近代社会を支えてきた科学の底が抜けた中、人々は失われた信頼や信用を埋め合わせるために、絶えず「信心」を作り出そうとする。「信心」は極めて強い「善意」と、表にせり出しにくい「不安」によって支えられている。そうであるが故に、例えば政治は、強いカリスマ性を持った「教祖」を待望するような形で、あるいは、よき社会を開くための分かりやすい「経典」や「迫害対象」を求めるような人々を動員する形で行われる。(『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』開沼博)