を正当化できた。したがってここには、人間行動総体の断片化がある。邪悪な行動を決断してその帰結に直面しなければならない一人の人物というのがいない。行動の全責任を負う人物が消え去っている。これこそ現代社会で、社会的に組織化された悪にいちばんありがちな特徴かもしれない。(『服従の心理スタンレー・ミルグラム:山形浩生訳)
「たいていの人は、借金しなければ利子を支払う必要はないと思っています。しかし、私たちの支払うすべての物価に利子部分が含まれているのです。商品やサービスの提供者は、機械や建物を調達するために銀行に支払いをしなければならないわけで、銀行への支払い部分が物価に含まれているのです。あるいは、投入した自分の資本を、銀行やその他のところに投資した場合に得られたであろう利子が価格に上乗せされます。
 例えば、いまのドイツでなら、1戸あたり1万8000から2万5000マルクの利子を支払っています。だから、もし利子をやめて別の有効な流通メカニズムを採用することができたら、その流通促進のために新たな負担が生じたとしても、たいていの人たちは所得が2倍になります。あるいは、現在の生活水準を維持するのに、もっと少なく働けばよくなります」(マルグリッド・ケネディ) 『エンデの遺言 根源からお金を問うこと河邑厚徳、グループ現代

マネー貨幣金融
「このところのイスラエルのやり方には、もう我慢ができません。女も子どもも構わず殺します。ルールがありません」
 検問所で迂回しようとして殺された妊婦さんの夫の話はここでも出ました。
「2日前は、なんの理由もなく男の子を撃ち殺しました。しかもチェックをすませ、通行を許可した後に、背後から撃ったのです。
 ラマラでは、病院が攻撃されました。
 シャロンは『殺せるだけ殺せ』と発表しています。信じられません。これは一国の政策なのです。なぜこの国ではこのようなことが行われるのでしょうか?
 また、封鎖のために農業が陥っている問題についてもお伝えしなければなりません。まず農業のための肥料や飼料が届きません。また作物を持ち出すことができず、産業として成り立ちません。
 この街の多くの市民は、オリーブを原料としたオイルや石鹸の製造と販売で生計を立てていますが、私たちはオリーブの収穫に行くことができませんでした。
 イスラエル軍によって畑へ出るのを阻まれたり、畑を荒らされたりしたのです。しかも大切なオリーブの木を次々戦車でなぎ倒していくのです。もちろん他の収穫物についても同じです。
 それから教育機関が動きません。学校への攻撃も容赦がありません。
 もっとも深刻な状況に追いやられているのは市民の生活そのもの、子どもの命、そして私たちの未来です。
 けれども本当に残念なことは、もっとも残念なことは、世界の国々が、特にアラブ諸国がただこの状況を見ているだけであるということです。見て見ぬふりをしているのかもしれません。
 無反応であるということは、無関心であるということは、無視され続けるということは、軍事攻撃を受けるということと同じように私たちを苦しめ続けます。
 ですから、あなたがたの訪問は、私たちを前向きにさせてくれ、少しだけ楽観的な気持ちにさせてくれます」
 私は、話し続ける彼の目に吸い込まれそうになっていきました。この瞬間に、私は、今自分がここにいる意味と、大変な責任を負っていることを自覚しました。(※発言者はナブルスの知事と思われる)
(『「パレスチナが見たい」森沢典子